秀策発!! 囲碁新時代

 「囲碁は日本の文化である」と胸を張って言えるよう、囲碁普及などへの提言をします。

余話の選択

2013年11月18日 | 囲碁と、日本の未来。
  囲碁を教えた経験のある人達は、子供に理屈は通じないと言います。その原因の一つは、言葉数の差。いわゆるボキャブラリー不足。いくら丁寧に説明したとしても、その子が知らない言葉を安易に乱用しては、本人に学ぶ意欲があっても理解には繋がりません。

 さらなる問題は、受講者が関心の無い話ばかりをしている指導者が実に多い。例えば子供教室で酒やパチンコの事を話していては、例え講義の合間の余話であっても、ソッポを向かれるのは当たり前。そんな初歩的な配慮にすら全く至らないという実態があるのです。
  例えば企業の営業担当者であれば、経済紙で得た情報や取引先の会社の事を調べる事から始めるでしょう。では、囲碁や学問の場合はどうか。例えば人気講師が使う話題、いわゆる「テッパンネタ」を拝借すると言う方もいるでしょうが、それは止めた方が良い。「テッパンネタの使い回し」は受講者、特に子供にはすぐに感づかれてしまいます。それに何より、指導技術の向上には全く役に立ちません。
  名指導者と言えば、兵庫県の名門・灘高校の国語教師、橋本武先生。戦後の頃から、『銀の匙』や『徒然草』と言った名作を、一語一語もおろそかにはせず、じっくりと読み進める方法で授業を進めていました。特に作品中のエピソードを追体験するなど、日本人としての歴史・文化・風習を身を持って学ぶ為の脱線を意識して行っていたのです。

  囲碁の技術を教えるだけならそれで事足りるでしょうが、物事を教えるという行為は、学ぶ人に対し何かしらの影響を与えるものです。子供であれば将来がありますし、大人であればこれまでの人生があります。その為、余話の素材探しをするにはそれをよく意識する必要があるでしょう。それに加えて指導者の教養の幅の広さが欠かせません。
 この手法がうまかったのは司馬遼太郎と池波正太郎。役に立つかどうかはわかりませんが、一読の価値はあるでしょう。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。