いやあ、きょうも素晴らしい天気となっています。今午後1時半くらいですが、毎日記録している天気の状況について、きのうとほとんど同じくらいなのです。快晴なのです。快晴が二日も連続するなんて珍しい。
tおいうことで、きょう正午の観天望気です。 天気:快晴、雲量:1割以下、気温:26.2度(きのう26.3度)、湿度:57%(きのう47%)、風速:4(きのう3)m/s,不快指数:74(きのう72)となっています。
ということで、妻さんは布団等を2回の屋根に干しました。力持ち(かつ頑健)の奥さんをもつと助かります。
9月もきょうでお仕舞ですねえ。ということは今年度の前半はお仕舞ということです。暦年で言うと9か月が終わって残り3か月ということです。あと2か月もすれば霜が降りたり、ことによると雪も降ったりしてとっても寒い時期を迎えるのですね。なんかぞっとします。
長月が終わって、神無月がやってきます。神無月の次は霜月、そして師走がやってきます。毎年これを繰り返すのですが、年年歳歳人同じからず、ニンゲンは老いて衰えていくわけです。そうなんだよなあ、生きていくということは死にに行くようなものですからね。
死に向かって生きていく、この矛盾不条理、永遠の深く大きいテーマ。しかも、社会はますます生きにくくなっていますし、病気にも掛かりやすくなり医療費の負担もバカになりません。諸物価はどこまで上がり続けるのでしょうか。
ウクライナ戦争をみているとなんともニンゲンというものは愚か極まるものだなと思ってしまいます。どっちみち死ぬのに何で殺しあわなければならないのか!?アメリカや西欧の新型の武器の実験場というか試験場化しています。
武器を提供する方は軍需産業が潤うでしょうし、何といっても直接殺される心配がないわけで、殺しあうのはウクライナ人とロシア人です。ロシアの蛮行は許せないと言いつつも戦いをけしかけている感じも無きにしも非ずで、なんとも非情薄情な世界だと感じています。
これで、もしもロシアが限定的としても核兵器を使うことになったら、いったいどうなってしまうのでしょうか。ニンゲンの愚かさもここに極まれりということ、長嘆息しかありません。
きょう富士山が初冠雪とか朝のラジオで言っていました。富士山のイメージとしては頂上付近に冠雪している富士山ですね。昔は1回は登ってみたいなあと思いましたがもう無理なことです。
この前ようやく県北の農家の方から2022年の新米の案内が届きました。今年はこないなあ、遅いなあと夫婦で話し合っていたところでした。それで早速申し込みの電話を掛けたのですが、まだ稲刈りがすべて終わってはいないとのことでした。
今年は田植えも遅かったということです。手に入るのは10月の中旬前半になるようです。それまで宮城の新米はお預けとなります。今年は「ささにしき」と「ひとめぼれ」を食べようかなと思っています。今まではずーとひとめぼれでした。
その農家の人の案内状ですが、彼の長年の農業の経験から言っても今年は不思議な、不可解な稲作となったようです。「今年は一本の草も出ませんでした、除草機おしもなく楽な米作りでした。」と書いてありました。
(この分流の小魚は結構大きいのです。中には15センチくらいのもいます。あまり大きすぎるとカワセミは食べられないかも・・・。)
「草が何故でないのかわかりません。お盆を過ぎる頃には稲穂を超えて稗が伸びてくるのですが、それもなく稗刈り作業もありませんでした。・・・。田植え後水がにごりつづけて草の発芽をおさえたように思います。」
「「老農人への労り」と精神的な結論にしました。除草剤一回だけの減農薬の田んぼはトンボの羽化の多さにびっくりしました。殺虫剤を使用していないからだと思いますが、これも不思議でした。」
比較はできないでしょうが、我が家でも毎年沢山実る渋柿がほんの数えるほどしか実らず、柿の木の枝だけがすくすくと上空に向けて伸びています。また、イチジクもさっぱり大きくならず、小さいままに何とか半分熟してきたり・・・。
広瀬川の分流沿いの草地では、昆虫類はいっぱい動き回ってはいましたが、カマキリはとうとう見なかった。縞々のショウリョウーバッタも見ていないし、女郎蜘蛛もほとんど見なかった。トノサマバッタはだいぶ前から見られなくなりました。蝶々や河原バッタ、トンボは多いです。
だから今年の自然環境はおかしくなっているということは言いませんが、農家の人の話は重みがあるのではないですか。