昨日まで、「雨に思えば」と題して、アフリカの雨事情についてお話してきた。脱線であるが雨にまつわるフランス語小話を二つ。
◆hivernage
まず、雨期について。アフリカ人と話していると、雨期を示すことばとしてhivernage(イベルナージュ)を使う。本来、冬季、または冬の寒い時期をやり過ごす意味合いで用いられる単語だが、アフリカでは、どんなに蒸し暑くても雨期をhivernageと表現する。はじめは違和感を感じた。
手元のプチロワイヤル仏和辞典でも、「越冬、冬ごもり」と合わせて、「(熱帯地方の)雨季」という意味が載っている。さらに手元にあるLarousse仏仏辞書をあたってみると、こう定義が書いてある。
P�riode pendant laquelle les animaux d'�levage sont nourris avec des fourrages conserv�s.
「家畜が貯蔵された飼い葉で養われる期間。」
なるほど。寒い冬だけを指す単語ではないと理解できる。
◆雨に唄えば
アフリカとは少し離れるが、アフリカ往復はそれだけで40時間くらい飛行機で過ごす。ンボテは普段からたくさん映画を見る方ではないが、たまに機内でも映画をみて過ごす。
ンボテは、いわゆる名画の部類にはいる、古ーい映画が好きだ。楽しみは、そんな映画を、フランス語であえて見ることだ。とくにンボテが好きなアメリカンPOPな「アメリカン・グラフィティ」、ジョン・トラボルタの「グリース」をフランス語でみると、これが実に滑稽だ。全くフヌケで、ヤンキーの迫力にかける笑。とくにケンカシーンは絶頂オモシロい。
考えさせられたのは「雨に唄えば」。英語ではご存知のとおり、'Singin' in the rain'だ。これ、主語がよくわからない。ただ、雨にうたれながら舞い踊る、ジーン・ケリーの姿が思い浮かぶ。
(雨に唄えば、英語版)
この映画、フランス語タイトルでは'Chantons sous la pluie'となっている。Chantonsなので主語はnous=一人称複数だ。こうなるとイメージは少し異なる。むしろ、ジーン・ケリー、ドナルド・オコナー、デビー・レイノルズの三人が揃って、傘をさしてレインコートで唄うシーンが連想される。
(雨に唄えば、フランス語版)
もう一つ、'sous la pluie'。仏語表現のニュアンスの違い。'in the rain'だとまさに雨が降りしきる真っ只中で歌っているようなイメージを持つが、'sous la pluie'だと、何か雨を待ち受けているような、包まれているような、少しふり方が違うような気がするのだ。私はそこまでの仏語づかいではないので、ぜひ専門家のご意見を聞いてみたいところだ。
そこへいくと、邦題の「雨に唄えば」。語感といい、余韻といい、絶妙である。歴史に残る名画、日本での普及という意味では、この邦訳によるところも大きいのではないかと思えてくる。偉大なる翻訳である。
(おわり)
◆hivernage
まず、雨期について。アフリカ人と話していると、雨期を示すことばとしてhivernage(イベルナージュ)を使う。本来、冬季、または冬の寒い時期をやり過ごす意味合いで用いられる単語だが、アフリカでは、どんなに蒸し暑くても雨期をhivernageと表現する。はじめは違和感を感じた。
手元のプチロワイヤル仏和辞典でも、「越冬、冬ごもり」と合わせて、「(熱帯地方の)雨季」という意味が載っている。さらに手元にあるLarousse仏仏辞書をあたってみると、こう定義が書いてある。
P�riode pendant laquelle les animaux d'�levage sont nourris avec des fourrages conserv�s.
「家畜が貯蔵された飼い葉で養われる期間。」
なるほど。寒い冬だけを指す単語ではないと理解できる。
◆雨に唄えば
アフリカとは少し離れるが、アフリカ往復はそれだけで40時間くらい飛行機で過ごす。ンボテは普段からたくさん映画を見る方ではないが、たまに機内でも映画をみて過ごす。
ンボテは、いわゆる名画の部類にはいる、古ーい映画が好きだ。楽しみは、そんな映画を、フランス語であえて見ることだ。とくにンボテが好きなアメリカンPOPな「アメリカン・グラフィティ」、ジョン・トラボルタの「グリース」をフランス語でみると、これが実に滑稽だ。全くフヌケで、ヤンキーの迫力にかける笑。とくにケンカシーンは絶頂オモシロい。
考えさせられたのは「雨に唄えば」。英語ではご存知のとおり、'Singin' in the rain'だ。これ、主語がよくわからない。ただ、雨にうたれながら舞い踊る、ジーン・ケリーの姿が思い浮かぶ。
(雨に唄えば、英語版)
この映画、フランス語タイトルでは'Chantons sous la pluie'となっている。Chantonsなので主語はnous=一人称複数だ。こうなるとイメージは少し異なる。むしろ、ジーン・ケリー、ドナルド・オコナー、デビー・レイノルズの三人が揃って、傘をさしてレインコートで唄うシーンが連想される。
(雨に唄えば、フランス語版)
もう一つ、'sous la pluie'。仏語表現のニュアンスの違い。'in the rain'だとまさに雨が降りしきる真っ只中で歌っているようなイメージを持つが、'sous la pluie'だと、何か雨を待ち受けているような、包まれているような、少しふり方が違うような気がするのだ。私はそこまでの仏語づかいではないので、ぜひ専門家のご意見を聞いてみたいところだ。
そこへいくと、邦題の「雨に唄えば」。語感といい、余韻といい、絶妙である。歴史に残る名画、日本での普及という意味では、この邦訳によるところも大きいのではないかと思えてくる。偉大なる翻訳である。
(おわり)