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摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

ダンプ2台分の黒土

2009-06-03 22:37:25 | 気づき
引っ越してきてから、約2ヶ月。
先月はバザーがあったり、友達が泊まりに来たりという
片づけを進めなくてはならない事情があったので、
ほとんどその作業に没頭していました。

先月末からは、赤ちゃんが逆子になったり、
切迫早産の危険を言われたりで、
だいぶペースダウンしましたが、
なんとか落ちつける環境ができつつあります。

それでも、以前の記事でも紹介したお気に入りの本、
「シンプルライフをめざす基本の家事」を開けてみると、
もっと空間的にも、時間的にもすっきり暮らしてる
達人たちの話が載っていて、まだまだだなぁと思ってます。


でも、私もがんばったよなぁと思いなおしました。
クローゼットや押入れからあふれていた服はなくなったし、
食器もカウンターワゴンに納まる分だけにしました。
本も、リビングと書斎の本棚に納められたし。
片づけ前のあの物量から、この期間、この体の状態で
ここまでやれたんだから、なかなかじゃないかな?


家中の片づけをするのは、今回で3回目くらいです。
1回目は、大学を休学中に実家を3ヶ月くらいかけて
徹底的に片づけしました。
2回目は、結婚前に今の家に引っ越してきた時。
床が見えないくらい散らかっていたところへ、
私の大量の荷物が運び込まれて大変な状況でした。
そして、今回。

我ながら、それだけの作業を何度もできるのは
なぜだろうと思った時、
小さかった頃のことを思い出しました。
それは、自宅の庭がまだきれいにできあがってなかった頃、
父が大型ダンプ2台分の黒土を庭に入れたことから始まりました。
山からそのまま持ってきたようなその土は、
雑草の根っこやら石やらがたくさん入っていて、
それからというもの、私たち家族は週末になると
土からその根っこや石を取り除く作業に追われました。
ひどい時は、家の前の通りを着飾った初詣のお客さんが通る中、
そんな作業をやってました。
あの作業が終わったのは、結局何年後だったか。
とうとう黒土の山がなくなったときは、
感動というより、なんだか気が抜けた感じがしました。

でも、今片づけとか膨大な作業があっても
ひるまないでいられるのは、
きっとあの時の経験が影響してるんだろうなと思えるのです。
当時は、みんな父にぶーぶー文句言ってましたが、
こんな教訓をもたらしてくれたようです。
ありがとうね~、お父さん。

黒いサングラス

2009-05-26 23:05:39 | 気づき
先日、お腹の赤ちゃんがかわいく思えないと書いた後、
そう言っている自分自身に何か違和感を感じてました。
あまりかわいく思えないというのは事実だったんだけど、
なんかあえてそれを強調して周りに訴えたい
自分がいるような感じがしたのです。

以前、泰三さんのワークショップで当たった時、
子育てと仕事の両立の話になり、
「別に好きで結婚して、子どもつくったわけじゃないし」
みたいなことを言いました。
その言いぐさを聞いて、泰三さんに
「悪ぶってる」と言われたのを覚えています。

今回も、私の中の何かが「悪ぶってる」ようでした。
インナーチャイルドのいやしが進んでいくと、
その子の年齢が上がっていくそうですが、
確かに今の私のインナーチャイルドは、
思春期の子のような感じがしていたので、
そう考えると悪ぶる印象は納得がいきます。

でも、なぜ私はいつも悪ぶりたいんだろうと思った時、
チャック・スペザーノ博士のセルフセラピーカードに出てくる
「ダークストーリー」という言葉を思い出しました。
それは、期待してそれが裏切られた時がっかりするのがいやだから、
最初から最悪のことを考えるというような意味を持っています。
私は、「自分は善人なんかじゃないんだから、
いい人ぶるな」と思っていたようです。
同時に、「お腹の赤ちゃんがかわいくてしょうがない」
のようなことを言う他の人に対しても、
「いいお母さんぶるな」と苦々しく思っていたみたいです。

「ダークストーリー」のことを思い出した後、
さらにもう1つのことを思い出しました。
ある時、「難しいと思うから、難しいんですよ」
と言われて、すごくカチンと来たことがありました。
一生懸命やってるのにできない自分を
バカにされたような感じがして、
「どうせ私はできないよ」とむかっ腹を立ててました。

思い出した2つのことに共通するのは、
私は世界をどう見るのかという意志の問題だと気づきました。
よく言われるように、
世界はその人がかけているメガネの色(=観念)に
染まって見えるものです。
私がかけていたメガネは、「世の中そんなに甘くない」とか
「この世はままならない」といった色だったようです。

でも、もし現状を変えたいと思うなら、
今までと違うことをする必要があります。
いい加減、そんな黒いサングラスははずして
つっぱって悪ぶるのをやめて、
「何とかなるさ」という明るいメガネなのか、
裸眼であるがままを受け入れるか、
そんな態度に変えた方がいい気がしました。


この気づきがあったのは昨日だったのですが、
何か大きな気づきだった気がするのに、
うまく表現できないでいました。
でも、今日散歩していた時、
ステレオグラムのたとえを思いつきました。
ステレオグラムというのは、10年近く前に
「マジック・アイ」などの名前ではやったもので、
目の焦点をずらすと立体画像が浮かび上がる画像のことです。
私はステレオグラムを見るのも苦手なのですが、
これも「どうせ私は見えない」と
最初からあきらめているところがありました。
トリックアートでも同じですが、
一度そう見えたと認識したものは、
なかなか別のものには見えません。
でも、一度持ってしまった認識をとりはずしてみたら、
別のものが見えてきます。
持っていた執着を手放すと新しい展開が始まるという
心理学の大きなテーマに通じることです。


私が明るいメガネをかければ、
世界は明るくなるということが腹に落ちたので、
今日からはそう心がけています。
そうしたら、本当に小さくてもいろいろありがたいことや
すてきだと思えることが見つかりました。
そういう世界の見方を
ずっと続けられるようになろうと思います。

「フレッシュプリキュア!」に見た投影

2009-05-24 23:55:44 | 気づき
週末の朝は、アニメ三昧の息子と一緒に
今朝は「フレッシュプリキュア!」を見てました。

息子に付き合ってこの番組を見るのは、まだ数回目。
今日の話では、ふだんラブに面倒を見てもらっている
シフォンの面倒を美希が見ることになりました。
シフォンは、「スイーツ王国」から来た
赤ちゃんなんだそうですが、
その赤ちゃんに振りまわされる美希の姿を見て、
「これ、私じゃん」とすぐに思いました。

ふだんは完璧にヘアスタイルを整えているというのは
だいぶ私とは違うけど、
完璧主義は通じるところがあるし。
鏡台の上の化粧品を赤ちゃんのシフォンに倒されて、
マジで怒ってるところとか、
息子のミスとか悪ふざけにも
すぐかっとなる私にそっくり。
子育てがうまく行かないと悩んで、
本などで調べまくるのも似てる。
そして、いったんうまく行くと、
調子に乗って厳しく行こうとするところも。

結局、行方不明になったシフォンを
本気で心配する気持ちが伝わり、
美希(キュアベリー)はシフォンから新しい力をもらい、
めでたしめでたし、となりました。


お腹の赤ちゃんにあまり愛情を感じられないと思ってたら、
こんな形で神様からヒントをもらったのかなぁ。
自分自身のことを直接的に言われても
人はなかなか受け入れられないから、
漫画やドラマの話をたとえに使うとよく理解できるって
泰三さんも言ってたからなぁ。


ところで、また赤ちゃんの位置は動いたようで、
胎動がお腹の下のほうではなく、右横の方になりました。
横を向いてるのかな?
少し動いてくれたみたいなので、
今日はいろいろしゃべりかけたりしてみました。
お風呂の中で息子が遊んでいたボールを
赤ちゃんに貸してあげると言うので、
お腹の上でごろごろまわして
「お兄ちゃんがボール貸してくれたよ~、キックしてみて」
と言ったら、ボールのあたりがぼこっとなりました。
こうやって反応が返ってくると、
かわいく思えてきました。

出産まで残りの1ヶ月ちょっとの期間、
他の用事はほどほどにしながら、
自分自身や赤ちゃんと向き合う時間を作りたいです。


服の断捨離

2009-04-24 00:02:56 | 気づき
久しぶりに断捨離の話題です。
岐阜に帰ってから、
やはりさらなる断捨離が必要になりました。
特に服が多すぎてクローゼットに入りきらなかったので、
納まるように減らしました。
今でもまだ、夫も私もかなりの衣装持ちだと思いますが、
とりあえず第一段階が終わったところです。

ところが、お腹がだんだん大きくなるにつれて、
今持っている服では対応できなくなってきました。
しかも、岐阜に帰ったら急に暑くなったので、
夏用のマタニティが必要になりました。
前回のお産は冬だったし、
姉からもらったマタニティは私の趣味じゃなく、
ちょっと着る気になれなかったので。

それで、今持っている服を整理して、
当面マタニティとして着られるものをまず選び、
足りないもの、持っているけど新しいものと
入れ替えたいものを把握することにしました。
でも、よくよく考えたつもりでも、
またしばらくすると、やっぱり必要ないかも
ということが何回かありました。

そんな時、「なんで私はこれが必要だと思ったんだろう?」
と問いなおしてみると、
「保育園で他のお母さんや先生にだらしない、ダサい
と見られないように」とか、
「もったいない」とか、
やっぱり自分を中心に考えていなかったみたいです。

でも、昨日健診を受けて、
今の自分に一番必要なのは
出産に向けて体と心を整えることだと気づかされました。
そして、無理せず体を動かせるような服装を
普段からしていようと思い立ち、
あらためてワードローブを見なおしました。

もともとスカートはあまり履かないけど、
スカートやワンピースは合わせて2,3枚残して
断捨離しようと思いました。
一方で、もっと運動しやすく、涼しげな服を
買い足そうかと思って、
カタログやネットを物色しましたが、
なかなか決心がつきませんでした。

それでとうとう、「もう基本的に買い足さないで、
持ち合わせのものでなんとか間に合わせよう」
と思いました。
そうしたら、なんだか気持ちがすっきり割りきれたようで、
手持ちの服を生かす方法を考える方へ、
意識が向くようになりました。

たとえば、前から持っていたヨガパンツは
ちょっと下の方にずらせば、
まだ何とか入りました。
ヨガパンツは部屋着としても運動着としても心地いいので、
これでしばらくやり過ごそうと思います。
もっとお腹が大きくなっていよいよ入らなくなるまでに、
ご縁があればどこかからいただけるかもしれないし。

明日は、息子と一緒に親子遠足で歩いてきます。
今日と同じように、明日も少し肌寒くなりそうなので、
マタニティではないトレーナーを着ていくつもりです。
今日久しぶりに着てみたら、
お腹のあたりも全く問題がありませんでした。


今回の服の断捨離をとおして、
いろいろ気づきがありました。
必要と思いこんでいることは、
案外あっけなく変わってしまうこと。
何かを買いたいと思った時は、
その時の自分にとって一番大切なことは何か
もう1度問いなおした方がいいこと。
自分のニーズをさらに詳しく問い続けていくと、
自分がそのものに対して要求するレベルも分かり、
それによってどこで買物した方がいいか選べること、など。


ところで、私自身も近々出店したいと思っているので、
今回は何度もオークションサイトをのぞき、
実際に買物もしました。
オークションはまた奥が深そうで、
すごくおもしろそう。
人の心理がいろいろ見えそうだし。
そのうち、オークション出店についても
書く機会が出てくるかな。

妊婦検診

2009-04-23 00:24:56 | 気づき
岐阜へ帰って来てから初めて、
妊婦検診を受けに行きました。
場所は、長男を産んだ神戸町の高田医院。

スタッフの顔ぶれを見て、
ちょっと驚きました。
もう4年も経っているから、
相当知らない顔もあるはずだと思ったけど、
ほとんどが知っている顔だったので。
スタッフが安心して働ける場所なのでしょう。

検診は無事終わって、
赤ちゃんは順調に育っているそうです。
ただ私のほうは、尿にたんぱくと糖が少し出て、
また貧血の薬を処方されました。
体重増加もこの1ヶ月で2キロ。やばっ

2週間前に金沢で心理学ワークショップに出たとき、
まだ1ヶ月しか経ってないのに、
「顔が丸くなったね」と言われたりしました。
自分で鏡を見てみたら、あごをひくと
すこし二重あごになりそうな感じ。。
何より、脚の肉のつき方がすごいんです。
先日脚がむくんだ気がしたので、
夫に脚をマッサージしてもらったら、
「脚の太さが今までと全然違う」と言われて、
さすがに焦りました

でも、いろんなところに肉がついていくのは、
それだけお産に必要なエネルギーを
蓄えようとしているようにも思えます。
なにせ、前回のお産は26時間もかかり、
その間ほとんど何も食べる気がしませんでした。
前日にいやというほど食べていたので、
なんとか乗り切れたのかな?


検診の後は、妊婦のためのヨガ教室に参加しました。
前回のお産の時も参加していたものです。
久しぶりにやるヨガは、とても気持ちよかったです。
引越しやそれに関連して必要な手続きなどに追われて、
自分の体のことは後回しになっていたことに
あらためて気づきました。
いつもやっていたレイキの呼吸法さえ、
3月の半ば頃からサボッてます
ヨガでゆっくり体を動かしたり、呼吸してみたら
自分の体の小さな声を聞くことができました。
少し痛いとか、気持ちいいとか。

それを感じた時、体の声を聞くのは、
夜空の星を見るのに似てるなぁと思いました。
周りが明るいと本当に明るい星しか見えないけど、
郊外の山などに行けば、
小さな星までたくさん見えます。
今日は、身の回りのどたばたを一時横において、
今まで聞けていなかったからだの声を聞けたみたいです。
そういう声にいつも耳を傾けていれば、
「急に体重が増えた!」とか言って、
焦ることもなかったのかも。

そういえば前回は、お風呂から出た後毎日ストレッチをして、
妊娠線ができないようにマッサージもしていたけど、
今回はどちらもやっていません。
腹帯を巻くようになったのもごく最近のことで、
それまでは急激に大きくなってきたお腹の皮膚がひっぱられて
けっこう痛かったです。
一方で、前回は直前まで市民運動などに関っていて、
お産へ向けて心と体の準備があまりできていなかった気がするし、
難産だったので、今回こそは安産になるよう
体を整えようと思っていたのですが。。
自分や赤ちゃんのことを後回しにしちゃってるかなぁ。

まだ2ヶ月以上あるので、
これからできることは何でもやってみたいと思います。
もうあの苦しみは、2度と味わいたくないですから


追記:
小さな声に耳を傾けると言えば、
昨日書いた息子の話にも通じるものがありそうです。
心理学の仲間から、今日メールをもらい
「大人同士が連絡しあうより、
子どもの心の声を聞いてあげて」って言われました。
昨日の日記を書いた後、
何か自分でも何か引っかかるものがあり、
心理学の仲間から誰かつっこんでくる人が
いるんじゃないかと思っていたところでした。
書いたから指摘してもらえたこと、
指摘してくれる仲間がいること、
どちらもうれしかったです。

シングルタスク

2009-04-14 23:08:00 | 気づき
ながらくご無沙汰しました。
引越しの後、ようやくブログを書く
気力と余裕が戻ってきました。

ブログを書かなかった間こそ、
ネタになるようなもろもろのことがあったのですが、
息子の入園の準備と体を休めることだけで
精一杯でした。

以前働いていた会社の同僚が私のことを、
「シングルタスク」と呼んでからかっていました。
一度に1つの仕事しかできない「シングルタスク」の
昔のコンピューターみたい、という意味です
一方で、自分ではそう思っていませんでしたが、
私は完璧主義だとも言われます。
もしかしたら、1つの仕事をきちっと終わらせないと
次に移れないという完璧主義があるから、
「シングルタスク」なのかもしれません。

今度の引越しは、この性癖のために
うまくいかなかった点があるように思います。
3月末は金沢にいる間にしかできないことをやろうと思って、
人と会うことを優先していました。
それはよかったのですが、
同時に残っていたパッキングなども
少しずつ進めておけばよかったなぁと思うのです。
引越しのような大きなイベントの時だからこそ、
ブログなどで記録しておきたかったとも思います。

でも、体力を消耗したからか、
また副鼻腔炎が出てきたし、
前回の妊娠ではなかった脚のむくみも出てきたので、
やはり無理はしないほうがよさそうです。
今日は途中2回昼寝して、
脚をできるだけ下に下ろさない姿勢にしながら、
荷物の整理をしました。
おかげで体に負担をかけずに、
ずいぶん仕事がはかどりました。
明日からは、ようやく自分たちのフロアで
寝られそうです。
この調子で、ぼちぼち進めていきたいと思います。

役割意識を持つと

2009-03-24 23:18:20 | 気づき
昨日、女性センターで打ち合わせをした時、
ロビーの壁にかかっていた
石川県の男女共同参画に対する意識調査結果を
見てみました。
詳しい数値は覚えてませんが、
掲載されていた最初の年、平成2年に比べて平成17年頃では、
「男は仕事、女は家庭」という男女の役割意識が
ずいぶん減っているなと感じました。

ところが、愛知県が昨年9月に行った意識調査では、
10年前に比べて「男は仕事、女は家庭」という考えに
賛成の人が6%増えていたそうです。
特に20代の男性でその数が増えていて(53%)、
30-50代に比べて2-10%も高いのだそうです。
ところが、20代女性では逆に反対派が52%と過半数で、
男女の意識のずれがくっきり出ているそうです。

ずっと小さくなりつづけていたはずの男女の役割意識が
復活しつつあるのは、どうしてなんだろう。
男女共同参画を特に教育の場で教えることが
減ってきたという話も聞きますし、
各地の自治体ではこれまで独立していた
男女共同参画に関する部署が
他の部署と統合されたりという動きも少なくないようです。
そんな政策の後退の影響もあるでしょうし、
若い世代はネット上の保守的な意見へ
触れる機会が多いからかもしれません。

心理分析では、声高に主張することほど
潜在意識では逆のことを思っているとされています。
そう考えると、「男は仕事、女は家庭」を主張する若い男性たちは、
上の世代より「男は仕事、女は家庭」と言いきる自信が
逆になくなってきているのかもしれません。

以前の私は、女が立てなきゃ立たない男なんて寝かせとけって
思ってました。
まぁ、今でもそう思ってしまうことは多々ありますが、
最近は男にも女にも何かしら、(おそらく生物学的な)深い部分から
何となく感じてしまうものがある気がして、
それはそういうものだと受け入れた方がいいんじゃないかと
思うようになりました。
「男は外で働いてきて、女に頼られる、役に立つ存在でいたい」
という願いも、そんなものの1つではないかと感じてます。

とは言え、そんな傾向があることを理解しながらも、
「男は外で働き、女は家庭を守るべき」という
固定観念にとらわれてしまったら、
男性も女性もきゅうくつだし、もったいないと思います。

私の知り合いで、
ビジネス面の才能がある女性が2人います。
彼女たちは、泰三さんに
「本当にやりたいことをやっていないから、
感覚が麻痺してる、自分の価値を感じられない」
というようなことを言われいてます。
この2人のことを昨日ふと考えていて、
彼女たちの本当にやりたいことって何なんだろうと
思っていました。

その時、思い当たったのは、
2人とも何となく「男を立てて、女は家庭を守る」という
考えを持っていそうな印象があったことでした。
だから、本当はそれぞれのパートナーより
ビジネス面では才能があるのに、
その才能を発揮することを抑えているようなのです。

私のもう1人の友人も、とても才能豊かで
最近はメディアでも取り上げられるほどなのですが、
「もう5年もしたら、私はまた家庭に入らなくちゃ」と言うので、
びっくりしてしまいました。
義父母の介護が出てくるだろうから、と言うのです。
でも、彼女には外に出して形にしてこそ
社会に役立つアイディアがたくさんあります。
一方で、義父母を彼女以上の経験、スキルで
確実に介護してくれるヘルパーさんもいるでしょう。

田中優さんも先日の講演で、
似たようなことを話していました。
日本の女性たちは毎日
今日は和食、明日はイタリアンなどと
すごい努力して食事を作っているけど、
いくつかの家庭が集まって交代で食事を作れば、
1人の主婦が食事を作る頻度は低くなり、
コストも抑えられる。
もし食事を作るのが得意な人がいれば、
その人にお金を払って代わりに作ってもらえばいい。
要は、もっと発想を自由にして、
自分自身を囲んでいた枠をはずそう、
そのためにお金を使おうということです。

人には本当に輝ける場があると私は思います。
それは男だからとか、女だからとかではなく、
あくまで千差万別の個人の資質にかかわることです。
固定観念にとらわれず、
本当の自分自身を輝かせられる社会になっていくといいなぁ。
お腹の中の子が女の子だと分かった今日は、
しみじみそう思います。

水ぼうそう、おめでとう

2009-03-17 22:45:14 | 気づき
昨日、mixiの「ナチュラル子育て 愛知&岐阜」のコミュで
おもしろいコメントを見つけました。
マイミクの友人が、「うちの子に水ぼうそうが出ました」と
トピックで書いたところ、
また別の友人が「おめでとう!」と書いていたのです。

見る人によっては、「なんで子どもが病気になったのに
『おめでとう』なの!?」と思われるかもしれません。
でも、自然な育児をしたい人たちの間では、
できるだけ予防接種ではなく、
小さいうちに本物の病気にかかって、
しっかり免疫をつけたいという人が少なくないようです。
私もそんな1人です。

このトピックとそれに対するコメントを見ていて、
ふと思いました。
本当は、水ぼうそうなどの病気に小さいうちにかかっておくと
大きくなってから他のもっと重い病気に
かかりにくくなるんじゃないかな?

熱が出るのは体がばい菌を殺そうとするため。
湿疹などが出るのは体内の毒を
皮膚から出そうとするため。
もともと体にはその時点で最適な状態に保つための
機能が備わっているという考え方が、
私にはしっくり来ます。

今日はこれから、2つほど別の記事も載せようと思いますので、
珍しく短いです

打ち上げとワークショップ

2009-03-15 23:47:29 | 気づき
今週末は金沢在住中に参加する
最後の心理学ワークショップや
心理分析士養成講座のパンフレット作成プロジェクトの
打ち上げがありました。

講座の最初の日まで誰が受講するのか
最終的には決まらないと言われていたので、
何人集まったのかとても気になっていました。
結局17人の受講生が集まったそうです
パンフレットを作ろうと決めた最初の打ち合わせの最中に、
泰三さんは18人集まるという直感があったそうです。
ほとんど当たったようなものですね。

私が嬉しかったのは、私が提案したことから
作成が始まったこのパンフレットが、
「1000万円の経済効果がある」と
泰三さんに言ってもらったことです。
ただの自己満足ではなく、
それだけお金を払っても価値を認めてくれる人が
いるだろうと、事業のオーナーに言ってもらったことが
とてもうれしかったのです。


そんなわけで、パンフレット作成の苦労も報われ
講座が終わった後も、mixiやML、電話でそれぞれの絆を
深めてきた仲間が集まった打ち上げは、
あっちでもこっちでも、心理分析を生かした
話が盛りあがっていました。
講座終了直後よりも、話していることが
みんな進化しているように感じたのは、
きっと私だけじゃないんじゃないかな?

打ち上げの後は、約半分の仲間が
”合宿”に参加しました。
市内の仲間の家へ集まって、
2次会兼お泊りがてらのおしゃべりをしました。
私は遅刻、早退しましたが、
家族や友人の協力もあり、参加することができました。
一番の山場の部分に参加できなかったのは残念だったけど、
今日のワークショップの前に
この”合宿”があったおかげで、
ワークでより進んで気づきが得られるような
準備ができた気がします。


そして、今日のワークショップは
私にとってまた大きな気づきがありました。
1つのセッションの心理劇の最中に、
Bette Midlerの"Wind Beneath My Wings"が流れ、
その歌詞を意訳した泰三さんの朗読を聞いていたら、
はっとしたのです。
「私が鷲より高く飛べるのは
あなたが翼の下で風をおくってくれるから」
という部分で、
まさしく私の母は私が思う存分夢を追いかけられるよう
自分はひたすら地味な仕事をこなしていたことに
あらためて気づかされたのです。
気づいた途端、しゃくりあげるほど泣けてきました。

同じセッションの間にもう1つ気づいたことがあります。
今でも助けが必要な時ほど、
母親に助けを求められないということが語られていた時、
ひょっとして自分も同じでは?と思い当たったのです。
私はめったに母に電話しないのですが、
それは単に私が自己チューで
自分がやりたいことにいつも夢中だからだと思っていました。
でも、それは母自身が私に見せていた態度を
私が真似ていたこともあるのではないかと思えたのです。
その態度とは、「困った時に他人に相談したってしようがない。
自分で解決方法を考えなければ」というものです。
私とは違って、いろんな人に相談する姉を母が見て、
「あの子は、人に相談ばかりしている」と
苦々しく言っていたのを覚えています。
私も母と同じように、自分なりの解決方法を
ある程度考えた上でしか、相談はしてきませんでした。
私がするのは、相談というより、
最後の承認を得たり、背中を押してもらうための
一言をもらうことでした。

先日、友人が遊びに来た時、
自分の口から出てきてびっくりさせられたのが、
「私って、あんまり相談しない人なんだよね」
という言葉でした。
心理分析を学び、
カウンセラートレーニングを受けようという人間が、
自分自身は相談なんてあまりしないって言うなんて!
人に相談しないで、「自立」していることが
いいと考えていたのです。
子どもは親の感情をコピー(真似)すると言われています。
私は母の感情を、姉妹の中でも一番うまく
コピーしてきたのかもしれません。

「自立」した私や母が言えないのは、
「助けて」という言葉だけではありませんでした。
自分の素直な感情全般を、
一番身近で頼りにしたいお互いに対して、
よく表現してこなかったのです。
「ありがとう」「ごめんなさい」「愛してます」
というようなことです。
特に「愛してます」「大好きです」
というような言葉を伝えることは、
考えただけでこっぱずかしくて
身悶えしてしまうくらいです。

そういう言葉を伝える代わりに、
私たちがするのは、物やお金を送ることです。
先日来私がやっている断捨離の中で
不用だと判断したものの中に、
母からもらったものが多いことに気づきました。
母が少しでも私の役に立ったら、喜んでもらえたらという気持ちが
ひしひしと伝わってきてうれしかったけど、
本当はモノより言葉が欲しかったのかもしれない
と思いました。

ちょうど今日のセミナー部分で、
人を変化させるのは感動だと泰三さんが話していました。
人生を3秒で変えられるのは言葉だということも
コピーライターのひすいこたろうさんという方が
言っていました。
私はそういうすてきなプレゼントを
一番感謝すべき人にしてこなかったんだなぁと
思いました。

ワークでいつも練習だけしていて、
実践しなかったら、
いつまでもフライトシミュレーターに乗っている
パイロット訓練生のようなものだと
以前気づきました。
私の母は、あと10日あまりで金沢へ
引越しの手伝いに来てくれます。
私の勇気と覚悟が問われる時が迫っているのかな。

水廻りをきれいにする

2009-03-12 23:28:14 | 気づき
汚されたトイレに入った後、
不快な気分になりながら、
以前小林正観さんの本で読んだことを
思い出しました。
水廻りをきれいにしておくと、
仕事とお金に困ることがないのだそうです。
「なぜ?」と聞くのはだめで、
まず実践してみることと書いてあったように
記憶しています。

とは言え、「なんでだろう?」と
私はずっと思ってました。
でも、今日ふと思いついたのです。
自分が使ったトイレをきれいな状態で明渡せない人は、
きっと仕事でも他人に尻ぬぐいしてもらうんだろうなって。
そして、そういう人に限って、
えてして体裁を気にしたりすることが多そうだって。
実際、そういうことを経験してきたので。

コンサル時代の上司が、
初めてコンサルに行く会社の建物で
最初に見るのはトイレだと言ってました。
整理整頓、掃除ができていない会社は、
業績も悪いのだそうです。
特にトイレのような地味なところの掃除が
どれだけきれいにできているか、
トイレットペーパーのスペアがどれだけあるか
など見てまわったそうです。


そんなことを思い出した今日でしたが、
まったく意図せずに、
水廻りの掃除をするはめになりました。
お風呂を汲もうとしたら、
残り湯がたくさんあったのでもったいないと思い、
ちょっと掃除をしようと思ったのです。
でも始めてみたらあっちもこっちもとやりだして、
結局浴室のかなりの部分をゴシゴシしてしまいました。

何もそんな忙しい時間帯にやらなくてもよかったのに
と思いましたが、
今日のお昼は送別会で食べ過ぎていたので、
ちょうどいい腹ごなしになりました。
きれいなお風呂に入るのは、
とってもいい気分でしたし。
これまで見過ごしていた部分が、
今度は気に入らなくなってきました。
引越しまでには、
この家もかなりきれいになっているかもしれません。