何かとても不安定というか変わりやすいというか、はっきりしないいく分肌寒く感じる陽気です。
(午前9時30分頃の様子です。)
午前中なんかいつ降り出してもおかしくない天気だったのに、午後3時近くになってきたら逆に暑いくらいの陽気となりました。 かと思いきやまた風が出てきて、もやって来たり・・・。
きょうは浮世を離れて、ちょっと珍しいものをご紹介します。 今から63年前のものです。
みなさんはご存知でしたか。 地方によっても異なるのでしょうし、裕福か否かでも違ってくるのでしょうが、こういう風習というか習慣があったということを知って欲しいなと思いまして。
縦52.5センチ、横19.5センチの厚手の和紙に墨で書かれています。 『御祝儀申受帳』 です。 これは我的太太(中国語で愛人)が生まれたときに、出産祝いとして周りの人たちから何をどのくらい頂いたかを克明に記帳したものです。
(10本の紅白の紙縒り(こより)で綴じられています。)
表紙には、『 昭和廿五年十月二十三日出生 床上祝十一月十二日執行 御祝儀申受帳 長女 〇△ ◇□子 』 と書いてあります。 1950(昭和25)年10月23日生まれで、床上げは11月12日に行われたということです。 約2週間かかっていますが、何か長いような気がしますが、そんなものでしょうか。
どんなものが贈られたのか興味があるので書き出してみます。
初
一、産着一揃 米味噌
一、帽子 よだれ掛 各一
一、金巾(かなきんorかねきん) 大巾六尺二ヤール
一、金巾 大巾六尺
一、ふじきぬ六尺 帽子一
一、金紗(きんしゃ)八尺
一、ふじきぬ六尺
一、漉(原文は、鹿の下に土)紙一束 トキ色ネール四尺
一、ネール四尺五寸
一、子供毛布一枚
一、金紗チャンチャンコ一枚
一、上ふじきぬ大巾六尺
一、羽二重チャンチャンコ一枚
一、ベビー服一枚
一、ふじきぬ大巾六尺 洗濯石鹸十五個
一、羽二重大巾六尺
一、羽二重並巾八尺
一、ベビーケープ一枚
一、金仟円也 下駄一足
一、栗一貫匁(六百円)
一、醤油一升
一、米二升
一、上布三つ揃一組
ほかに、金伍(五)百円也(4件) 仟円也(1件) 参百円也(1件) あり
どうでしょうか?自分にもこういうのがあると思った方もいらっしゃるでしょうか。
何かすごいなあと感じてしまうのですが。 newoneにはもちろんこういう立派なものはございません。およそ縁のない暮らしぶりでしたから。 仙台空襲で焼け出されて、小さいころはバラック小屋に住んでいたようですし。
義理の父母の実家はともに裕福な家といっていいところです。 そのためなのでしょうか、普段聞いたことのないような品物が並びました。 「金巾」何て初めて知りました。これは平織りの綿布ということですが、すごいのは「金紗」とか「羽二重」ですね。
金紗は練り染め糸で織った絹織物であり、羽二重も絹織物のようです。「ふじきぬ」も絹織物なのでしょうか。
昭和25年は戦後5年目、その頃から「ベビー服」とか「ベビーケープ」なんて言葉が使われていたのが、新鮮で驚きでした。
最後に蝶々の幼虫を。 最初の写真は6月10日の撮影です。
それがきょう18日はこうなっていました。からたちの葉の大きさからみると、1.5倍くらい成長していますか。意外と成長が遅いなと感じます。 このまま無事さなぎから、アゲハチョウになって羽ばたいてほしいものです。