海神奈川吹奏楽部愛好会ブログ

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寝台特急出雲の旅 その8

2006年02月21日 00時01分00秒 | 出雲廃止
その8 高松へ海を渡る

2006/2/15 神辺12:22発のクモハ105-7に乗って福山へ移動。福山城の隅櫓をバックにクモハ105を撮り雨上がりの福山で郵便局を5局貯金してめぐる。ちょうど福山城を一周するようなコースだ。全部で4Kmは歩いただろうか。結構疲れた。福山駅であなごめしを買い、福山からモハ115-2006 岡オカに乗って岡山に向かう。車内はリニューアルされていてよくわからないがこの2000番台というのは身延線用の低屋根のグループなのだろうか? 車内であなごめしを食べる。煮あなごを茶飯の上に載っていてやわらかくてうまい。

 岡山に着く。ここで家へのおみやげを買う。コンコースの階段の下に岡本太郎が1972年に制作した「躍進」というレリーフがあるけれど誰も見向きもしないのが残念だ。コンコースで何気なく売っていたあなごずしを買う。押しずしらしい。岡山16:13のマリンライナー45号に乗る。下校時間でもありそこそこ混んでいる。車両はJR四国の5006。大元付近が高架化されていた。茶屋町16:32宇野ゆきクモハ213-3に乗る。2両編成でワンマン改造がされている。中間に連結されていたサハ213は廃車になったのだろうか? 備讃ライナー時代に走り慣れた古巣にもどったという感じだ。彦崎駅の長い有効長が宇野が四国の玄関口だったころをしのばせる。ここを24系客車の瀬戸も走ったのだ。

 宇野に着きフェリー乗り場に向かう。いろいろな行き先のフェリー乗り場が並んでいる。いつも利用する宇高(うたか)国道フェリーまで歩くのが億劫だったので今回は四国フェリーに乗る。四国フェリーは以前一度乗ったことがあるような気がするが、いつの間にか本四フェリーと共同運行になり宇野-高松航路は3社から2グループでしのぎを削るようになっていた。以前乗ったことのある下津井-丸亀航路など知らないうちに消えたフェリーが多いことに今回の旅を計画するに当たり気が付いた。やはりみんな瀬戸大橋を渡るのだろうか? 宇野17:16の高松ゆきは第八十五玉高丸(四国フェリー)でゆっくり後進離岸して出港する。夜間航行になるので客室全面のカーテンは閉められている。雨が降ったり止んだりの天気なので視界が悪くレーダーがなかったら欠航しているところだろう。瀬戸内海を東西に航行する船はかなり多くそれをかわしながらの航行は神経を使うことだろう。船内売店では讃岐うどんを売っており宇高連絡船のデッキで売っていた讃岐うどんをしのばせる。かもめが船の回りを飛んでゆく。約1時間で高松の町の灯が見えてきて船尾から着岸した。

 しとしと雨の降る中コトデンの高松築港駅にゆく。新装してから初めて高松築港駅に来たが前に比べてかなりコンパクトになったという印象だ。元 京浜急行1000系が黄色く塗られて止まっている。自動改札機があるが、これは同社のICカードIruCaの読み取り専用で乗車券を入れる口がない。青緑のこの自動改札機は京浜急行と同型同色なのであたかも京浜急行の小島新田駅あたりにいるような錯覚を覚える。
 新装なったJR高松駅に行く。広々としたコンコースに頭端式のホームはヨーロッパのターミナル駅を思わせる。入場券を買って入りキハ47.58.65、1000、マリンライナー、113系を撮る。キハ58.65がまだ残っていたとは感激だ。乗れないのが惜しい。各普通列車にはNHK大河ドラマ 功名が辻のヘッドマークがついている。コンコースにある連絡船うどんを食べた。せっかく四国に来たのに短時間で撤退するのはもったいなく思う。
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