思考の踏み込み

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王貞治5

2014-01-25 01:09:04 | 
いずれにしても "集中力" というのは何も勝負の世界に生きる者に限らず大切なことである。

なぜなら人が何かに集中しているとき、その事自体が楽しく、それを身体は "快" と感じるからだ。

人間の正体を突き詰めていく。
すると心とか魂とか様々にいわれるものに突き当たるが、さらに踏み込んで観てみればそれはある種のエネルギーがあるだけである。

従って人生の課題自体も突き詰めればこの "エネルギー" とどう向き合うか、ということにつきる。

だとすれば、何かに集中するということはエネルギーに方向を与え、最も効率よく調和できるということの顕れである。
多くの者はこのエネルギーを持て余し、そのエネルギーの変形たる感情や性エネルギーに振り回され、周りとぶつかったり、自己を破壊し病気になったり悩んだりしているものだ。

"生きがい" を持つ者はこの意味で幸福であり、それが "仕事" であるものはなお恵まれているといえよう。

ともかくも集中するということは無方向に分散しがちな自己の正体を一つにまとめるということの謂いである。



それゆえに人は "快" を感じるし、無意識にそれを感じるからこそ誰もが集中している人をみるとつい、引き込まれたりする。それは "健" と繋がるものであり、"生" をたしかな実感をもって感じることのできる瞬間である。

そこには "美" を感じることすらあり、例えば優れた武人の演舞や名役者の舞いのように芸術にすらなり得る。
(能や歌舞伎などの日本の演芸が、演技におけるリアリティなどはなから無視してある "型" にこだわる理由はここにある。)

虚仮の一念岩をも通す、というが本当に研ぎ澄まされ、集中したときの人間の可能性というのは無限に近いものがあるのではないか。
王貞治という人はその事を我々に提示した偉大な人物であったといえる。