思考の踏み込み

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運命論12

2014-01-12 01:30:21 | 
さて、本題の"運" に戻ろう。

この正体不明の言葉の本質はまだ中々見えてこない。

だが "運" というものの力学的な影響はだれもが感じていることは間違いがない。

こうした不思議な "力" の類を神聖視して神格化し、「ヤオヨロズ」の神々を見出してきた我々の先祖たちでさえ、"運" そのものを司る神々というものは見出せなかった。



縁結びの神様、安産の神様、勝ち負けの神様、学問の神様、、、
しかし "運命" 全体の神様とは聞いた事がない。
これは不思議な気がする。

しかし、「信仰」とはその運全体に対する期待に発しているのかもしれないと考えると、特殊な専門運の神々がいることの方が例えば一神教の世界からみれば不思議なことなのだろう。

いずれにせよ、これほどだれもが身近に感じているものであるくせに "運" とはなんとその姿を捉え難いものであることか。

では逆に、誰もが感じているその "運"
の力の性質を分析してみることをしてみたらどうか。

まず一番に思いつくことは "運" の持つある種の親和性であろう。
明らかに "運" には陰陽の性質に似たものがあるが、あたかも磁石のようにプラスはプラスを、マイナスはマイナスを引きつける。

磁石のような ー というのは、磁石と違ってプラスとマイナスが引き合わない点である。
従って自然科学における磁場の力学とは別の現象?とみるべきである。



不幸の連鎖、とか笑門来福とかいったことはこの性質を表しているものであるし、多くの者が経験するところでもある。

運命論11

2014-01-12 01:26:43 | 
"運命" と "宿命" 。

もうひとつ "寿命" についてもふれてみよう。

不思議なことに人は死ぬ四日前に、必ず身体のある部分に特殊な硬結が出来るという。

それはごく小さなもので、専門家でなければわからないようなものだが、死を迎えるものには例外なく現れるものらしい。

しかし、不可思議なのはこの硬結は病死に限らないといわれる点である。
事故死や天災など、予測されるはずなく訪れる死であってもその四日前に硬結が出来るというが、どうだろうか ー

予知夢などの危険を未然に感じる能力が備わっていることは生命の生存に対する力強さとして理解できる。

大地震の跡に野生動物の死骸が少ないのは地震を感じ取る本能が人間よりも優れているからだろう。本来人間にもその能力はあるとされる。



だがしかし "危険" ではなく、"死" そのものを感じ取る能力が肉体の中にあるということはどういうことだろう?

それも明確に四日前であるのはどういうわけか。

死に臨むまでの気持ちの整理の時間として神が与えてくれた贈り物だろうか?

だが問題はそんなことではない。
本当に四日前からこの死の兆候が身体に現れるとすると、生命はその死をいつ迎えるか知っているということになる。

それはやはり "宿命" なのか?

あるいは本来、生きていること自体が実はそれだけで幸運なことで、その幸運によって "生" を我々が維持していると考えるならば、その "生" を支えていた "運" が離れて行く際のひとつの反応だろうか。



だとすれば "寿命" とは必ずしも時間的に "さだめ" られたものではないと言えるかもしれない。