思考の踏み込み

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戦国夜話18

2014-03-29 01:05:42 | 歴史
史家はこの戦国時代の始まりを1467年の応仁の乱、もしくは1493年の明応の政変を以ってしている。



これは歴史学的には正しいであろう。日本史にあっては稀有なこの長期の内乱があったからこそ、全国各地に乱世の気分が伝播し、英雄どもがいたるところで生まれる要因をなしているであろうからだ。

従って、同時期( 百年未満程) にあってこれほど全国規模で有能なモノ達が湧き出てきたのは何故か?という「戦国夜話15」での問いもこうした時代背景に答えを求めていくしかない。

ただ我々後世の日本人がそこから何かを見出そうとするならば、そこには海外の様に( 主として大陸) 世の乱れが決定的な悪を生み、社会の暗部に巣食うということが無かった点であろう。
( この暗部がない故に、暗部に支配された現代社会にあって日本は常に孤立し、利用され振り回されるばかりである。そのことを考えに入れずに政府が弱腰とか外交がヘタとか言って批判したところで何の意味もない。)

また人が育つ上での環境、つまり社会の心理構造にも注目するべきである。
この時代の日本はけして識字率は高くない。要するに教育機関などは充実していないし、例えばキリスト教圏における宗教的教育の要素もない。

ではいかにして戦国人たちは義や徳や俠とかいった感覚を身につけていったのか?
いや悪人ばかりではないかと、言うなかれ。

世に悪人と呼ばれている者ほど、優れた人格者であった事は多々ある。

明智光秀しかり、尼子経久しかり。多少器は落ちるが、石田三成も立派な人物だったと個人的には思う。

人間の多様性は複雑で一面からの評価などは出来うるものではない。
歴史の難しさも面白さもそこにある。

そして繰り返すが、この時代に書物や教育機関による人間陶冶の傾向は少なくしか見られない。

そのことに現代の我々は新鮮な目で驚きを感じてみると面白いと思う。
3.11の直後、被災地で大きな混乱もなくモラルを守った日本人に世界が驚いたように、戦国期に学のない人々が高い精神性を表したのはどういう理由によるのか、と考えてみることは日本人とは何か?という問いにさえ繋がるモノを内包している可能性がある。

時代ごとにどういう教育を受け、どういう教育的心理構造が社会にあったのか、そんな研究をして教育社会歴史学とかいう学問を誰か始めてくれたら面白いと思うのだが…。
ほぼ統計学に過ぎない心理学なんかよりよっぽど面白い可能性がある分野になるはずだと思う。

このことは後に「日本人論」という主題で投稿する予定。
そこで戦国期の謎の一つ "衆道" にもふれてみようと考えている。