思考の踏み込み

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運命論2

2014-01-06 09:30:01 | 
おおまかにざっと思い浮かべるだけでも、いくらでも占いの類は挙げられる。

他にもいくらでもあるだろう。



霊能やオーラ、前世、血液占い、夢占い、、、
そのうち間違いなく遺伝子占いが出てくると思う。

この間読んだ歴史の本になどは "戦国武将占い" というなんだかよくわからない付録が載っていた。

これらはだいたいにおいて性質や傾向の分類と統計による予測であり、要するに統計学に過ぎず、直感的に未来を霊視したりする占いとは異なる。

だが占いの大部分はこの意味ではカテゴライズとその統計が本質であるものの方が多いが、その統計上に現れる "傾向" はなぜ生じるのか、となるとこれは単なる統計学とはいえないかもしれない。

といっても、ここでは 「占い」について考えようとしているわけではない。
占いが扱っている "運" というものの正体に迫ってみたい。

ー "運" にまつわる言葉は実に多い。

幸運、不運、悪運、強運、金運、時運……。
果ては仕事運や恋愛運といったもの迄ある。

いってみればほんの僅かな、些細なことにまで "運" を意識してその吉凶良否を当てはめて行けばキリはない。

右足から歩くがよいか、今日の運勢だと左足からか ー こうなればもはや人間は身動きがとれなくなる。



だが、だからといって "運" などは人間の主観に過ぎない、と言い切れるだろうか?

運命論

2014-01-06 09:08:30 | 
運、あるいは運命論とその周辺のことについて考えてみたい。

ー 運とは何であろうか?

どのような文明、文化であっても "運"
を扱った「占い」を保有していないものはない。

むしろ古代においては、占いは文明そのものであり、政治でさえあった。



人類がその発生の時から育ててきた根源的な文化として、音楽や医術などと同じ枠で「占い」を捉えるべきでさえある、といえるのではないだろうか。

天体観測、陰陽、五行、風水、姓名判断、手相、人相。
カードなどの数字や絵の組み合わせ。
あるいは自然現象そのものから ー 。

人間は様々なものから運気を読もうとし、"不幸" を遠ざけ "幸運" を呼び込もうとしてきた。

現代社会においてなお、あらゆるジャンルの占いが飽和的に我々の日常にあふれている。

上で上げた幾つかのものは占いのジャンルというよりは、その判断材料となる要素である。



いわゆる星座占いや季節の巡り、星の位置関係は天体を観測することで導きだせる。

陰陽五行はプラスとマイナス、それと物質を構成する抽象的な五大元素。
風水は場の質と方角、手相や人相の因果関係はともかく、姓名判断に関してはよくわからない。

だが、音よりも "画数" で判断しているあたりをみると姓名判断も "数" にまつわるものとして分類していいかもしれない。