思考の踏み込み

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ブッダ28

2014-05-31 08:32:37 | 
なにもマヤ歴を引き合いに出さなくても、2012年 (2015年という説もある。)
という年がある転換点であることは様々にいわれている。

それは太陽活動の周期をみても、大きな境目であるし、地球の歳差運動における水瓶座の時代への移行もだいたいこのころといわれる。(これも諸説あるが。)




また2007年というとリーマンショックくらいしか思い浮かばないが、何人かの著名なスピリチュアル学者は2007年以前に、この時期が重要な時期になると語っていたことを記憶している。

だからどうだというわけでもないのだが、個人的にはこのトバイアスが語る所の内容はある程度納得できるものを感じている。

思えば ー ブッダ、イエスの時代から人類は精神面で何一つ成長しなかったと言われて久しい。

それは成長の仕方を知らなかったから。生きた身体の研究を置き去りにしていたからである。

すでに述べてきた様にD先生の研究は、この意味でトバイアスの言う新しい時代への可能性を内包している。

"1987年以降、人類の集合意識は急上昇した ー " とある。

D先生がその研究所を立ち上げたのはちょうどこの頃なのだが、まあこういうこじつけはどっちでもいいことだ。

(せっかくだから最後にD先生のイメージ像を。
白土三平の「サスケ」に出てくる "四貫目" という達人の忍者にそっくりな人。
その飄逸な人柄も、小柄で無駄のない身ごなしも。)


わざわざトバイアスの言葉を持ってこなくてもD先生の行っている作業の価値はもともと揺るぎないものであるのだが、ちょっと面白かったので随分と寄り道させて貰った。

少なくとも希望の持ちづらいこの現代社会において、今が夜明け前なんだと 、一番暗く感じるだけなんだ ー というトバイアスの発言は多少の救いになるし、D先生の研究が広まっていけばトバイアスのいう世界、そしてブッダが望んだ世界に近づいていけるだろうと私は思っている。

それもこれもブッダが遥か昔に、人間はここまで到達できるんだと、無限の可能性を我々に提示してみせてくれたから言えるのである。



6で述べた我々がブッダから受けた恩恵、とはそういう意味についてである。






ブッダ27

2014-05-30 01:09:24 | 
さてさて、このトバイアスについてもう少しだけお付き合い頂こう。
ちょっと長いが、後半の文面より。



" ー ブッダやイエスの死後、彼らの弟子たちが寺院や教会を建てて教えを世界に広めていくが、その教えとは「人間各自の中に神はある」この一点に尽きるのである。

君たちの興した宗教はまもなく巨大な支配力を持つ組織へと変貌してゆく。



それと共に人間各自に内在する神は、遠い所にあって人間を厳しく取り締まる架空の神にすげ替えられた。それ故、今世の君たちは宗教と一定の距離を置く者が多いのである。

大宗教の閉鎖的な支配が意識の木の育成を阻んだ側面は確かにある。しかしまたそれへの抵抗・反発が育成を加速した側面もあるのである。殺戮や戦争などにして然りである。

 意識の木が大きく成長し、実を結ぶのは何時のことなのか? 

言葉を代えれば、人類の集合意識が、神との完全融合ができるレベルにまで高まるのは何時なのかということである。

うまく行っても行かなくても、結果がでるのは西暦2,000年頃になるだろうという予想はついていた。

 大方の予想は8対2であった。失敗に賭けた者が8である。この予想が、君たちの知る予言書などにも反映されているのである。あくまで予想であって決定ではないのだが、かなり確度は高い。

悲惨な最期の可能性が高いのを承知の上で、自分で植えた木の結果を実地に体験したいと、現代の地球に転生している君たちのような人間も大勢いる。そして今、2012年、結果は出た…



  

 実のところ際どかった。見ていて息を飲む瞬間も何度もあった。しかしまだ君たちが地球に生きているということがその結果を示している。予想は覆された。君たちはやったのだ。

奇跡といって良いだろう。そのおかげで私もこうして君たちの前に出てくることができたわけである。人類の集合意識は急上昇した。特に1987年以降、上昇カーブはうなぎの滝登り状態となり、1999年にはアトランティス終焉の再来の可能性は消えた。

その後も人類の意識は上昇し続け、2007年の9月に臨界に到達した。臨界とは神との完全融合が可能な意識レベルである。

 その奇跡の大成果とは裏腹に、君たちの多くは今の地球の状況を見て絶望的に感じていると思う。

過去には無かったような自然災害、異常気象、温暖化、資源の枯渇、世界経済の崩壊、宗教戦争、機能しない政府、教育問題など、人類は滅亡の危機に瀕していると感じているかもしれない。

赤い砂嵐「バブーブ」


しかしそうではないのである。これらは古い時代の遺物の大掃除なのである。一掃されるために表面に出てきているのである。

新しいものが現れるためには、まず古いものを取り除かねばならないからである。地球自体も新しい時代に合わせてリニューアルしているのである。みんな君たちの意識に合わせて変化しているのである。すべては君たちの意識のレベルアップが引き起こしている現象なのである。

 もうしばらくの間、大掃除は続くだろう。
夜明け前が一番暗いのである。
最も暗いと思う時、すぐそこに夜明けがある。この夜明けはそんじょそこらの夜明けではない。新人類、いや神人類の夜明けである。




 人類の意識は神との完全融合が可能なレベルに到達した。今地球にいる人間の多くは、特に今私の話を聞いている君たちの多くは、『100%の神の種』を持って転生している。

この種が芽を出して臨界レベルの君たちと融合する時、人間の皮を被った神が誕生する。肉体を持って地球を歩く神が誕生する。神が君たちを併合吸収するのではない。君たちが神を併合吸収するのである ー 。"

 

ブッダ26

2014-05-29 05:07:26 | 
こういう神託とか啓示とか、ある種の憑依状態によるなんらかの存在の言葉を自動筆記するとかいった事例は、長い世界全体の歴史の中でみればさして珍しいことではない。
(アブラハム一神教系における多くの預言者達もこうした啓示を受けたとされている。)

大天使ガブリエルとムハンマド。


だが、現代多くの者はこういう現象そのものに驚いてしまい、頭から拒絶し全否定するか、頭から信じて全肯定してしまうかどちらかである。

どちらも正しい態度ではない。

こうした文献をいろいろ読み比べる限りにおいて、神託をもたらす霊的存在にも段階があるらしく、低俗な霊の場合もあれば高級霊まで、様々であることがわかる。

それは文書をみればある程度判断できるものだ。
いたずらに終末思想を宣託する類のものなどはまず取るに足らないものとみていいし、それ以前に全くの創作であるケースもある。

だからといって全てが取るに足らないものだと決めつけることはやや気が早い。

中には明らかに人間の知性を超えた所から落ちてきたとしか思えない様なモノもあるからだ。

その意味でいくと、個人的意見としてはこのトバイアスの言葉は一部におかしな表現もみられるが、まず上級資料といってよいのではないかと思っている。

まあそれでも現代日本においてこういう話をすると異端視されがちなのだが、あくまで一つの説として思考上の参考になるのであえて書くことにした。

さて何が面白いかといって、"トバイアス" というユダヤ、キリスト教系の神霊が、それも普通のアメリカ人の身体を借りてわざわざ異教徒の開祖を称賛しているという点だろう。

そしてブッダとイエスを比較してまったく質の違う存在と語っている。

"イエスは生まれつき神の種が開花した存在であり、ブッダの様に自力で神との融合に至るモノとは違う ー "



その存在によって人間社会の意識レヴェルを押し上げる効は果たしたが、一般の人々がイエスになる事は不可能なのである。

これは単なる宗教のカテゴライズにおける "信" に向かう宗教か、"目覚め" に向かう宗教か、という二つの方向性の違いによるとばかりは言えないだろう。

イエスは初めから "天" に近い存在だった。それはそれで尊いだろう。
だが、私個人的にはあくまでも "人間" シッダールタが永い修練の果てに "目覚め" たという事象の方が魅力を感じてしまう。










ブッダ25

2014-05-29 05:06:47 | 
ここで少し別の話をしてみたい。

仏教世界とも、D先生の日本の伝統的世界ともまったく関係のない所からのある発信である。



1999年から2009年にかけて、アメリカのジェフリー・ホッピーという人物が "トバイアス" という神霊から啓示を受けたという内容である。

そこでは "神の見る夢" と題して、宇宙の成り立ちと発展の仕組みが説かれるが、これが多くの原始宗教の宇宙創造神話に通じる部分があっておもしろい。

その中でブッダについて触れられている。これは「あめなるみち」という極めて優秀なサイトに掲載されている。
ご興味ある方は検索してみるといい。

このサイト制作者は天才的な語学センスを持っている。
その人物がトバイアスの言葉という原文を翻訳したモノを勝手ながら一部転用させて頂く。

トバイアスは創造神の言葉を語っていく中で、宇宙の歴史を語り人間の存在理由とその歴史的段階を語り、ブッダの登場は特筆すべきモノだったと述べる。

レンブラント作 「トビトとアンナ」
(トバイアスとは旧約聖書外典のトビト記の "Tobit" 。)




" ー ブッダは神の種を発芽させて融合を果たした人間の一人である。ブッダが菩提樹の下で悟りを得たという話が今に伝えられているが、この悟りとは、自分が神であることを根底から認識したということである。そしてこれこそが自分のエッセンスとの融合、すなわち神との融合でなのである。この融合を果たした人間を『アセンデッド・マスター』と呼んでいる。"

 アセンデッド・マスターは現在までに9,000人ほど誕生している。しかし融合にもレベルがあると言ったように、彼らの果たした融合はいずれも完全なものではない。彼らの時代では不可能だったのである。というのは融合のレベルを決定する要素には人類の集合意識が関係しているからで、人類の集合意識のレベルが上がらぬことには、融合のレベルも上がることができないのである。

アセンデッド・マスターが融合を果たした後に、地球に再転生した例はこれまで無い。しかし今後は出てくるだろう。人類の意識が大きく変わったのだから。

 ブッダたちの成功は第二宇宙を歓喜で満たした。

地球環境で神との融合が可能だということが実証されたのである… 。"

ブッダ24

2014-05-28 00:13:54 | 
そこでD先生の研究が生きてくる。

D先生は、日本という国は達人、名人のたくさん生まれる国だった ー という。

なぜかはわからないが、日本の文化伝統におけるあらゆる技芸は高度な身体技法によっているからである。



D先生の研究の中心もここにある。

そしてD先生の研究は達人名人の内容を分析し、そこに至る道筋を凡人達にも照らしてみせる。

"悟り" を目指す必要などない。
ことさらに何かの分野で名を成す必要もない。

"生きる名人" を目指せばそれでよい。

そのためには立つ、歩く、座る、こうした日常の動作を研究し追求するだけでも広大な "道" が用意されている。

そしてそれは身体の統合へと繋がっているから、さらに奥に進みたい者にはブッダのいる場所へも進める可能性まで秘めている。

"聖人君子" という概念はすでにこんにち効力を失っている。
だがD先生の提示した "名人達人" というモデルケースは現代人にとって無理のない生きる指針とはなりえないだろうか?



それは日本人でなければ参入できないものとは限らない普遍性を持っている。

お茶をやるのもいいだろう、武道でもいいし、書でもいい。日常の包丁捌きでも十分だし、子供の抱き方一つでも追求すれば難しいものだ。

条件となるのは全身を使う動作である、ということ。
といっても飛んだり跳ねたりする事ではない。全身を一つにまとめて使う身体技術を追求できる要素を内包した動作が必要だというのである。
内的な動きが可能になれば、外的には静止している正座においてさえ、身体は鍛錬できる。

モノを持つ、運ぶ。それだけでも身体感覚の追求はできる。


ヨガや座禅などがただ座って瞑想を深めるだけのモノだと勘違いしている内はブッダはますます遠く、霞がかって捉え難い ー 。

(ちなみにパソコンの達人というのはよほどでないとなかなか成立しえないだろう。目と頭と腕に負荷がかかり過ぎるから、その偏りは容易には修正できないからだ。
筋量と反射神経が幅をきかすスポーツの世界も少し難しい。D先生曰く、 "筋肉は感覚を固まらせる" 。)


D先生は言う。 ー "少しだけ" 不便な社会の方が、人間にとっては理想だ。


なぜなら全身を使って身体感覚を磨く場が与えられるから。

そして人間の身体はどんなに文明が進歩しても、身体そのものは原始の頃と何一つ変わっていない。
原始的な身体は必ずある一定量の運動を必要としている。

医療がどんなに発展しようと、時代がどんなに利便性を獲得しようと、この身体が原始的であるということを忘れていると本当の健康も、本当に豊かな生活も ー 導き出せないことになかなか気付く者は少ない。