今まで何気なく素通りしてしまっていた歴史的事象にすこし踏み込むことで思わぬ方向へ思考は進む。
今回、何気なく秀忠遅参という事実が家康の心理にどう響いたのだろうかとふと疑問に思ったことから発したものが意外にも教育の問題につながってしまった。
ここでこの問題に戻ってみると、家康は実際どうだったのか?
少なくとも合戦という大博打にあって主力軍不在は大きな痛手であるはずである。
それでいてなお多くの武将が東軍につき、家康に味方したのはどういうことか?
家康の根回しの周到さによるのか、三成との器量の差か。
あるいはほとほと戦乱の世に疲れ切っていて皆が平和を願っていたか。
おそらくどの要素もあてはまるだろう。これが歴史の必然とか時代の流れというものの正体だと思う。
家康の見事である所は、その時代の勢いを掴み秀忠を待たずに合戦に踏み切った決断力にある。
機を逃さずつかまえることは準備を完全に整えることよりも大切である。
そして戦とは本来想定外のことが必ず起こるものだ。
この家康という百戦練磨の老獪な男がその生涯に行った幾つかの決断のうち、これは最大のものの一つといえよう。
その時勢に乗った男を最後まで恐怖させたのは真田昌幸とその子幸村こと信繁。
信繁は夏の陣において家康本陣まで攻め込み、二度までも家康に自害を決意させかけた。
真田の六文銭は冥銭、即ち三途の川の渡し賃である。
真田親子は時勢はどちらに向いているか知っていただろう。
それは信繁の兄信之を東軍につけていることからもわかる。
それでも昌幸、信繁は義を通し、美を貫くために時勢という名の家康という力に立ち向かった。
これを反骨という。
東京一極集中で脆弱になった昨今の日本の地方からはこういう人間は出てこないだろう。
地方立ち上がるべし。
今回、何気なく秀忠遅参という事実が家康の心理にどう響いたのだろうかとふと疑問に思ったことから発したものが意外にも教育の問題につながってしまった。
ここでこの問題に戻ってみると、家康は実際どうだったのか?
少なくとも合戦という大博打にあって主力軍不在は大きな痛手であるはずである。
それでいてなお多くの武将が東軍につき、家康に味方したのはどういうことか?
家康の根回しの周到さによるのか、三成との器量の差か。
あるいはほとほと戦乱の世に疲れ切っていて皆が平和を願っていたか。
おそらくどの要素もあてはまるだろう。これが歴史の必然とか時代の流れというものの正体だと思う。
家康の見事である所は、その時代の勢いを掴み秀忠を待たずに合戦に踏み切った決断力にある。
機を逃さずつかまえることは準備を完全に整えることよりも大切である。
そして戦とは本来想定外のことが必ず起こるものだ。
この家康という百戦練磨の老獪な男がその生涯に行った幾つかの決断のうち、これは最大のものの一つといえよう。
その時勢に乗った男を最後まで恐怖させたのは真田昌幸とその子幸村こと信繁。
信繁は夏の陣において家康本陣まで攻め込み、二度までも家康に自害を決意させかけた。
真田の六文銭は冥銭、即ち三途の川の渡し賃である。
真田親子は時勢はどちらに向いているか知っていただろう。
それは信繁の兄信之を東軍につけていることからもわかる。
それでも昌幸、信繁は義を通し、美を貫くために時勢という名の家康という力に立ち向かった。
これを反骨という。
東京一極集中で脆弱になった昨今の日本の地方からはこういう人間は出てこないだろう。
地方立ち上がるべし。