思考の踏み込み

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運命論6

2014-01-08 11:40:35 | 
帆船というものはあらゆる角度からくる風をとらえ、たとえ追い風でなくても進みたい方向へ進む事ができる。

先に "運" はコントロールすることがある程度できるのではないか、といったが、それはこの帆船の操作ときわめて近いのではないだろうか。

つまり、船の進路がある。
その方向へ進むためにあらゆる条件をプラスに (進行方向へ) 変えてゆくのである。



風のみならず、海流を読み、気候を捉え岩礁に気を配り、補給とそのための港を計算し、様々なことをこなしてようやく進みたい方向へゆけるのである。
もちろんそれ以前の問題として、優秀な船とクルーが前提にある。

帆船による航海とは実に人間の人生に似ているではないか。

ー "運" はむしろ物理的なものではないか ー といったのはこうした観点でみた場合である。
即ちここでいう風であり海流である。

風や海流は視覚で捉えにくいが、明確に感じることができる。
それは科学的にも理解され証明されている。

"運" も同じようなものであるならば、あるいは大気の中を独自の気流でもって循環し続けているのではないだろうか ー ?



しかし、やはりどうも "運"というものはそんなに現象として単純なものではなさそうだ。

ここで "運命" あるいは "宿命" といった問題が出てくる。

運命論5

2014-01-08 11:13:23 | 
そもそも "運" に支配されやすいゲームにおいて逆に "運" を支配することで
(支配という言い方は桜井は好まないかもしれないが) 無敗を続けた。

だとすると "運" とはある程度コントロールすることができるという証ではないだろうか。

そろそろ麻雀から離れたい。だがその前にこのゲームにはもう一つ面白い独特の要素がある。



"場" のことだ。

自然界の東西南北を逆に配した東南西北の四家で行う。
さらに「風牌」というものもあるところを見るとこのゲームの製作者には明らかに風水の影響がみてとれる。
(日本式のルールの麻雀が1番面白いが、ルールの統一をして世界大会のようなものができたら麻雀はもっと面白いことになると思うのだが、やはり難しいのだろうか…)

似たようなゲームでポーカーなどもそれなりに高度なものだが、"場" などの要素の点でその内在する世界性は麻雀の方が遥かに深い。

いずれにせよ "運" というものの正体を考えていく上で、麻雀というものは一つの手掛かりになる要素を持っている。



もうひとつ、別の話をしてみたい。

帆船である。
もし好きな時代に生まれ変われるなら、やはり大航海時代の欧州で、風帆船でもって "未知の世界" への冒険をしてみたいと思うが、そうでなくても帆船には魅力がある。