鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

沖縄復帰50年

2022-05-15 16:19:13 | 思いつくまま

  (旧大川小学校の2012年3月の写真は今日は掲載(再掲)しませんのでご了解ください。)

今日は過ごしやすい一日でした。暑くも寒くもなく、最高気温は20度のようです。きのう一番大変な会議がまあ何とか無事終了しましたので、きのうきょうとゆったりさせていただいています。息抜きです。

先月あたりからかなあ、日曜日が全く日曜日と感じなくなっています。まあ、建前上は毎日が日曜日ですから、当然と言えば当然なことなのでしょうか。でも、やはりせめて土曜日とか日曜日は平日とは違う感覚で臨みたいというか迎えたいと思うのですが。

きょうは沖縄が本土(という言葉はいやですねえ。本土というと、そういえば北海道でも言われたかなあ。本土かまたは本州と言われたか。学生時代に北海道を一蹴した時ヒッチハイクしたりもしたので、その時の運転手との話で出てきたのですが。)に復帰して丁度50年です。

今朝の新聞の半分以上沖縄関連の記事といては言い過ぎか、三分の一くらいかな沖縄関連の記事は。両面見開きの広告もありましたし。ところで、みなさんは10日に玉城知事が日米政府に手渡した沖縄の建議書をお読みになりましたか。

  

50年という節目の年ですし、その時くらい沖縄の知事の考えを読むというのも、せめて日本人なら最低限の行い、義務と言ってもいいような気がします。その建議書のダイジェスト版を勝手に作りましたので後半に読んでみてください。

   

沖縄と自分との関係を振り返ってみると、高校生時代にさかのぼります。高校一年の時のクラスメートの一人が沖縄に行ったのですね。パスポートを取得して。当時はアメリカの施政権下にあったもので、日本人といえども自由に沖縄には行けませんでした。

   

そういう環境の中でひとりで沖縄に行ったというので大変驚くとともに大したものだと感心した記憶があります。内気な自分にはとても無理な話でした。彼とは深い付き合いはなく、沖縄のことを詳しく聞いていなかったのが悔やまれます。

   

その後高校3年の時かな、現代国語の時間の最初はなぜか一人ひとり順番に黒板に自分が感じたこと等を書いてみんなに見せる(読み上げる)ということがありました。感想文等を書く練習だったのか?

  

私はそのときなぜか沖縄のことを書いたのです。読んだ本は岩波新書で中野好夫の「沖縄問題20年」という新書です。中身は忘れていますが、本の題名と著者名は覚えています。中野さんは当時の高名な英文学者でスイフトなんかの研究者だったかなあ。社会問題についてもたくさん発言していたものです。

  

彼が書いた「沖縄問題20年」、高校3年生ということは18歳になったかどうかですね。昭和22年生まれですから18歳ということはちょうど戦後20年ということになります。その本を読んでえらく感動というか衝撃を受けました。ショックだったようです。

黒板に書いた感想文の出だしを、出だしはまだ覚えています。””日本は占領されている””という書き出しで始まり、黒板の全面を使って正直な感想を書いたものでした。クラスメートの反響はあったように思うのですが、記憶にございません。

以上の2点が私と沖縄との接点ということになりますか。その後は自分なりに沖縄のことを考えてきたつもりです。 では、以下に「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」の私なりのダイジェスト版となります。

(その前に)5月8日の新聞記事 

      見出し: 建議書「基地ない 島実現を」  沖縄知事、日米政府に提出へ

沖縄県は「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」を作成し、玉城知事が10日に上京し日米両政府に提出する、という内容の記事でした。

10日になれば大手の新聞社は当該建議書の全文を掲載するだろうと思っていましたが、そういうことはなかったですね。全文掲載してもいいのになあと思ったのですがねえ〜。それでネットで調べたのですが、新聞社系列のデジタル版では最初の方だけ掲載して、後の大半は“有料会員向けです“なんて表示が出たり、バカにしている。結局建議書前文を入手したのは沖縄県のHPからでした。考えてみれば、最初からそうすれば何のことはなかったのですよね(笑)。

ネット上では、9600字に及ぶとか。大部な建議書だなと思い、クリックしたら表紙を入れて全16ページとのことです。じっくり読もうと思って一応印刷してから読みました。どうしてもアナログ派というか紙派なんだなあと自分でも思います。

 

建議書は大きく5項目に分かれます。

1 復帰時における沖縄と「復帰措置に関する建議書」

2 本土復帰後50年の振り返り

3 いまだ残る課題

4 沖縄の未来に向かって

5 平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議

 

1 復帰時における沖縄と「復帰措置に関する建議書」 では、

琉球政府は、1971年11月の返還協定の国会承認を前に、返還協定、復帰に係る対沖縄施策を取りまとめた復帰対策要綱や・・・沖縄県民の要求や考え方を集約した「復帰措置に関する建議書」を作成し、日本政府・国会に提出したこと。

同建議書においては、基地の島としてではなく、「基地のない平和な島」としての復帰を強く望むことが明確に記されていること。

また、50年前の本土復帰当時は、沖縄県も日本政府も「沖縄を平和の島とする」という目標を共有していたこと。

 

2 本土復帰後50年の振り返り  では、

本土復帰後、5次にわたる振興計画等に基づき、社会資本整備や各種振興施策が講じられてきたこと。

2012年に改正された沖縄振興特別措置法においては、・・・、沖縄振興計画の策定主体が国から県へ移行され、・・・沖縄振興交付金制度、いわゆる一括交付金制度が創設されたこと。

沖縄県の米軍専用施設面積は、復帰時から33.7%減少したものの、この50年間に、沖縄県以外の在日米軍専用施設が大幅に減少したことから、逆に、沖縄県の米軍専用施設面積の全国に占める割合は復帰時の55.8%から、現在の70.3%に増加しており、現在もなお沖縄県に米軍基地が集中し続けていること。

また、沖縄本島周辺には広大な訓練水域・空域が存在し、訓練水域は九州の面積の約1.3倍となる役549万ヘクタール、訓練空域は北海道の面積の約1.1倍となる役954ヘクタールにも達するものであり、かつ、これらの水域・空域は復帰当時からほとんど縮小されず存在していること。

 

3 いまだ残る課題  では、

沖縄県は、歴史的、地理的、自然的な特殊事情を有しており、これらに起因する行政課題は他都道府県とは性質を異にしているため、全国一律の制作によっては十分な効果が得られないなどの問題があること。

米軍の施政権下にあった沖縄では、沖縄線により壊滅した沖縄県営鉄道の復旧は行われず、現在、李機上交通の大半を自動車交通に依存しておりますが、広大な米軍基地の存在や基地による市街地の分断という社会的事情から広域道路網の整備が遅れ、とくに人口や、物流などの産業活動が集中する中南部都市圏の交通渋滞は深刻となっていること。

沖縄の米軍基地に関しては、・・・、米軍基地から派生する事件・事故が跡を絶たず、県民は過重な基地負担を強いられ続け、・・・航空機騒音・・環境汚染なども県民の安全・安心を脅かしていること。

辺野古新基地建設に係る政府の対応は、民主主義や地方自治の問題など、民主主義国家の根幹にかかわる重大な問題を顕在化させたこと

復帰当時、日米安全保障条約や日米地域協定が適用されることで沖縄の米軍基地も「本土並み」になると言われていましたが、日米地域協定は、1960年の締結から一度も改定されず、社会情勢の変化や人権、環境問題などに対する意識の高まり等の中で、時代の要求や国民の要望にそぐわないものとなっていること。

さらに、近年、アジア太平洋地域の安全保障環境の変化を背景に、沖縄の軍事的機能を強化しようとする動きや核兵器の共有、敵基地攻撃能力の保有等のぎろんがみられるようになっておりますが、このような考えは、悲惨な沖縄線を経験した県民の平和を希求する思いとは全く相容れるものではないこと。

このことは沖縄だけの問題ではなく、日本全体の安全保障や日本の将来の在り方、そして国民一人ひとりの生活にも密接にかかわる重要な問題であることをすべてに国民に共有していただきたいこと。

 

4 沖縄の未来に向かって  では、

復帰50年を機に実施した、50年先の沖縄に臨む姿についての県民意見募集においては、自然環境の保全、伝統・文化の継承、子育てしやすい環境整備、人権の尊重、県民所得の向上、平和な社会を求める意見など様々な分野に関する意見が寄せられたこと。

沖縄は、成長著しいアジアに隣接し、人、モノ、資金、情報が集積するアジアの結節点として発展しうる潜在力、独自の歴史・風土の中で育まれた人々を惹きつける魅力「ソフトパワー」を有するとともに、広大な海域、多種多様な海洋資源の存在による海洋施策の拠点としても期待されること。

県民が望む平和で豊かなあるべき沖縄の姿を実現するためには、環境との調和を図りつつ日本経済をリードする経済的なパワーを身につけ、アジア太平洋地域等における信頼醸成や緊張緩和のための平和貢献の地域協力外交を通じて平和の拠点としての他区割をになっていくために取組を進めていく必要があること。

このため、・・・すべての県民が安全・安心かつ健やかに暮らせることができる社会づくり、・・・世界とつながり、時代を切り拓く強くしなやかな自立型経済の構築に向けて、…経済の好循環を生み出す経済メカニズムの構築・強化、・・・人々を惹きつけ、ソフトパワーを具現化する持続可能な海洋島しょの形成に向け…沖縄と類似する地域特性を有する島しょ国・地域との共生に向け取り組んでいくこと。

私たち沖縄県民は、・・・我々県民が描く「時代を切り拓き、世界と交流し、ともに支え合う平和で豊かな「美ら島」おきなわ」の未来に向かって邁進していくこと。

 

5 平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議  では、

沖縄の本土復帰において「沖縄を平和の島とする」ことが沖縄県と政府の共通目標であることを改めて確認し、・・・50年前の「復帰措置に関する建議書」に掲げられた考え方を尊重し、自立型経済の構築及び「基地のない平和の島」の実現に一層取り組むこと。

「沖縄県民総意の米軍基地からの『負担軽減』を実行」するよう求めた建白書の趣旨も踏まえ、在沖米軍基地のさらなる整理・縮小、日米地域協定の抜本的な見直し、基地の県外・国外移設、事件・事故等の基地負担の軽減、普天間飛行場の速やかな運用停止を含む一日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念等、構造的、差別的ともいわれている沖縄の基地問題の早期の解決を図ること。

日本国憲法が保障する「民主主義」や「地方自治」について、・・・日本国憲法に掲げる理念の追求に向け不断に取り組むこと。

我が国を取り巻く国際情勢を踏まえ、アジア太平洋地域において、・・・平和的な外交・対話により緊張緩和と信頼醸成を図ることで同地域の平和の構築に寄与するなど、我が国が国際社会において名誉ある地位を占めるべく積極的な役割を果たすこと。その際、独自の歴史や多様性を持つ沖縄を最大限活用すること。(大文字筆者)

 

読んでいただいたみなさん、ありがとうございます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする