思考の踏み込み

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処理と創造6

2014-01-29 08:21:28 | 
白洲正子という人は敗戦間もない時代に語っている。

戦争に負けてこれから世の中はもっと変わる。
ー 私は 変わらないものをみつめよう。



これは怒涛のように新しい価値観が流れ込んだ時代にあっても、人間が目を開けて本当の価値観を見つめうることができるということを示してくれた言葉といえよう。

彼女のような人が少なからずいてくれたお陰でこんにち "日本" はようやく息をしていられる。

一度冷静に考えてみるといい。

ブランドのバックに果たしてどんな価値があるのか?
高級車を買い、恥ずかしげもなく乗り回すことが一体何だというのか?

食通を気取って贅を尽くし、味わうことの本質を理解しないものたち。

愚にもつかないステータス心理、誰かが意図して流布させているとしか思えないセレブリティという言葉、見栄や外聞を取り繕うのに精一杯で奴隷の様に働き続け、たいして価値もない生活レベルを必死で維持する社会構造、、

白洲正子の見ていたものや、かつての日本人が見につけていた感覚。

その感覚を正常に取り戻さなければ日本人にとっての創造的な活動はスタートできないだろう。

なぜならどんな創造もその文化的背景の中からでるものであるから、この作業を経ずして何をしたって欧米の物真似と言われて終わるだけである。

明治期の様な物真似をせざるをえなかった時代とは違うことにそろそろ気づかなければならないと思う。

処理と創造5

2014-01-29 08:20:56 | 
要するに戦後日本人は一体何に価値をおいてきたのか?

価値観とは時代ごとに変わるものだが、千古不変の揺るぎない価値があるのも事実である。




日本文化はその揺るぎないものを追求し続けた文化だった。
それをたかが "敗戦" という現象だけで見失い、あまつさえ古臭いものとして否定してしまった戦後日本人のなんと愚かなことか。

だがその時代を知らない我々が考える以上に "敗戦"というショックを "処理" していくという作業は生半可ではなかったのかもしれない。
それが今回のテーマでもある。

総じて西洋文化とは若者の文化である。それは思想、哲学、文化、芸術等をみれば明らかだろう。(唯一音楽だけは何故か例外だと思う。唯一といって間違いないとも思う)

一方の東洋文化は我がD先生の言葉を借りれば "老境" の文化である。
しかしそれは真に価値あるものの追求がなされていった時間的な結果に過ぎずけして年寄り臭いものでは本来ない。

戦後日本においておきた文明の衝突の本質はこの二つの質の衝突であった。

銀河の衝突。


そして敗戦で自信を失った大人たちに変わって若い力はその "老境" を嫌い、真逆の方向へ走った。

これは考えてみれば自然なことかもしれない。
だが本当に価値あるものは何なのか?

余分な感情を取り払って、正しい目でモノを見る事ができる、そんな時代に今ようやくなってきていると思う。
これは喜ぶべきことだろう。