思考の踏み込み

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処理と創造8

2014-01-30 08:27:44 | 
ともかくも、あの空海という宗教的大天才でさえ、自前で宗教を作ることをせず密教を "輸入" しただけであるという事実をよく考えてみる必要はある。



その意味で日本史上、真にクリエイティブに何かを創り出した最大の人物は利休であろう。

彼には明らかに新しく"価値観" を産み出そうという意識があり、実際にそのために命がけで闘った。

古臭いイメージさえある茶道は本来、極めて新しいモノであり、それは現代においてさえ具眼のもの達にははいささかも色褪せていない。

長次郎黒楽茶碗

"知っている" ということは大事なことである。

こうした "創造" に関しての我々日本人としての性質と歴史を知ったならば、あえて粗雑なものから始めることに挑むということもできるようになるかもしれない。

そして想像力が乏しいという思い込みを外すこと。本来どんな人種であれ、人間の能力に限界などないからだ。

そうなると日本人は歴史上はじめて (そういっても大袈裟でないと思う) 民族としての "創造" という未知の領域を開発していけるようになるだろう。

もちろんそのために必要なのは "処理" の問題をきっちりと整理して行うことだ。

歴史の整理という課題をいつまでも棚上げして政治の駆け引きの道具に使われることを許し続けてはならない。

本物の想像力の生まれる母体には偏りのない歴史認識に基づいた正統で、連続性のある文化的環境が必要といえるからだ。

そうすればこの先、おもしろい国になっていくのではないか ー 。
そんな風に信じてやまない。


処理と創造7

2014-01-30 08:17:20 | 
さて創造のことである。

日本人は常に創造力について批判されがちであった。かつては猿真似文化とさえいわれた。

本来、人種間で能力の差はないと思うが、文化的影響によってその差は出てくる。

その意味で日本人の創造力に対する指摘はけして外れていない。

なぜか?

日本という国は地理的条件によって新しいモノは常に海外から持ってくるだけで十分であった。

しかも、良悪の選択も自由に行えた。
やがてそれは新しいものを生み出すより、既にあるものを研ぎ澄まし、高めていく方向へと向けられていく。

日本の文化のあらゆるものが高い水準にあるのはこのためである。

以前、海外の新しいスポーツを紹介している番組を見たが、なんだか粗雑で不恰好なおもちゃでもみるような想いがした。

( 変なスポーツ)

しかし、創造とはほぼ全てがこの粗雑なおもちゃから始まるのではないか?

常に新しくて綺麗なおもちゃばかり選んではとってきて充足してきた日本人の感覚では、わざわざ粗雑なもので遊ぶ気が中々おこらない。

しかもたかが粗雑なものでも産むときには血みどろな産みの苦しみが伴う。

これまで日本人はそれをあえて行う必要がなかったし、その気も起こらなかった。

そう考えてくると日本人に創造力がないという批判は当たっていなくもない。
正確には創造 "力" がないのではなくてその必要に迫られにくかった、ということだが。