思考の踏み込み

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ねこ2

2014-03-05 12:08:04 | 
さて家畜の定義でみていくと、猫も家畜に入るようだが、ここで "ネコ派" として触れて行くネコは、いわゆる愛玩動物、つまりペットとしてのネコとは少し違う。

まして掛け合わせによって品種改良され、見た目ばかりの美しさを求められた人口的で不自然な種にはなんの興味もない。

これはネコに限ったことではない。
犬でもそうだが、その生き物が野生ではとても生きていけないような、弱々しいばかりの形態に至った人口物を私はとても良いとは思えない。

生命力の弱い生き物を眺めて悦に浸るなどは、歪んだ美意識か、ロリコンなどのような不健全な性癖か、はたまた自己の愛情表現の欲求を満たすためだけのエゴの行為か、いずれかでしかない。

従って犬や猫に服を着させて、彼らの気持ちなど考えもせずに自己満足に浸る行為もおよそ理解できない。生き物を着せ替え人形か何かと勘違いしているのだろうか?

ここで主題となるべきネコはそうした範疇に入らないモノたちである。

彼らはあくまで自由で、気ままで、野生的でしなやかである。



そもそもネコは人間社会に入り込んで以来、家畜あるいはペットとして人間に思われているが、基本的に犬の様に去勢や掛け合わせで品種改良されていった歴史はない。

人間が農耕をスタートさせたとき、穀物を保存させる必要が出てきた。
するとそこにはなにが出てくるか?

そう、ネズミである。
ネコはそのネズミを狙って人間社会に近づいただけであり、人間によって飼われたというのは、当たらない。

ネコにしてみれば、人間に飼われているなんて微塵も思っていないだろう。
むしろ都合の良いときだけ甘えて見せると、人間は餌をくれたり、撫でてくれたりするのだから、むしろ人間を飼いならしていると思ってさえ、いるかもしれない。

この勝手さ。自由さ。

"ネコ派" がイヌではなく、ネコが好きなのも、 "イヌ派" が "ネコ派" と分かり合えない理由も全てはここに帰結するといえるだろう。