鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

九死に一生!!

2011-09-07 21:55:21 | 最上川

 きのうのこのブログをご覧になったみなさんは 「驚くべき事態」 を何だと想像しましたか?? 尺鮎が掛かった、また大きなニゴイが掛かった、突然の猛烈な雷雨に見舞われた、 etc etc...  丸一日が経って何とか書くことができるように感じますが、一番肝心なことは思い出せないのです。 どうしてなんでしょうか??

 この写真はきのうもアップしました。左側の瀬の向こうで鮎が掛かったこと、でもその後親子丼となったことを書きました。 そのためまた最初に掛かった鮎にお出まし願ったこと、少し弱ってきたので背バリを付けたこと、まで書きました。

  

 この白泡の向こう側に鮎を誘導するためには立ち込まなければなりません。 丁度足の付け根くらいの深さです。 流れは早く、かつ押しも強いです。 出来事が起きたのは、12時10分過ぎかと思います。

 なぜそうなったのかははっきりしないのです。分からないのです。

 気がついたときには、もう流されていたのです。 多分足を滑らせて転んでしまったのではないかと思います。 でもその時の意識はないのです。 何故転んだのか?何が原因だったのか分かりません。 もしかして意識を失ったのかもしれません。 その瞬間の記憶がないのです、意識がないのです。

 気がついたときには流速にもまれて流されていたのです。 しかも、身体は下流側で、下半身が上流側という最悪の状態でした。 なぜそうなったのか??もしかして下流側に動いた? 釣りの時は左足が下流側で右足は上流側という状況でした。流れに並行にならないと立っていられません。

  

 そこで少し下流側に移動しようと右足を左足にクロスさせたところで、滑るか何かして流速に負けてしまい、倒れてしまった、それも体重を右側から左側に移している最中ですから、下半身はとても不安定になっていたでしょう、普通なら上体は足元を掬われた形になったのならば上流側に倒れるでしょうが、足元が不安定で(もしかして片足立ちの状態だったかも)、上体が下流側に倒され、流される形になったのかもしれません。

 気がついたときは流れにもまれ、もがいている状態でした。

      (下の写真の中央辺りから流されました。)

  

 竿は9.5メートル、引き船は7.0リットル、タモは径が39センチの目が細かいタモを身に付けていました。 度付きの偏向サングラス、シマノの帽子を着用し、タイツはウエットタイツです。スリムウエダーではありません。 長袖シャツに手甲を付け、仕掛け等が一杯入ったベストを着用していました。

 何度かこのブログで書いていますが、私は泳げません。自慢ではないですが全く泳げないといってもいい状況です。 数年前スイミングに通い、クロールは1回の息継ぎまで、背泳ぎはそれなりに泳げるようにはなったのですが、これはあくまでも流れのないプールでのこと。 6日は一杯着込んでいたし、引き船やタモも身に付けています。竿も持っています。

 何よりも生きた川であり、流れが強く、押しも強い川なのです。しかも結構水深もありました。 プールでの練習は役に立ちません。 でも””何とかしないと””という意識は強くありました。 だから一杯もがいたのでしょう。 流されながらこれはヤバイ!!態勢が拙い、最悪だ!!これを何とかしないといけないと思ったことは覚えています。

  

 当たり前ですが波がまともに顔面にぶつかります。容赦なくぶつかってきます。 焦ります。 水を飲みます。最上川に限らず川の水をこんなに飲んだのは初めてです。 何とかしないと、このまま流されたら本当にヤバイ!!水死してしまう!!日頃一緒に働いた人には、水死するなら鮎釣り師としては本望だ、なんて言っていたのですが、その時はこんな形では死にたくないと必死でした。

 もがきます。 顔を水面に出そうとします、 息がつけるように。 左手を使って何とか立ち上がろうとしますが、流速の方が強かったです。 そのときはまだ右手は長い竿を持っていたと思います。 だから左手一本で何とかしようともがいたのでしょう。 ことここに至っても竿を離そうとしないなんて鮎釣り師の鏡ではないですか!バカな話しですが。

 (左端上部に石の河原が見えますが、その手前で何とか立ち上がれました。)

  

 いくらもがいても掴まるところはないし、浅くもなりません。 必死に首を長くし、上を向いて呼吸を確保しようとします。水を飲みます。アップアップのまま、このままで死んでしまうのか、これでオレの人生もお仕舞かと思いました。こうやって水死するのかも、水に流され、弄ばれ水を飲み、呼吸が苦しくなり、体力を消耗して、もはやなす術もなくなり終末を迎えるのか!!そんなことも考えました。考えたというかよぎったというか。

 せめて態勢を逆に、上半身が上流側になれば苦しまなくてすむし、そのまま流れて行くことも可能なのに、でも身体は回ってくれません。 あとで思ったのですが、引船とタモの抵抗が思った以上に強かったのです。流れに乗って所有者の身体を情け容赦なく下流に引きずります。 私の場合、引き船は当然ベルトに括りつけていますが、タモも流されないように手尻ロープでベルトに括りつけています。 この二つの抵抗が上半身を起こすための大きなネックとなっていました。 流れに逆らって起き上がろうとするのに、引き船とタモはそうはさせじと流れとともに下流側に力を入れます。

 こんなことを書けるのも助かったからですが、結果的に竿を持つ右手がフリーになったこと、流れが左に緩いカーブを描いているので一時的に浅瀬になること(そこを過ぎるとまた深くなってしまいます。)がよかったのでしょう、20~30メートル流されたものの何とか流されることがなくなり、立ち上がることができました。

 助かったのです。死なずにすみました。 正直嬉しかったです。 助かった、よかった、本当によかった、・・・・。首筋が重苦しいです。左手が何箇所か痛みます、怪我をしています。 顔を水面に出そうと必死だったために首の後ろ、頭の後頭部が重苦しいのでしょう。後頭部だけでなく首の前の顎付近も重苦しい。普段使う以上に使ったために筋肉痛になったということなのでしょうか。

 安堵感と放心状態の中、立ち上がって見えたのは流されていく竿、ダイワの”硬派「剛」早瀬抜95ST”です。芯竿を前にして一直線となって流れて行きます。 帽子もありません。 眼鏡は付けています。 下にガラガケの人がいましたので、大きな声で「竿をとってくれ」と叫びましたが、流れに入っていけないところを流れていき、叶いませんでした。

 ようやく助かったというのに、竿のことを心配するとは呆れてしまいますが、やはり高価な鮎竿は大切なのです。 竿を心配するくらいなら、流されたことも大したことはなかったのではないかと思うかもしれませんが、その時はその時で必死だったのです。 泳ぎが達者な人には流れに逆に流されるという恐さは分からないかもしれません。

     (下流側から流れてきた上流側を撮ったもの)

  

   (これでも水位は8.49で1日よりも減水していました。)

 水温は24度。陽射しがあり全身が濡れても寒くはありませんでした。これはありがたかった。 車のそばで立ち尽くします。 よく助かった、危なかった、ありがたい、恐かった、本当に怖かった、よかった、助かったのだ、・・・・。

 ゆっくり着替えました。(その前に寒河江川の鮎は全て放流しました。元気だったから大丈夫でしょう。) 目が、目の周りが、目の見え方がおかしい!?とくに近くを見ると目の回りが波打っているように見えるのです。着替えてすぐに今起こったことを箇条書きでもまとめておこうと思って、メモ帳を見ると周りがフワフワしているように感じます。 頭はどこにも打っていない筈。そういう大きな石はなかったし。 疲れ、首筋の疲労からくるものか??遠くを見るのには支障は感じませんでした。

 後悔が起こりました。昼が近くになった頃、疲れてきたし、一服するつもりでいたのですが、2匹目が掛かったもので、それならもう少し粘ってみようかなと思ったのです。 そのとき素直に休憩に入ればこういうことはなかったのに、・・・。後悔先に立たず!です。

 帰宅後、釣り道具はそのままにして、横になりました。 もちろん妻には正直に起きたことを話しました。 呆れていましたが、緊迫感は感じられませんでした。かえってその方がよかったかも。 疲れと頭や首の重苦しさ、目の波立ちがありましたので。 でもすぐには眠れませんでした。興奮していたのでしょうから。

 私にとっては、正に九死に一生です。 これで死ぬのかと思いつつ流され、必死に抵抗もしたのです。結果として助かりました。

 平成13年に購入してから大鮎を一杯釣ってくれた鮎竿「硬派・剛95」ですが、9月6日に流失してしまいました。 私の命と引き換えに流されていったのかもしれません。 10年の使用に感謝です。

 きょう9月7日は父の命日でもあります。夫婦でお墓参りもしてきました。親父も助けてくれたのかもしれません。感謝です。

 もっともっと書きたいことがあったようにも思いますが、長くなってしまいました。 ここまで読んでくれてありがとうございます。 非常 感謝

 

コメント (3)
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