鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

猛暑はいずこ?

2007-08-17 23:29:51 | 思いつくまま

 今朝早く雨音で目覚めました。

 朝ご飯の頃は土砂降りとなりました。

 でもありがたいことに、出勤する頃には小ぶりとなりました。

 そのため、奥さんに車で送ってもらわなくても大丈夫でした。

 

 秋雨前線が南下してきたからということのようですが、岐阜県の多治見市?では昨日とほとんど同じ最高気温だったとか。40.8度とか。恐れ入ります。降参です。

 ラニーニャ現象、フィリピンの熱せられた空気と高い海水温、亜熱帯ジェット気流、ご苦労様でした。もうたくさんですので、この辺でお引き取りください。

 

 一日雨が強く降ったり、弱まったり、たまに止んだり、霧雨になったり、風も出てきて、この天気の変わりようは一体何なのだ!!

 このまま秋が来るのか!!それだけは絶対に許せない!!あってはならないことです。

 平年並みの天気でいいのです。それが当分続きますように祈るだけです。

 

 残すはあと1ヵ月半だけとなりました。いよいよこれからが後半戦のスタートです。これからが大きい鮎釣りができるわけで、これぞ鮎釣りの醍醐味を味わわずして、何の夏かあ~~・・・

 折角久し振りの土砂降りにもなったのに、肝心の川の水量は増えてはいません。大して濁ってもいませんが。

 もう少し増水して、明日あさってと晴れてくれれば、20日は丁度いい感じになっていたかもしれないのに・・・。

 

 山のほうには降らなかったのでしょうか。乾燥しすぎていたため、川に流れるよりも地面に、地下に吸収されてしまったのかもしれません。

 

 今日は宮城県立美術館の彫刻の紹介の1回目です。と書いても、これでおしまいですが。誰のなんと言う作品か、メモしてこなかったので分かりません。悪しからず。


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青葉カワセミ会の釣行遠征について(提案)

2007-08-16 16:46:32 | 提案・要望

 写真は宮城県美術館です。これから館外に展示されている彫刻等を逐次紹介していきたいと思っています。

 今日は正面からの美術館の全景?です。

 

 ≪青葉カワセミ会の皆様へ≫提案です。

 8月25・26日に予定している遠征釣行の場所ですが、皆さんは当然”米代川”とおもっているかもしれませんが、米代川はかっての様な大鮎の釣れる川ではなくなってきているし、漁協が一杯あって境界が分からないこともあるし、阿仁川は全くパッとしていない、ということで、今回は【北上川】にしてはどうでしょうか?

 

 HP”ぞっこん!北上川の大アユ”を見てください。今年は1994年以来の当たり年というではありませんか。26.5センチの大アユが釣れています。

 一旦盛岡まで北上してから南下するのもよし、北上あたりから北上するもいいのではないでしょうか。

 

 北上川には漁業権がありません。誰がどこで竿を出そうと構いません。問題はオトリです。北上市にある和賀川河川公園で入手するのがいいようです。一人4匹くらい。

 盛岡市に近くなれば、雫石川でオトリの入手は可能と思います。

 

 「めのどく」さんのHPを参考にしながら、まず最初は水沢市(今は奥州市ですか)あたりの北上川から攻めてみてはどうでしょうか。釣れそうもなければ、北上川は諦め、そのまま北上して米代川に行く手も考えられます。

 

 とにかくここは一か八か?!北上川に挑戦してみようではないですか!!!

 

 HP「ぞっこん!北上川の大アユ」を隅々まで見てください。特に【コラム】を見てください。本当に懇切丁寧に釣り場を公開しています。この情熱は大したものです。

 近年にない暑さを記録した今年に相応しい川ではないでしょうか!?

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敗戦記念日

2007-08-15 23:50:19 | 思いつくまま

 誰がなんと言おうと、今日は敗戦の日です。終戦ではありません。敗戦があっての終戦です。すり替えはやめましょう。

 

 一昨日でしたか、NHKで放送された「水木しげるの戦争」はご覧になったでしょうか。

 我が家では”ゲゲゲの鬼太郎”に代表される水木しげる漫画のファンですので、彼の本は漫画ばかりではなくいろいろ持っています。

 今回テレビドラマ化されたものも漫画でよんでいますが、ドラマの中に鬼太郎やねずみ男を登場させたりして、なかなか凝ったつくり方をしています。

 

 またまた長くなりそうなので結論を急ぐと、前から時々言ってきているように62年前のアジア太平洋戦争の死者は”犬死”、無駄な”強制された死”が大半というか圧倒的な多数ではなかったかと言うことです。

 そのことを、敗戦の日に改めて再認識すべきではないでしょうかといいたいわけです。英霊に対して何ということをいうのかと反論する人もいるでしょうが、事実はそうです。

 少しもカッコいい死ではなかった。戦地や内地での空襲、原爆等で亡くなった人は310万人ですか。東京大空襲や広島・長崎での原爆死は、およそ人間の死に方ではありません。虫けら以下の死です。だからこそ「仕方がなかった」ではすまないわけです。済ますわけにはいかないわけです。

 兵隊の死については、大半が餓死や病死です。そして水没死です。軍人として対等に米軍等と戦って死んだのではありません。圧倒的な物量の前に精神論なんか吹っ飛び、敗残兵は餓死するか病死するより他はなかったのです。何しろ”捕虜になるな”、”生きて虜囚の辱めを受けず”ですから。精一杯戦った後は降参して捕虜になるという訓練がありませんでした。

 戦うべく派遣された異国の地で、戦うのではなく逃げ惑い、現地の人から憎まれ、ゲリラと米軍の包囲網をかいくぐり、ジャングルを徘徊、彷徨するよりほかはなかったのです。

 餓死や病死の前ということになるのでしょうか、無能な上官の命令による”玉砕”という名の強制された集団自殺、自決がありました。名誉の戦死、家族が地域で胸を張って生きられる・・・。

 水木さんは玉砕を命令されましたが、奇跡的に生き残りました。兵団本部は、大本営に・・部隊は全員敵陣に切り込んで壮絶な玉砕をしたと打電した後に、まだ生き残っていた中隊があったことを知り、愕然とし、再度敵陣に突入して玉砕せよと命令する。それを確かめるためにわざわざ参謀を派遣して寄越す念の入れよう。そして参謀は突入直前になって、様子を兵団本部に報告するからということでその場を去るのです。

 偉い奴ばかりが生き延びるのです。ラバウルは歌にも歌われましたが、ここに何万という日本兵がいましたが、ここは自給自活の生活をしながらも米軍が上陸してくることがなかったためにたくさんの軍人が結果的に助かりました。

 孤立し、救援を待っている部隊がいることを知っても自主的に助けに行くということはしないのが日本軍の伝統のようです。硫黄島の戦いでさえ、各部隊に何処そこの陣地を死守せよという命令が出れば、当選攻撃されている部隊は戦いますが、別の陣地に布陣している部隊は友軍として、攻撃している米軍を攻撃することはなかったということらしいですし。

 陸軍同士でさえ部隊が違えば協力はしないし、ましてや陸軍と海軍となるとまったくと言っていいほど共同連携の作戦はなかったといいます。

 補給にしても、粗末な徴用船で途中で米潜水艦に撃沈されることを想定して、その倍の人員を輸送したそうです。その兵隊も大半の人は海の藻屑となりました。辛うじて上陸しても武器弾薬がないもので、戦うどころではない。逃げ惑い食料がなくなり餓死か病死という運命をたどるだけ。いかにひどかったかは人肉食までせざるをえなかったという事実が明白に物語っています。

 いろいろととりとめのないことを書いてきましたが、要は戦争で死んだ人は、民間人にしろ軍人にしろ決して英霊なんかではない、幽霊となってまだジャングルの中をさまよっているのではないかということをいいたかったわけです。

 日本は世界第2位の経済大国になったとか浮かれているやからもいますが、今もって戦争で死んだ(殺された)兵隊の遺骨は一杯残っているのです。遺骨を収集しようとすれば出来ないはずはありません。それをしもしないで、靖国の英霊にお参りするだけでいかにも死んだ人たちのことを思い追悼しているという風を装っていることは私には許せることではありません。 

 われわれ日本人は、先の戦争でなくなった人達は、これ以上無惨な死に方はないという死に方をせざるを得なかったということを改めて再認識し、深くその思いをいたし、平和のありがたさを感謝し、戦争のない、戦争のできない、戦争をしなくてもいい国づくりこそ目指すべきではないでしょうか。

 と同時に、被害者でもあったけど、アジアの国々にとっては加害者でもあったという事実も直視しなければ成りません。そこからこそ真の友好関係が成り立つものと考えます。

 

 写真は、堤防に咲いているひまわりです。


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最上川長瀬地区(その2)

2007-08-14 22:48:20 | 最上川

 長い瀬ではかかりませんでしたが、この瀬の上流側、最上第一組合との境界線付近では掛りました。といっても3匹のみですが。(写真の右奥の方)

 私は毎度のことですが、ここでの釣りは上流側から釣り下るという釣りかたをしています。

 

 竿はオリンピック・インテグラ鮎急瀬90です。糸は昨日と同じ。

 

 水量が少なくなって緩い平瀬となっているところに左岸から竿を出す。時に9時25分。10分しないで、あたりがあり18センチクラスを引き抜く。その後も10分後少し下流で2匹目。さらに20分後下流で1匹と、計3匹は30分くらいの間に釣れました。

 いずれも20センチ未満の小型の鮎。大きい鮎は何処に行ったのでしょうか。

 

 それから(その1)に書いたとおり、長い瀬に喜び勇んで挑戦したのですが、結果は惨敗でした。下っていくと簡単に対岸に渡れます。

 

 再度上流域に戻って、諦めきれずに竿を出したのですが、掛ったのは小さいオイカワのメスでした。最上川でオイカワを釣ったのは初めてです。ある意味嬉しかったです。

 

 でも、よくよく川を見ていると、鮎はいるのです。クルッ、クルッとひらを打っているのが見えるのです。これは幻覚ではありません。確かに魚です、多分鮎です。

 

 そこを引いてみても掛りません。何度も挑戦しましたが、追っては来ませんでした。ナイロンで泳がせればいいのかもしれません。また、コロガシなら掛るかもしれません。

 でも鮎は暑さのために皆グロッキー気味で、元気がありません。引かないと泳ぐのは無理です。昼近くの水温は何度あったと思いますか?これで二度目の経験ですが、”30度”でした。

 引き船の中の鮎も元気がなく、さすがの私もこのままでは熱さに、暑さに参ってしまうかもと思ってしまいました。11時30分に納竿しました。

 

 ここ長瀬地区の駐車場(本当は駐車場ではないですが、釣り人等が駐車場に使っているところ)の裏に”温泉”が出来ていました。

 「寒河江花咲か温泉・ゆ~チェリー」といいます。早速入って来ました。新しいし、広いしとってもいいですよ。

 しかも温泉は二つあり、一つは「新寒河江温泉」、もう一つは「寒河江花咲か温泉」で、前者は低張性中性高温泉、後者は高張性中性高温泉」。42.5度と44度と温度は高めです。塩分が含まれています。

 さらに露天風呂もあり、ここからは最上川がバッチリ見えます。といっても、立たないと見えませんが。露天風呂も大きくていいです。男女の露天風呂の境界には池があり、塀で区切られていますが、そこにカルガモが二羽いました。

 午前6時から午後10時まで営業。毎月第一月休み。大人300円です。


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最上川長瀬地区(その1)

2007-08-14 22:11:01 | 最上川

 今日は休みに付き、お盆というのに昨日に引き続きアユ釣りに行きました。

 

 場所は最上川の長瀬地区。ご覧のように超渇水です。この前よりも渇水です。

 ここには結局釣り人は私一人だけでした。釣れないということで、地元の人も敬遠したのでしょうか。

 

 今日も暑い、川だから少しは陸地と違うかというとそんなことはない。照り返しもあり、暑さは尋常ではない。

 この広いというか、長い瀬、200メートル以上はあるでしょう。この瀬が私一人だけのもの。今日は思う存分動き回れると喜んだのですが・・・。

 

 この瀬をオモリと背バリで釣り下ったのですが、掛ったのは16センチくらいのはや1匹のみ。

 減水で無理をしなくても対岸近くまで竿を出せる。今日は竿を出せないところはなかったといっていい。それなのに、掛ったのはハヤのみ。あまりにひどいではないですか。

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今日の広瀬川(その3)

2007-08-13 22:12:19 | 広瀬川

 夕方、少し涼しくなってから竿を出しました。

 3時50分から5時20分までの1時間30分。竿はマミヤOPのプレジデント9.25。糸はいつものホクエツの極細ですか。

 

 場所は家から一番近いところ、真南の瀬。美術館の下とトンネルの途切れたところの下の荒瀬の丁度中間点くらいの瀬です。

 今年2回目ですか、ここに入るのは。

 

 流芯の右脇におとりを入れて泳がせること数分、ゴゴンというあたりがあったけど、その後の引きがなく、今のは一体何なのだろうと竿を立てたところ、一気に下流に走られました。でも付いて下って態勢を立て直して引き抜きました。

 結果は、何ということでしょうか、タモの中にはオトリのみ、掛ったアユはハリスとともにタモの外から水中へポッチャン。開始5分でした。型はオトリよりもかなり大きい。

 

 気を取り直して、オトリを取り替えて再度同じ瀬脇へ。また、5分後、はっきりとしたあたりとともに、掛ったアユがひらを打つのが見えました。

 何とか引き抜きましたが、水面ぎりぎりでキャッチ。でかい、デカイ、興奮してしまいます。ちょっと大きすぎておとりに使うのはためらわれました。

 

 同じオトリでまた同じところへ。今回はその手前で掛ってしまいました。19センチくらいの手ごろなサイズ。

 その後もここで2匹掛りました。ほぼ同じところで5匹掛け4匹取り込みました。所要時間20分です。凄いではないですか。たまたまここに溜まっていたのでしょう。

 

 その後釣り下りましたが、瀬では掛らず。瀬脇の深い流れの緩いところでかかりました。美術館の下までに1匹掛けたのみ。

 

 美術館下では結局4匹掛けました。ここでです、写真の大アユが釣れたのは。25.5センチもありました。他は23cm。全部引き抜きました。丸々と太って水面を水しぶきを上げながらの取り込みでした。

 

 凄いでしょう。これが広瀬川の大アユです。最上川の比ではありません。数が少ないから大きくなったのでしょう。でもハミあとはありません。あるのは青ノロばかり。

 

 川はとても汚くなっています。糸の接続部分には青ノロが一杯付いてきます。青ノロをとりながらのアユ釣りで、ハリにも付いてきます。

 もっと綺麗な状態で、こんな大アユが釣れたら申し分ないのですが。贅沢でしょうか。

 

 5時20分、岩盤の下の瀬で掛ったので、下って引き抜いたのですが、無事掛りアユをキャッチしたのですが、今度はおとりアユがタモの外へ、ハナカンごと飛んで行きました。うまくいきません。

 

 結局、10回掛けてキープは8匹ということになりました。前にも書きましたが、流芯よりは、その脇の深いところにアユは付いていたようです。

 でも楽しい1時間30分でした。ご先祖様に感謝です。謝謝。

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今日の広瀬川(その2)

2007-08-13 21:38:44 | 広瀬川

 写真は青ノロというのですか、腐ったコケというのですか、川のいたるところに繁殖しています。

 これは大雨で増水し、川底が一掃されないと綺麗にはならないでしょう。

 それにもかかわらず、夕方というか午後遅く川に入りました。

 本来はお盆のため殺生はしたくないのですが、また若いときは「お盆には殺生をしてはならない」という年寄りの教えを守っていましたが、トーナメントに出るようになってからは禁を破り、最小限ではありますが、お盆でも竿を出すようになりました。

 釣果は(その3)へ。


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今日の広瀬川(その1)

2007-08-13 21:31:13 | 広瀬川

 本当に暑い日が続いています。

 そして雨が、まとまった雨が降りません。 

 猛暑日にこそなっていませんが、8月に入ってからはほとんど毎日最高気温が30度を超えています。

 広瀬川も写真のように水量がますます少なくなっています。一雨欲しいところです。


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あれ?どうしたのか

2007-08-12 08:05:08 | お知らせ

 お早うございます。

 

 今朝例によってブログを開いてみてびっくり??

 昨日飲んで酔っ払って帰ってきましたが、この金魚の写真を使って簡単なブログを作成しました。確かに書きました。

 しかし、今朝開いたら、10日のまま。

 なんだこれは?おかしいな?どうしたのか?もしかしたら、{投稿}をクリックしなかったのかな?

 多分そうなのでしょう。失礼しました。

 

 写真は家の愛魚、金魚5匹です。どんなものでも長く飼い続けていると愛着が湧いてきますし、可愛いものです。

 

 そうそう、7日の最上川のときですか、コロガシの人がアユの他にハヤも2匹釣っていたと書きましたが、そのハヤをどうしたか、なんと陸の石に叩きつけたではありませんか!

 いままでなら言わなかったかもしれませんが、堪らず言ってやりました。殺すのは可哀そう、逃がしてやったらどうですかと。

 私もアユ釣りをしていて、ハヤがかかるとがっかりしますが、だからといってハヤを憎み、叩き殺そうとは思いません。

 

 同じ地球上の生き物、お互い大切にしたいものです。

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フジテレビ

2007-08-10 23:53:08 | お知らせ

 フジテレビの特別番組として、今日明日と「はだしのゲン」が放送されます。

 前半分がさっき終わりました。夫婦で見ていました。声がでませんでした。

 内容は分かっています。「はだしのゲン」のマンガを全巻買って家族みんなで見ていましたから。とくに次男は何回も見ていたと記憶しています。

 それでも、見てしまいます。見てしまいました。ビデオもとりました。兄弟の演技が素晴らしい。圧倒されました。この二人の将来が楽しみです。

 娯楽路線のフジテレビですが、ときどきいい放送をするのですね。

 

 今日エキストラとして参加したフジテレビのドラマ「(仮称)まだ見ぬ父へ、母へ・魂で歌う青い海」ですが、今日参加して内容が分かりました。

 沖縄出身の盲目のテノール歌手”新垣勉”さんの半世紀を扱うドラマでした。主演は”小池徹平”、他に”中尾明慶”、”いしだあゆみ”等が出演するそうです。

 今日は、宮城学院大学の校舎を借りての撮影でした。昨日から撮影はしているそうです。

 カバン、ノート、筆記用具を持参してくれというので、3点セットの他に冷たいお茶を入れた魔法瓶や眼鏡も持って行きました。

 集合したのは50に弱か、大半は女性、しかも現役の女子大学生で、男は学生が4,5人、私のような年代の男が3,4人ですか。

 10時に203号教室に入り、改めて出欠をとり、フィルムコミッションの担当者からドラマの内容や今日のエキストラの説明がありました。

 後は出番待ちといいますか、ひたすら待ち続けるのかなと思ったら、30分後には動きがあり、校舎の中を歩いて「HANSEN HALL」へ。HANSENというので「反戦」かなと思いましたが、そうではなくて人の名前のようでした。

 あまり大きくはないですが、中にはパイプオルガンもありまして、ステージ上には美女4人がスタンバイしていました。

 弦楽四重奏というのでしょうか、バイオリンが二人、ビオラ、チェロという構成。何度も同じ曲を演奏していましたが、またその曲目は何度も聞いたことがあるのですが、どうしても曲名が思い出せません。学校で習った記憶があります。でも・・・。

 その曲は賛美歌です。最後にアーメンという言葉が入ります。とってもいい曲で、とても心を清らかにしてくれる曲です。こう書きつつ、思い出そうとしているのですが、思い出せません。

 我々50人弱がADの指示で座らされて、またここでひたすら待ちます。でも美女たちが居たので、しかも時々演奏してくれるので、そんなに時間を持て余しはしませんでしたが。

 私は一番前の真ん中に座りました。見上げる形になりましたが、舞台はバッチリ見えるのでよかったです。

 12時を過ぎてようやく動きが出て来ました。ADやディレクター、カメラマン等10人前後のいかにも業界の人らしい服装(半袖シャツに長いGパン、色黒でポケットは台本等で膨れ上がっている、腰にガムテープをぶら下げている、声が大きい等)で場内を動き回っていました。

 そして、主役の小池徹平が出てきて、あいさつをしました。どこかで見た顔ではあるなあと思いましたが、そんなに有名な人なのかと??でした。細くてあまり大きくはない。声もそんなに響き渡るというものでもない。

 最初は、声楽家の服装というのでしょうか、黒い吊りズボンに白のYシャツ姿、ピカピカの黒い靴。舞台の中央に立ち、せりふをいいます。それに対して、ディレクター?がもっと間を取って伸ばして話してはといっていまして、それを受けて本人が何回か練習し、いよいよ本番へ。

 本番のときは上着を着用し、最初は白い杖を右手に持っていましたが、最終的には杖はなくし、両目を閉じてのあいさつというか生い立ちを話します。場面としては、歌った後の話しということになります。

 「生まれてくるのではなかった。いっそのこと、両親を殺して自分も死のうと思いました。・・・」というせりふです。時間にして20秒もあったでしょうか。

 本番は1回でOKでした。

 そして、我々のエキストラも終わりました。たったのワンシーンのみ。なんだこれは!?なんともあっけないエキストラでした。エキストラとしてはつまらないものでした。さっぱり一緒に物語を作っていくというある種の連帯感みたいなものが全く感じられませんでした。ノートた筆記用具は全く必要なかったではないですか。

 ということで12時30分頃に終了し、再度203教室に戻って話をきいて、写真の記念品を貰って一切が終了となりました。

 楽といえば楽でした。座っているだけでよかったのですから。外では33度を越える中での撮影が行われていました。また、こんなに目の前で主人公を見られるというのも我々のみとかいわれました。小池徹平は緊張すると、両手の指の関節をポキポキと鳴らします。

 放送はまだ予定ですが、12月の下旬頃とのことです。

 ここまできても、曲の題名は思い出せませんでした。すみません。

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(その2)エキストラ出演

2007-08-09 23:51:58 | お知らせ

 申し訳ありませんが、今日のこの前のタイトル「長崎被爆62年(その1)」を「(その1)長崎被爆62年」に変更しますので、よろしくお願いします。

 

 皆さんはフジテレビのドラマ「まだ見ぬ父へ、母へ・魂で歌う青い海」というのをご存知ですか?現在撮影中のようです。

 主人公は誰か、どういう物語かは分かりません。誰と会えるのか楽しみです。内容は分かりませんが、明日エキストラとして出演?してきます。

 

 場所は宮城学院女子大学校舎です。私は大学で講演を聴く”一般客”の役です。大学での講演ですから、もちろん学生役の人もいます。

 明日は3回に区切ってそれぞれの場面を撮影するようです。

 時代設定も、昭和50年の冬と平成5年の夏となっています。私は平成5年の方なので、今のままの格好で。服装でいいのですが、昭和50年の人は大変です。冬の衣装とコートを着用しなければなりませんから。

 

 午前10時大学に集合となっています。今回はそんなに時間は掛らないような気がします。

 これでエキストラ出演は、映画「ええじゃないか日本・気仙沼伝説」、TBSドラマ「華麗なる一族」、そして今回のフジテレビドラマと3回目となります。

 楽しんできます。

 

 写真は、(その1)と同じく町内会の七夕飾りです。町内会の役員の汗と涙の結晶です。

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長崎被爆62年(その1)

2007-08-09 23:27:15 | お知らせ

 今日8月9日は、6日の広島に続いて二つ目の原爆が長崎に落とされた日です。あれから62年が経ちました。

 

 新しく市長になったばかりの田上富久市長の長崎平和宣言は、久間全防衛省大事の発言を念頭において、「今日、ひばくこくの我が国においてさえも、原爆投下への誤った認識や核兵器保有の可能性が語られるなか、単に非核三原則を国是とするだけではなく、その法制化こそが必要です。」と訴え、さらに「被爆者の体験を核兵器廃絶の原点として、その非人道性と残虐性を世界に伝え、核兵器の使用はいかなる理由があっても許されないことを訴えてください。」と政府に訴えています。

 

 今回も安倍売国奴アメリカの傀儡政権は、平和式典に厚かましくも出席し、非核三原則を守るとか舌足らずの挨拶をしていました。心にもないことを堂々と二回も発言するとは大したものです。

 こういうときに小池何某というある雑誌に言わせると”自民党慰安婦”が訪米し、イラク特措法を何としても12月以降も継続させるということを国防大臣等に誓ってきたのでしょう。これぞ正に土下座外交、朝貢外交そのものです。これこそ自虐外交ではないですか。

 こんなにも自民党には人材が居なくなったのでしょうか。そうであれば正に末期的状況です。

 

 写真は、町内会の七夕飾りです。今年は皆で力をあわせて2本の竹飾りをつくりました。我々夫婦も鶴を一杯折りました。

 少しでも世界が(大袈裟か)平和に近付きますように・・・。


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仙台七夕③今日の広瀬川

2007-08-08 23:05:54 | 広瀬川

 写真は8月6日の広瀬川です。

 写したのは、澱橋の南側からです。

 水量が少ないのが分かるかと思います。

 左側の横たわっている木は、前に紹介した倒木です。

 画面右側のトロ場は、かってはいい釣り場でしたが、今は泥に覆われて見る影もありません。

 ここにもっと大中小の石が入って、瀬ができたりして川の流れに変化がつけばいい釣り場として復活も可能なのでしょうが・・・。


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仙台七夕②

2007-08-08 23:00:39 | お知らせ

 写真は伝統七夕といいましょうか、七夕の原点とも言うべき飾り付けです。

 

 かなり庶民的というか、もともとは家族の健康を祈り、商売も繁昌するようにという願いが込められていたお祭りです。こういう七夕飾りもいいものです。


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仙台七夕①

2007-08-08 22:54:05 | お知らせ

 仙台七夕も今日8日で三日間の開催が終了しました。

 

 七夕というと昔から雨が降る、雨に祟られるというジンクスがありますが、今年もその通りとなりました。

 三日間とも雨に降られました。かってはそのためにビニールの吹流しとかが出ましたが、やはり七夕は和紙でなければならないということで、竹と紙での七夕飾りとなり、現在に至っています。

 

 写真はサンモール一番町の七夕飾りです。


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