鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

また新発見?!

2012-06-28 15:29:23 | お知らせ

 きょう車検を受けてきました。これで夏の使用は万全ですね。広瀬川は期待薄ですので、久しぶりに山形詣でが多くなるかもしれません。 鳴瀬川や江合川にも行くことになるかも。

 きのう紹介を忘れたものがありました。 すでに何回も収穫してたべているのに。 ナスです。 プラタナスではなくプランターナス。

 

 食物は逞しい。

                

 ついでにもう一つ、柿です。 これも去年同様たくさん実るかも。

 

 今にも折れそうな木なのに。

 午後暑い中、川に行ってきました。 分流で見つけました。 しかし警戒心が強いのでうまく撮れませんでした。

            

 かるがもですか。5,6羽いました。 川にせり出している雑草を隠れ蓑にしています。親が教えたのでしょうか?本能でしょうね。 親鳥はいませんでした。

 

 そしてまた見つけました。メダカです。 アユは見えませんし、苔もついていません。

  メダカの大群です。

 じっくり見てください。かなりいます。

             

 川にはたくさんのメダカが健在でした。あの大増水を生き延びてきたのですから大したものです。メダカでもそうなら、ましてやアユは大丈夫でしょう!!と言いたいところですが、幕を開けてみないとこればかりは、・・・。

 しかし、我が家のメダカはたったの3匹となってしまいました。20余匹もいたのに。水槽の底には死骸は一つも見えません。 金魚の餌と消えたのか? 金魚とメダカの共生は、強制でありよくなかったのですね。

 中洲の本流側の上流付近でこんなものを見つけました。見つけたといっても砂に埋もれていたのですが。 何だと思いますか?

   

 中心部を拡大するとこうです。

       

 何か大砲というか、迫撃砲みたいに感じたのですが、どうでしょうか。この辺には陸軍第2師団が駐留していたので、敗戦のどさくさに紛れて崖の上から川に落としたのかもしれません。 上の写真の左端やや上の部分(フックみたいなところ)を拡大して撮ったのが下の写真です。

       

 この銘板は半分は砂に埋もれていたのですが、砂や小石を落としてみるときっちりと銘が刻まれているのが分かります。

 『明治三十五年製 No.181 大阪砲兵工廠』と読めます。 西暦にすると1902年でしょうか。110年前に製造されたものです。本体は錆だらけですが、この銘板はとってもきれいなままです。 真鍮製だからでしょうか。

 陸上自衛隊に紹介してみるべきでしょうか、警察にしらせるべきでしょうか。

 上に積もっていた土砂が大増水で大きく削られたために露出してきたのではないかと思います。

コメント (4)
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