少年の日々

はじめて考えるときのように

ココロころころ

2005年01月29日 | Weblog
大学時代の友人と飲んで、あまりに心地が良くてにやにやと半笑いを浮かべていたら「なんかずーっと笑っているよね」と、誰かに突っ込まれたけど、それでもやっぱり心地が良かったので笑っていた。
正直厳しい精神状態で昨日の飲み会には臨んだ。仕事とはなんなのか、わからないし、話せる先輩もいないし、ココロがどんどん孤独になっていく。自分のことを肯定してくれる人間がいないことの切なさに打ちひしがれて、あっけなく涙がこぼれる。それでも僕は笑うしかない。取引先に同情なんてしてもらいたくない。新入社員という立場以上のことをやって、それで追いつかなくて弱みは見せられない。

会社に入ると利害関係が強く絡んできて、当然背景にあるものまで見つめて行動しなければならない。見てみぬ振りも、知らん振りも出来るけど、それは地に足が着いていない生き方で、きっと楽しくもない生き方だろう。

なんの利害関係もなく、集まってくる連中はやっぱりいい。自分がそこにいても違和感を覚えなくてすむのは心地がいい。

自分を肯定されたいという気持ちはたぶん、みんな持っているだろう。それを無条件にこなしてくれる集まりや人間は、物凄くあたたかく、強い存在だ。


そんなこんなで、自分が想像している以上にストレス状態にあることが昨日判明したので、今日は係長に直談判したましたが、そこで良い事言ってました。
『仕事が楽しいと感じるようになるには、学生時代に築いていた仕事というイメージが完全にぶっ壊れたときだ。もちろん、とても苦しいことだし、自分のちからで得るものではなく外部の影響によって壊されるわけだからいつになるのか分からない。
その崩された瓦礫の中から、かき分けてやっと見つけられるものかもしれない。』
ということです。
この考え方は斬新で、とても僕一人で唸っていては思いつかないものだった。
僕は自分の築き上げたものを壊すのが怖くて仕方がない。これを壊すのが仕事であるならば、そんなものに価値はあるのだろうか。そんなことばかり考えていた。その壊れた先に何があるのか、それはくだらない大人への階段くらいだろうと思っていた。

確かに壊してみなければどうなるか分からない。それはとても怖い。今の自分がどんどん遠ざかっていく姿なんて見たくない。つまらん大人がいっぱいいる中、俺はああはなりたくないと叫んでいたい。本当に、僕はどうしたらいいのだろう?