今午後4時40分頃です。西の空は夕焼けです。三居沢の山に太陽が隠れようとしています。なんか夕焼けは久しぶりのような気がしますが、なんのことはない、それはたぶんこの時間帯にブログを書くということが少なかったからではないかと思います。
きょう午前、3日にNHKBSプレミアムで放送された山口百恵の引退コンサート(於 武道館)最後まで見ました。いやあ、大したものだ、よくできているコンサートです。このコンサートの前から、本人を交えて何回も打ち合わせが開かれたそうですが、さもあらんという感じ、納得です。
3部構成で、やはり最後の3部は当然盛り上がりますが、歌の間の語りもいいし、歌もうまいし、選曲もいい感じ。演出がいいのか。たった一人で最初から最後までステージを盛り上げ、何度も何度も観衆に深く頭を下げ、両手を開いて感謝の気持ちを表し、笑顔や感極まった感じの泣き顔、一拍おいて涙をこらえるシーンなんかいじらしい限りです。
40年前の映像なのですが、とてもそんなに前のこととは感じられません。でも画面の百恵ちゃんはあくまでも若々しい、それを見ている私は、私も40年前に戻れたかというと決してそういうことはなく、テレビの前には喜寿を過ぎた高齢の冴えない男がいて、思わずもらい泣きをしてしまったりして、そこには深く長い断裂があったのですが、でも気持ちは共有できたかななんて思ったりして、なんか書いていることがまとまりませんね。
三浦友和・山口百恵という二人で思い出すのは、ある本ですね。「蒼い時」という題名の本だったと思います。百恵ちゃんの本です。どういう経過をたどって二人は結婚したかというようなことが書かれていたように気がします。
発売されてすぐに買って読んだのですね、私は。そのころからミーハーだったのかも。読んでいった中ではっとしたのは、そこだけページから浮き上がってきた言葉がありました。いまでも覚えているのだから、相当ショック?を受けたのかなあ。
「そのとき二人は結ばれました。」(「その夜」だったかもしれません。)そうか、そうか、と妙に納得し、うれしくなったりしたのですねえ。馬鹿なことをいつまでも覚えているものです。”馬鹿なこと”ということはないですね、もっと”厳かなこと”と言っていいでしょう。
これはどうでもいいことですが、その後、いまから3,4年前に夫の三浦友和さんと映画「救いたい」で共演!?(大震災の避難所となった体育館での出産シーン)しています。(なんという己惚れ!笑)
きょうの「お早う一直線」(生島ヒロシの早朝のラジオ番組)でのゲストは寺島実郎さんでした。今この人が一番?まともで、博識で、物事を俯瞰的に重層的にみられるとっても貴重な知識人ですが、嘆いていました。
「安倍から菅に続く政権の驕り、選挙で勝てばなんでもできるという驕りが目に余る。学問の政治からの独立は重要であるのに、今の日本の状態は官邸レベルの日本、官邸総活躍の時代となっている。」
「俺の日本をつくる、俺の前に出るな、俺の気に入らないことはするな、というように内輪のゲームになっている。内向きの日本」に警鐘を鳴らしています。こんな状態で外交なんかできるのでしょうか。
msnニュースでみたnewsポストからの引用です。
(引用開始)『 経済評論家の浜矩子さんは、「そもそも私たちの生活にどう影響するかを考えるのがムダ」と断じる。つまり、それほど菅首相の掲げる政策は、国民の実生活にそぐうものではないというのだ。
「菅さんが縦割り行政の打破や規制改革をするのは、強いものがより強くなる社会をつくりたいからです。そのためのイメージ戦略に過ぎません。携帯電話の料金が4割下がる代償として、菅さんの思い通りに動く強権的な国家に引きずり込まれるかもしれない。かわいらしい令和おじさんの顔をして、パンケーキをもぐもぐする裏には怖い顔が隠れていると思った方がいい」 』(引用終わり)
菅政権は、安倍以上に陰険陰湿な政権となりそうです。決して弱者の味方なんかではない!竹中平蔵と陰で一体となり、競争原理を導入して、ますます強固な貧富の格差社会、分裂社会をつくり、富をほんの一握りの階層に集中しようと、その先鋒として先駆けていくのではないですか。
恐ろしい社会がやってきますよ、このままでは。今国民はおめでたいことに苦労人の成功者として支持していますが、裏切られるのは目に見えていますよ、何しろ150年前みちのくの藩でありながら薩長に寝返った秋田出身ですから。