思考の踏み込み

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運命論4

2014-01-07 09:28:38 | 
ところで麻雀というのは面白いゲームだと思う。



将棋や碁のように社会的な地位を獲得していないが、打ち手の実力だけが勝敗の決め手になるわけではない、という点でより高度なゲームといえるのではないか。

即ち、"運" の要素である。

役を作る力プラス "運" を呼び込む力が必要となる点で将棋や碁などより複雑な内容を持つ。
それ故に社会的な地位も低いのかもしれない。

"運に左右される" ということはどんな名人でも結果を残し続けることは困難だからだ。

それでもここで麻雀を高く評価して考える理由は、その運に左右されがちな世界で ー それも大金の掛かった真剣勝負で ー 20年間無敗を続けた桜井章一という人物が存在し得たという事実による。

ー "運" が大きくモノをいう世界で?

彼は如何にして勝ち続けたというのか。

もちろん彼の実力 (表技、裏技共に) 自体が抜きん出ていたことは間違いがない。
だがそれ以上に彼は勝負に対する洗練された哲学を持っており、それによって己が感覚を高め研ぎ澄まし、常に勝ちを制してきた。

このことは優れた武道家が勝負にのぞんで行う内的な自己修練となんら変わりがない。



単なる遊びに過ぎないハズのものをここまで世界観を拡げ得たと言う点で、彼は偉大でありその業績は麻雀界に限らずにもっと評価されていいと思う。

運命論3

2014-01-07 08:36:58 | 
"禍福はあざなえる縄の如し"という。

そのときは不運に思っていたことも実はプラスの面があり、後から考えるとむしろ幸運であったと思えたりする事は誰しも経験していることであろう。

現代物理学では次元は縄のようなものとされ、同じ縄(弦)が次元が変わると質も変わると考えられているようだが、
なにか共通するものがあるのかもしれない。



それはともかく、こうした受け取り方による変質という事象には、人間の主観がはじめに強く作用している。

例えばどうしようもない出来事に出くわし、打ちのめされたとき、「運が悪かった」といって自らを慰める。

北枕にして寝たらたまたま不幸が起きた。
それ以降、北枕を忌むようになったのかもしれない。

青い服を着たらいい事があった。
青はラッキーカラーだ…

これら全てを人間の主観によるものだとしたら "運" という、この正体不明の言葉は人間の創り出した最大の虚構 ー "神" や "常識" などのように ー の一つと言えるかもしれない。

だが果たして本当にそうだろうか?

「神」(といっても地域ごとに様々だが)
はたしかに虚構かもしれないが、どんな人間であれ、「神」のような存在 ー
というより、そうしたものの "力" のようなものは感じているのではないか?

目には見えなくとも、頭では理解しきれなくとも、"感じる" ことのできるものを無視することはできない。



(ちなみに "北枕" は死期の近い人間を自由に寝かせていると、自然と頭が北向きになるように動く、という事実に由来している。それがなぜかはともかく、それが習慣や迷信になり、そこに働いていたものは "運" というよりも
人間の心理における "縁起" などの力学の方が大きいといえるのではないか)

こうしたことを全て虚構に過ぎないと、片付けることは如何なものか。

むしろもっと物理的な現象なのではないかとさえ、考えてしまう。