(今日の日)
なんでもきょうは日本が国連に加盟した日のようです。1956年です。そして、戦後初の国産旅客機YS11が完成した日でもあります。1962年です。YS11には一回は乗ってみたいのですが、仙台空港では運行している会社が発着しないようですし。
YS11はその後も何とかうまくいったのに、戦後初の国産のジェット旅客機はいったいどうしたのでしょうか。どこを迷走中なのでしょうか?一時アメリカの空も飛行していますよね。
三菱重工業、あまりに情けないじゃないですか。恥ずかしいじゃないですか。三菱重工の名前が泣きますよ。たぶんもう無理なのでしょうね。やはり、敗戦により飛行機を作る技術がシャットダウンされたために、YS11も大変でしたが、ジェット機となるともっともっと大変だったんでしょうね。
技術の積み上げ、積み重ねと継承がうまくいってないと、開発は不可能に近くなってしまうという証拠でしょうか。こう書くと思い出すのは、原子力ですね、やはり。原子力産業。日本の原発を全廃してしまったら、技術が継承されずに廃れてしまう。
そうなってしまっては日本の陰の悲願?である原爆や水爆を研究し保有することができなくなる。ICBM等に積載することが不可能となってしまう。それは何としても避けたい、そういう思いが日本の保守政界や経済界(軍事産業を中心に)の下層意識に根強くあるからではないのでしょうか。日本のロケット技術は素晴らしいですからね。
そして”99代目”に限らず、日本学術会議をなんとかして軍産複合体というか軍事研究にも積極的に関わらせようという流れは続いているようですからね。なんか話がおかしい方向に行ってしまいました。
今朝方の冷え込みは厳しかったです、きのう同様。道路の雪は踏み固められ、ガチンガチンのアイスバーン?です。いやあ、河原まで歩くのにも一苦労です。すっかり氷の道路と化していました。日が当たるところと当たらないところの差の大きさを感じますね。
でも、日差しがあり、明るい朝方でした。時間の経過とともに薄曇りになってきましたね。まあ、気温は上がりましたので、道路の張りつめられた氷も解け始めてきました。
そして、今朝は可愛いものを見せていただきました。最初は何を作っているのか、単なる積もった雪を使った雪だるまかなとばかり思っていました。その割には製作者は一生懸命でした。そう見えました。
雪の上に座ったりもして熱心に製作中でしたから。こんなに早い朝でも勤めに行かなくてもいいのかなと、余計なことですが、思ったりもしたのです。最初は女子高校生くらいかなと思いましたが。
何にしても、最後にまた雪だるまのそばを通ったのですが、そのときははっきりと分かりました、そうか、干支、来年の干支の牛の雪だるまかと。何とも可愛い雪だるまでした。写真をとりに近づいた時少し話もしました。
何しろ牛の目玉や鼻を表わすのに、下の川にまで行って水の中から黒っぽい石を拾い集めてきたのです。さぞかし冷たかったことだろうと思います。上の写真はまだ完成うではなく、胴体に木の手足がつきます。
お昼過ぎに小学校から帰ってきたときにはまだちゃんとしてありました。子どもたちが帰ってきたらどうなっているか?付け足されるか、壊されるか、あしたの朝までのお楽しみです。
きょう午前、小学校で会議があり行ってきました。4年生と5年生の授業も参観してきました。学校というところは寒いところなので、特に老化ならぬ廊下は長いし、冷え冷えとしています、下ズボンを履いていきました。
2,3年生の時は感じなかったのですが、何か教室がとっても狭く感じられました。といっても我々の時のような60人学級ではないんです。35人です。35人前後が縦7列になって座っています。
隣同士はかなりの密着度のようでしたが、一応は80センチは話しているという話でした。でも、とっても狭く感じましたが、これは子どもたちの体格が大きくなっているからそう感じたのでしょうか。
その割には教室の後ろの方が空いているのです。あとで先生に聞いたら、給食の配膳等のために空けているのだとか。教室の大きさも我々の頃とは違うのかな。昔は二人で一つの机でしたね。
男女一緒に座っていましたが、机はもともと二人分の長さがあり、机の中にものを入れたりするときは、蓋になっている机の表面の板を上にあげる方式でした。今はひとり一人に机といすが割り当てられています。
そんな昔々の若かりし頃のことを思い出しました。今会いたいとすれば、小学校時代の仲間、同級生ですね。みんなどうしているのか?73歳と72歳か。どれだけのひとがもう鬼籍に入っているのか? 60年から61年前の話しとなります。
そういえば今朝の新聞の一面トップは、「小学校の35人学級」というものでした。文科省と財務省の交渉で、来年度から1学年ずつ35人学級にしていくというものです。もともと今は1年生は35人以下の学級になっていて、2年生以上が40人以下の学級となっています。
文科省としては、小中併せて30人学級を要求していたようですが、私はその要求を支持します、財務省には生徒数を減らしたからと言ってどれだけ教育効果があるのかという意見が強く、交渉の結果、小学校だけが順次35人学級にしていくことになったようです。
こういうときこそ、”99代目”が強く出てきて、文科省の言い分を通せばいいものを、もはや99代目にはそれは無理というものでしょう。”99代目”の頭の中にあるのは、経済をいかに回すかということだけでしょうから。
私は、経済は不況だからこそ教育に力を入れ、先生方を厚遇し、先生方の数を増やし、少人数での初等教育から充実させ、基礎学力をこそ身に着けてもらうようにすべきかと思っています。小学校の前から、幼稚園や保育園の充実も必須で、保育士さん等の厚遇も当たり前のこととすべきです。
少子化と言われ、このままでは日本がなくなるかもしれないとまで言われているのに、人口増につながるような方策は生まれてこないし、若い女性の自殺が増えてきているし、子どもの数が少ないのに子どもたちの貧困が問題化するなど、このままでは子どもたちが健全に育成されるかどうか、・・・・。
もう、やはり日本には将来がない!消え去るのみということなのでしょうか。いやはや何ということか・・・・。
これは今年の我が家の渋柿です。右側は焼酎で支部を抜いたままの柿、左側はそうです、干し柿です。こんなに大きい柿が干し柿にしたらこうなりました。日本の近未来の象徴?ですか。
干し柿も、いわゆる干し柿の部類を過ぎて干し干し柿となっています。ここまで凝縮されます。固くなっています。でも噛み応えがあるし、うまいものです。この干し干し柿もきのうでなくなりました。
いやあ、なぜか久しぶりに長くなってしまいました。ここまで読んでくれてありがとうございます。