以上のことから簡単に考えればやはり、太陽と共に暮らし、人間社会という集団の中で関係性を築いて生きる、ということが人間らしい生き方であり、我々人間にとっての "現実" なのであろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/f4/06e705329b28dec6189b39835d20e351.jpg)
「酒」というテーマでふれた精神の正常異常の判断。「虹」 における仮想と現実。
これらを見極めるには人間らしい暮らしということに基準を求めるしかなく、それには社会への帰属と個の主張という矛盾した問題の解決が求められる。
現代社会は個に偏り過ぎている。
それは怪しげな "仮想" を生み出しやすい。
オカルト宗教や無差別殺人、愉快犯。
社会が個を重く押しつぶしていた時代もまた偏りだが、個がひとり孤独になりすぎて狂いかねない現代よりはマシであったかもしれない。
集団と個という ー 偏りの遍歴の経験の時代がようやくにして過ぎつつ有り、バランス感覚のよい、本当の意味で人間らしい ー 誰もが幸福になりやすい社会の形というものはこれからやっと見出せる時代が来るであろうと思う。
国宝 夕顔棚納涼図屏風
最後は再び陶淵明で締めよう。
同じく「飲酒其五」より ー
" 菊を採る 東籬の下
悠然として南山を見る
山氣 日夕に佳く
飛鳥 相與に還る
此の中に眞意有り
辨ぜんと欲して已に言を忘る "
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「酒」というテーマでふれた精神の正常異常の判断。「虹」 における仮想と現実。
これらを見極めるには人間らしい暮らしということに基準を求めるしかなく、それには社会への帰属と個の主張という矛盾した問題の解決が求められる。
現代社会は個に偏り過ぎている。
それは怪しげな "仮想" を生み出しやすい。
オカルト宗教や無差別殺人、愉快犯。
社会が個を重く押しつぶしていた時代もまた偏りだが、個がひとり孤独になりすぎて狂いかねない現代よりはマシであったかもしれない。
集団と個という ー 偏りの遍歴の経験の時代がようやくにして過ぎつつ有り、バランス感覚のよい、本当の意味で人間らしい ー 誰もが幸福になりやすい社会の形というものはこれからやっと見出せる時代が来るであろうと思う。
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最後は再び陶淵明で締めよう。
同じく「飲酒其五」より ー
" 菊を採る 東籬の下
悠然として南山を見る
山氣 日夕に佳く
飛鳥 相與に還る
此の中に眞意有り
辨ぜんと欲して已に言を忘る "