思考の踏み込み

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戦国夜話19

2014-03-30 00:33:56 | 歴史
さて、歴史学上では明応の政変が戦国時代のはじまりだというのが大勢を占めると述べたが、この戦国物語を英雄列伝としてとらえるならば、やはり北条早雲の伊豆討ち入り (1493年) を以って舞台の幕開けとしたい。



下克上の魁、そして最初の戦国大名であること。

後世、悪人呼ばわりされ続けたこの聡明な先駆者にこそ、戦国英雄物語の序幕の栄誉を担ってもらいたい。

面白いのはこの "早雲" という言葉。

早雲などという語はそれまでになく、自然現象を表したことばとしても存在しない。辞書では人名としてしか出ていないし、これは早雲 ー 伊勢新九郎盛時の造語かもしくは、かつて大徳寺で禅の修行をしていた時代の縁で禅僧につけてもらったモノであろうと思われる。

一応地名説もあるようだが、それは "早雲庵宗瑞寺" のあった場所の近くに早川と須雲川という二本の川が合流していた、というものである。

だがこれはこの地が、伊勢新九郎が "早雲" を名乗った時期にはまだ新九郎の統治下ではなかったことを考えると由来としてはやはり弱い。

このあたりの考察は司馬遼太郎の小説「箱根の坂」にいいものがある。

司馬史観という言葉の意味は私にはよく分からないし、司馬の歴史観に妙に権威を感じてそれに弱い風潮もやや理解し難いが、膨大な司馬文学の中でもこの "早雲" に関する一説は白眉と言って良いだろう。

少し長いが、以下勝手ながら引用させて貰う。



" ー ふと、「早雲」という法名の意味をあらためて考えてみた。
「早」という漢字には速度がはやい、という意味はわずかしかない。ふつう時間のはやさをいう。一日中でもっともはやい時間はいうまでもなく暁である。たとえば、暁の朝焼け雲のことを早霞 (そうか) という。
早雲という熟語は古典には存在しないが、かれはみずから造語して暁の雲というイメージでもって早雲としたのではなかろうか。

事実、かれは時代の暁をなした。
ただ、古来、朝焼けは降雨のきざしといわれてきた。
まぎれもなく、早雲以後、戦国の世が始まる。
その存在だけでなく、その法号までが、来るべき風雲の世を見事に指し示しているのである。

歴史における自分の役割を自覚しての命名だったのではないかとさえおもわれる。
早雲とはそこまで自他が見える男ではあった ー "