思考の踏み込み

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処理と創造2

2014-01-27 09:33:04 | 
歴史上滅んだ文明も、吸収され同化し消滅していった文明もいくつもある。

それらはたとえば高度な天文学をもっていたり、優れた道徳性を有していたりしても飲み込まれるときはあらがうべくもなく飲みこまれている。

飲み込む側の圧力の強さの主因は多くの場合、"武力" であることがほとんどである。

日本も戦後、科学力や物量を背景とした圧倒的な "武力" にコテンパンにやられた後、ある種のエアポケットができていた。

そこへ、自由や民主主義、平和、命の尊重、消費社会、個人主義、、あらゆるものが洪水のように流れ込んできて日本人は溺死しかけた。



最近、ようやくにしてその溺死の危機からは抜け出してきているように感じている。

そう、ようやくである。
戦後70年とか、もはや戦後ではないとかいろいろに言ってきたが、以前として日本は "戦後" である。

歴史とはそう簡単に次のステージには進まない。
平和ボケ "させられている"現代人はなかなかこのことに気づきにくい。

しかしそこからスタートしなければ正しく社会も文化も前に進めるはずがない。

処理と創造

2014-01-27 09:18:18 | 
人間の処理能力について考えてみる。

ある文明とある文明が出会った時、気圧の高いところから低いところへ空気が流れ込むように、圧力の強い側の文明が一方的に流れ込んだとき、 ー 流れ込んだ原因は気圧の低さであるとみることは正しいだろうか?

ここでいう気圧とはその文明の価値や魅力という意味にあたる。

価値観というものは時代ごとにかわるから一方に流れ込んだ側の文明が必ずしも気圧が高いものであったとはいえない。

むしろ流れ込むべき空間 ー エアポケットが潜在していることの方が多い。

受け身の側は流れてくるものの処理に追われる。
受け入れる段階での葛藤、戸惑いがまずあるだろう。

ついで気圧の高さ故に無条件に崇拝したり、あるいは反射的に拒絶したり、批判したりしながら、いくつもの段階を経ていくとやがては結局高い圧力に押し切られていく。



何が言いたいか、戦後日本の文化段階の話である。