桐生スバル☆☆☆座   

映画好きの座長がWEB劇場・桐生スバル座を始めましたが
東日本震災で故郷FUKUSHIMAが悲惨な状況で帰れないネ~

明治時代のミンケン運動の聖地・福島ケンが原発汚染のゴミンケンへと変貌

2013年08月31日 | 御霊震災311
 さてさて、夏草が大量繁茂する阿武隈山地の麓・南郷の地で、座長はナゼ??灼熱砂漠アフリカの「暑い大地の飢餓地獄ー元歌:浜千鳥」替え歌を謡うのか・・・と訝イブカる御方に、ココ福島県の「緑のゴミ砂漠」変容をブログしたい。

(A)満開の桜の下には狂気がある・・・と記したのは米軍空襲の焼け跡に立った戦中派の坂口安吾だが、座長は山盛り夏草群の下には死の灰セシュームがあるのだと米国製原発廃地の福島ケンに立つ。
 坂口は人間が下手に形式張らずに自由に堕落メルトダウンするならば何か活路があるだろう・・と「堕落論」にて主張したのだが、戦後復興の勢いに乗った東京ヤクニン共は形式一点張りの原発管理を続けて、遂に原発メルトダウン事故を引き起こし・・それは大規模な農作地放棄、即ち、「緑のゴミ砂漠」を造りだした。

(B)更なる饑餓地獄を想定出来る失政として「小規模農家を保護する福祉農政」と「後継者なき高齢化農業」があり、結果として農産地は荒れ放題、農業放棄で農機具資産が安価に海外流失する現状に加え、旧友の農家友達が難儀するのは平成11年「野焼き禁止条例」が拡大解釈されて山間地には「緑の砂漠」状態が進行している事だそうだ。
 東京ビトは信じられないだろうが、農家と言えども野焼きを相互に自粛して草木を野積みにした状態が多く、昔の焼き畑農業如く焼き灰肥料として再活用出来ないと言う。
  
 非農家は更に深刻で(庭木を30cmにして45L30円燃え袋詰め必須)と(薄紙、生ゴミ、汚れプラ、厚手のプラ成型品、衣類を45L30円燃え袋詰め必須)と、資源ゴミとして(洗って綺麗な薄プラ、発泡スチ、Pボトルを45L30円資源袋詰め必須)と(厚紙容器紙袋包装紙コップを45L30円資源袋詰め必須)と(各袋に個人名記入必須・・・新婚さん悩むナ~)の手間を強いられ・・・斯くして美しき個人庭園も家屋内も荒れ放題となる運命か。

(C)こんな資源ゴミ回収名目の煩雑分別に座長は怒って焼却場現場に乗り込んだ。 そこで確認した事は(東京都と同じく)パッカー運搬車で圧縮収集された3種のゴミ袋の行き先は(東京都と同じく焼却技術が向上して)紙とプラが同時に投入される焼却口2箇所!!それゆえ煩雑ゴミ分別の手間は軽減出来る事、そして、南郷4町村のゴミ一括引き受けの大施設を税金で建ててもらい、更にはその運営費用も毎年得て大儲けする大企業クボタ(クボタ環境開発)の住民軽視の姿である。(これから建設予定のバイオマス焼却施設は、県外廃材導入予定の超大型施設なので問題化している)

(D)そんな東京ヤクニン共の形式一点張りに反対して地方自治を求め、農家資産の都会流失を防ぐ運動として明治時代の自由民権運動があり、福島県は四国高知県と並ぶ運動の聖地であった。
 それら運動勇者には浪江町の苅宿仲衛、会津の山口千代作、三春の広野広中、喜多方の三浦文次、らがいる。実は帰り車中で原発引揚げ者が(北島三郎の帰ろ~かな)を熱唱した時、座長は「福島県浜通りは原発汚染物のゴミ集積所となり、30年間帰れずの流転生活・・仮宿生活を強いられる」と言いたくなったし「仮宿、カリ宿、苅宿・・」とミンケン運動家の苅宿仲衛を思い出していた。

薩長出身の三愚(世良修三・三島通庸・管直人)が壊す会津と福島!

2013年08月17日 | 御霊震災311
 さてさて、座長は今年4月13日ブログに「・・・JR水郡線塙駅から台宿方面へブラブラと久慈川沿いの堤防道を歩いていたら、小学生と出会う度に「コンニチワ!コンニチワ!」と挨拶されるのだー「知らない人と話しチャ駄目ヨ!」という都会と違った地方教育だろうが・・・」と書いていた事をフッと思い出し、そんな福島の純粋な子供達を「エダノ子、カンノ子、被爆の子」と汚し謡ってしまった事を後悔し始め、それからはウツウツウツした日々が続き、
               
やがてはブツブツブツと「この福島を駄目にした奴は誰だ?!」という心理へ異常発酵するにまでに至った。

(A)座長ら南郷ビトにとって「会津は福島の京都」であり「福島市は東京都」である。
 その伝統ある会津藩の殲滅を主張したのが長州の漁民上がりの世良修三という奥州鎮撫ヤクニンで、それは敗戦後の東京裁判如き反論無視の朝敵占領政策であり、その後の下北斗南移住策に至ってはソビエトのシベリア抑留如きであった。

(B)明治期になっても福島県民への破壊政策が継続される。
 福島市に福島県令となって赴任した薩摩藩出身の三島通庸は、高知県と並んで盛んであった福島民権運動の殲滅策←クリック)を率先実行すると共に、東京霞ヶ関ヤクニンが計画した過酷な土木工事を県民に強要した。後に茨城県加波山事件という暗殺テロ事件を招く程の民権弾圧政策は栃木県令へと転任しても継続し、桐生市上流の足尾銅山鉛害騒動も弾圧された。

(C)長州宇治市出身の管直人首相が福島県民の全てを破壊しつつある。
 原発事故直後の不手際以上に問題なのは、原発撤退を大々的に発表して300人以上の原発研究者を海外転職させて(廃炉処理が遅れる)失策と、東京電力という民間会社に後処理を全て任せるという責任逃れ策と、等により、2年経過した福島原発が再び暴走する事態が近いのである。

(D)座長一族の長オサである伯母の家を訪ねると、ココ南郷では「山間材木利用のバイオマス発電所建設」が大騒動となっていた。東京という都会では「再生エネルギーの活用」という美名で飾られる事業が福島・南郷という田舎で展開されると、「放射能汚染材木の後処理場になる!」などの地域エゴへと変質するノダ・・・と、座長は上から目線で聞いていたのだが、桐生スバル座楽屋に戻って検索してみると←クリック)みると、福島被災地では原発安全神話が霞ヶ関官僚達によって「安全伝説」へと変身させられつつある事に気付いた。
 
 住民の安全が神話や伝説のレベルでしか語られない平成日本で座長が気になる現実は、荒れ果てた農地と山々が暗示する食糧危機の問題である。

 H25/08/17 Utatteru #76 OZUの謡←クリック 
「暑い大地の飢餓地獄」 元歌「浜千鳥」作曲:弘田龍太郎 作詞:鹿島鳴秋

暑い大地の窪みには
 ・・・・・・・・・・・・・・・
 残る身体で今日生きる



仏国営アレバ社の人体実験か?「エダノ子、カンノ子、被爆の子」の悲惨

2013年07月26日 | 御霊震災311
 昨日は書けないと言った童謡替え歌:福島原発事故「エダノ子、カンノ子、被爆の子」を(イロイロと御批判もあろうとは思いますが・・・)書き上げてしまいました。
     ココから借用←クリック
 エダノ子・カンノ子とは、枝野幸夫幹事長や管直人首相らが(半年前の浜岡原発訓練で充分に周知の)放射能拡散予測情報SPEEDIを公開しなかった為に放射能被爆した福島県の子供犠牲者達の総称です。
 最近の医学調査←クリック)では被爆後に超音波検査した子供達の36%に結節という異常症状が見られ、更には野田総理が安全宣言した為の作業遅延により、最近になって原子炉周辺から異常現象が続出してます。
 そして、日本のマスコミが吉本漫芸を放送してる間に、仏国営のアレバ原発社は馬鹿な霞ヶ関ヤクニン共を唆して、福島県人を放射能被爆の人体実験材料としようとしているらしい。(アレバ社はチェルノブイリ原発の子供達に「安全な地元汚染ジャガイモだから食べて!」と長期間提供して貴重な被爆データを得たソ~ナ←クリック)

 H25/07/26 Utatteru #75 OZUの謡←クリック 
「エダノ子、カンノ子、被爆の子」 元歌「ナイショの話」作曲: 作詞:

ナイショ、内緒、ナイショ~の話よ・・・・エダノ子チャン
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本で 何かが 起こってる


 参考:H24/07/18Utatteru#60「福島の母ちゃん、ナゼ泣くの」←クリック

福島原発引き揚げ者と残留被爆・エダノ子達の惨憺たる未来

2013年07月25日 | 御霊震災311
 さてさて、流れモノの「原発引き揚げ者」らと別れて座長は・・・60年前まで「満州引き揚げ者」であった南郷・釜藤の伯母の家を訪ねる。
 まもなく100歳になる伯母は町内情報にも詳しいし、戦前からの記憶軸を維持している座長一族の長オサなのだ。幸いにも幼き頃から伯母と親しくしていた座長であったので貧弱ながらもその記憶軸を継承出来た・・・それがココ福島県の原発以後の異常事態を「満州引き揚げ者→満州残留孤児」との連想に結びつける事となった。
     
 即ち、「原発引き揚げ者」とは想定外の原発事故で全財産を放棄したまま国内流浪の民となった人達の事、「残留被爆・エダノ子」とは事故当時の政府責任者・枝野幸夫が放射能飛散情報を知らせず長時間残留被爆させられて人体実験の材料となった子供達の事、である。
 この満州と福島の二事変に共通する事は、Jマスコミが時の権力者(GHQと民主党)にヘツらう報道姿勢←クリック)である。

(A)原発事故当時のJマスコミが大きく報道しない事だが、現民主党党首で元テレビ経済評論家だった海江田万里は原発現場で最後まで対処すべき自衛隊員に撤退命令を下し、残された東京都消防隊員139人には「退去したら処分するゾ!」と厳命し・・・後から東京都石原知事から猛反撃を喰らった。
 そもそも被爆対策に乏しい自衛隊は、ヘリ空輸の散水TVショーを演じた後に撤退せざるを得ないのだが、彼らの冷却注水量は全体の1.9%にすぎない惨めな空振り作戦だった。逆に彼らのTVショーの為に17時間も出動遅れさせられたのが東京消防庁レスキュー隊で、日頃の想定訓練もあって80%以上の冷却注水量を達成した。それも現場の強い放射能域での長時間作業だったから、第二・第三の「吉田所長の殉死」が続くと予想されるのだが・・・Jマスコミは吉本漫芸の放映で隠してしまいたいようだ。

(B)戦後のJマスコミは占領軍GHQの「WarーGuilt戦犯洗脳策」に従って、旧満州関東軍が満蒙開拓団を放棄して逃げたと報道し続けた。
 しかしながら、ウィキペデアソ連参戦←クリック)を見ると装備不全ながら関東軍が8/9~9/5と終戦後も前線で戦い続けたし、その戦いが無かったら、満州滞在132万人の日本軍民の多くがアッと言う間にシベリアでの強制労働に従事させられただろうし、或いは、関東軍と救出開拓団が一緒の退却戦であったならば、ジュネーブ協定による民間人保護処置も受けられずに無差別虐殺される恐れがあった。(実際、アメリカ軍はシンガポール市街戦で原住民と日本軍を無差別に砲撃した)

(C)現場放棄して逃げた原発自衛隊と違って、装備不全ながら北、西、東、と3方面侵攻のソ連軍と戦った関東軍の姿は、1号~4号原子炉爆発と不眠不休で戦った故吉田所長と現場作業員達、東京消防庁隊員の姿に重なるのだが、Jマスコミは現場に入ってそれらの状況を報道する事は無かった。
 彼らは安全な政府建物内から大本営報道を垂れ流しするばかりか、巨額広告スポンサー・東京電力に遠慮して国民に真実を伝える精神を放棄したのだ。
 遂に今後の危機拡大を怖れた原発現場の吉田所長は、本社に秘密で民間人ジャーナリスト二名(青山繁晴、今西憲之)を招いて真実の報道を託する(その報復か?Jマスコミは吉田所長の死亡を軽く報道!)と共に、4号炉の宙づり核燃料水槽の補強を推進し続け、更に仮防潮堤の再構築を具申したのだが、わずか10ケ月後の野田総理安全宣言で全作業が遅延し、現場が隠蔽されつつある。
 

次回ブログは、福島原発「エダノ子、カンノ子、被爆の子」です・・・余りに悲しくて、童謡替え歌に出来ません!!。

 H25/07/25 Utatteru #74 OZUの謡←クリック 
「Jブンヤの規制節」 元歌「てるてる坊主」作曲: 作詞:

「DEL」「DEL」ボータン 削除キー、
 ・・・・・・・・・・・・・・
  ソイツの首を チョント切るぞ!!


原発汚染は明治の足尾鉱毒事件、原発引き揚げ者は昭和の満州開拓民。

2013年07月15日 | 御霊震災311
 さてさて、流れモノの「福島原発引き揚げ者」の精神状態が不安定なので「彼の親族が避難生活をしている二本松市まで同乗してくれないか?」と誘われた。
 座長が田舎へ帰ったのは去年の8月だったので、お墓参りも兼ねて帰る事も悪くない・・・問題は車内での話題で、同じ福島県人でも(浜通り、中通り、会津地方)とでは相性が異なるのだ。 豪雪の会津地方では強い精神力が求められ、山に囲まれた中通りでは日々の山畑手入れという「頑張り」が求められるが、浜通りでは海が凪ぎれば海仕事するという生活なので、若い頃に「ナント!風見鶏的な仕事ぶりダ!」と言って殴られた経験がある座長なので・・・不安である。
       
 加えて、当「桐生スバル座」を出発地として福島原発汚染地へと至るルートは何とも因縁深い・・・と言わざるを得ない歴史的事実もある。

(A)もし彼らを明治時代の北関東に置いたならば、渡瀬瀬川上流の足尾銅山煙突から立ち昇る白煙を見て「アッ!!福島原発の白煙爆発と同じダ!」と叫び歎くかもしれない。
 その白煙は明治日本の西欧化資金稼ぎの輸出銅生産の為だったのだが、その当時で既に死者1064人・隣接の廃村多数・樹木立ち枯れと山崩れ・土砂流失による下流での氾濫と汚染・・・へと極まり、地元代議士・田中正造が一身を投げ打って問題解決に奔走した経緯がある。
 そして、311東日本震災の時には廃坑堆積所が決壊して150年前の基準値超え鉛毒がバラ捲かれたという事実と、去年今年と(Jマスコミは報道しないが)原発から激しく3~4万μSV白煙が噴き出す事実←クリック)を知れば、もはや浜通りの故郷が放射能廃棄物の長期保管ベルト地帯とならざるを得ない事に納得するのだ。

(B)北関東自動車道路を水戸近くまで行くと昭和初期に満蒙開拓団を訓練した内原訓練所←クリック)を遠くに見るのだが「ア~~、俺達も同じ「引き揚げ者」となるのだ」と叫び歎くかもしれない。
 万里長城外側の満州は胡族清朝の聖地であり、日本が王政復古名目で正当に立国化した土地であり、人口急増・資源ナシの昭和日本にとっては白人国家の干渉を遮っても必要な土地であった。 残念ながら、その後の万里長城内側への拡大失政と想定外のソ連侵攻により大量の「満州引き揚げ者」が発生して・・・忘れられた。

(C)それまで静かだった「福島原発引き揚げ者」が「海が見たい!海沿いの常磐高速道路を走れ!」と叫きだしたので(古代に来るな!と謂われた)勿来まで北上する。
 この一帯はHITACHI製作所関連の工場が多く、戦後の高度成長期には福島原発の電力を必要とした所である。その右肩上がり生長を甘受した団塊世代がユトリ日本化を進めた結果が原発事故と若者の知育低下で、発電用原油支払いの3兆→7兆円支払いは行き詰まって日本工業力が壊滅する・・・とか迷想してる間に阿武隈山脈を越えて南郷に至る。

 彼らと別れる時に(運転手は君だ~)と座長脳裏に浮かんだ童謡替え歌を紹介する。

 H25/07/15 Utatteru #73 OZUの謡←クリック 
「チン!チン! 霊柩車」 元歌「電車ゴッコ」作曲:信時潔 作詞:井上赳
  
心不全は君だ 肝不全は僕だ 
 ・・・・・・・・
来年は会えるかな 死んちゃうかな
  チン!チン!



吉田所長の死と「頑張れ!」注水コトバで崩壊する原発引き揚げ者の心。

2013年07月14日 | 御霊震災311
 ・・・という訳で、流れモノの「福島原発引き揚げ者」が泣き出した為に座長楽屋の宴会はメルトダウン状態になってしまった。
 彼の仲間が流し込む「ガンバレ!ガンバレ!」の元気附け慰めコトバには上から目線の弥生人のコトバと感じられる。(実際に九州出身の松本龍災害復興大臣は欧州仙台で賓客扱いを要求した)
     

 それで「座長さんも福島県の方ですから慰めてやって下さい」と頼まれた時には、同郷コトバで「頑張っペ!」と目線を同じくして語りかけたのだが、原発引き揚げ者」の心の中には(原発事故後の1000日間に注水された原子炉冷却水の如くに)「頑張れタンク群」が一杯・山積みとなっていて・・・その崩壊を補修する事は難しかった。

 ヤクニンの作る「復興の政策・絆キズナ」が余りに慎重・鈍重な現状なので、牛馬同様に導かれる蝦夷エミシ人の生活の行く末はどうなるのか?・・・判らない有様である。
 それは震災当時から予想された事なので、その頃のブログに「震災津波や原発汚染で根コギ的に生活破壊された奥州人達が、霞ヶ関で公開抗議(の集団くび吊り)自殺したら・・どんな政策展開があり得たのだろうか? 」と書いていたし、その後に座長を立腹させた長州人・管ナオト政権の所業は、世界の著名人が懇談するスイス・ダボス会議で「貧民国援助を継続するが、それを被災民は理解してくれるだろう!」と演説して、日本を支援しようとする熱い雰囲気を一気に冷却してしまった事である。

 H25/07/14 Utatteru #72 OZUの謡←クリック 
「平成ビトの絆キズナ歌」 元歌「あわて床屋」作曲:山田耕筰 作詞:北原白秋

この世 流行るは異国の言葉 
 ・・・・・・・・・・・・・・
  チョッキンチョッキンチョッキンンな~~


 さて、福島原発の現場責任者・吉田所長が死去したが、Jマスコミは特集番組も流さずに冷淡である。それは原発現場を実地報道しなかった報道陣を嫌って無名ジャーナリストと対応した事と、やはり巨大広告提供者である東京電力への遠慮にある。(冥福・・・

戦後の満州引き揚げ者と同様に冷たくされる「原発引き揚げ者」

2013年07月07日 | 御霊震災311
 さてさて、26日から始まった上村印強化柔道着の商品説明会には初日77人のWEB入場者があったものの、その後は63,73,77,80,62人と伸びが無く最終日7月2日の入りは61人まで落ちてしまった。
「上村会長がケジメ辞職すればモット売り上げが上がったのに・・・」とボヤく関係者の本音を聞いて座長は2年前7月10日ブログ「菅直人総理と井伊直亮彦根藩主は、「主君押し込み」されなかったリーダー」を思い出し、如何に平成時代のリーダー達がケジメを執らずに権力に固執するかを再確認した。

 そこで座長は、ションボリしちゃった販売担当者らを楽屋に招いて慰労会を催したのだが、それも昨年亡くなった小澤昭一さんの「放浪芸」に影響された為であろう。
 昔の移動販売者達は自分の芸を磨いて路上販売したものだから、平成時代になってもその伝統が残っていると期待しての宴会だったのだが・・・彼らの芸はテレビのカラオケ芸でしかなかった。それならと座長は童謡替え歌の中でも最も毒のある替え歌「絆のお手手」を披露した。

 H25/07/07 Utatteru #71 OZUの謡←クリック 
  絆のお手手      元歌「お手手つないで」

お手手叩いて酒飲んで乗れば、皆な良い気分、
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 役人・・ワタシを瓦礫ガレキする

     
 ところが4番目の歌詞を歌ったら、販売員の一人が泣き出した。
彼は座長と同じ福島県人なのだが・・・「原発引き揚げ者」だったのだ。
戦後に「満州引き揚げ者」が本土人から冷たくされた様に、全てを失った「原発引き揚げ者」が此所に居た。


9/2のNHKラジオ山折哲雄氏講演で、座長が恥入った啄木替え歌2句

2012年09月06日 | 御霊震災311
 さてさて、座長お気に入りのNHKラジオ9/2講演(毎週日曜日21時より)を聞いたら、ナント東北3大歌人(斉藤茂吉・石川啄木・宮沢賢治)を宗教学者山折哲雄氏が解説していた。
 それは田舎帰りの車中で創った戯れ歌「啄木替え歌2句」を嗜タシナめるかの様に思えてきたので、ラジオ講演に関連した事柄を思いつくままにブログすると・・・

(A)山折哲雄氏は花巻市出身で、震災の一ヶ月後には「賽の河原状態の被災地」を訪問し「ア~、神仏の気配も消してしまう程の自然の脅威」という不条理を見る。
 政治家小沢一郎氏と同様に被災地現地訪問をしない座長といえども、震災一ヶ月後には(・・奥州は「賽の河原の石積み」か?←クリック)をブログし軍歌替え歌で激励していたのだったが、やはり古代の死者風葬の如く故人の魂安住地をシンミリと挽歌できる時間的余裕がないと、残された者の元気は出ないだろうナ・・・と、今の心境。
  Utatteru #23  奥州復興の歌 元歌 麦と兵隊   
 余震、余震と大地が揺れる  竦スクむ心に 子がすがる
 ・・・・・・・・・・
   蝦夷エミシ男の 一人立ち

 

(B)この3歌人に共通して関係するのが仏教と盆地育ちですと山折氏。
 初版本の題名「赤光」を仏典から採った斉藤茂吉、(誕生年と晩年に三陸沖地震の被害に遭うという)過酷な奥州自然の不条理を仏教の立場で課題としたのが宮沢賢治、そして貧乏寺育ちの石川啄木は格差社会の不条理を歌にして評判になった・・・等で仏教因果説は判るのだが、後者の盆地育ちを強調するのは山国日本の盆地育ちが沢山いるので???である。

(C)座長田舎の細長盆地では「坊主と先生の子供は常識はずれの行動する!」との噂があり、正に石川啄木なぞはその典型で、当時流行し始めたの社会主義にドップリ染まるどころか(明治44年1月9日の友人宛の手紙では)「先ず社会主義者、もしくは国家社会主義者(ナチス?)略~、人類の社会的理想の結局は無政府主義者以外にない」とまで書いているのだから、宗教を救いとする山折哲雄氏も驚いてしまうだろう。

(D)自然災害による天災死が戦争などによる人災死よりも多かった島国日本では「無常な自然の仕打ちだな~」で終わりがちだったが、今回の東日本震災では原発人災も併発したのあるから、西欧流の「最大多数の生き残り策」を優先する事態なのだろうナ・・・と4号原発倒壊を想定する座長。

「福島の母ちゃん」歌詞の4番に渥美清、3番小原保、2番円谷幸吉。

2012年07月20日 | 御霊震災311
 さてさて、Utatteru#60「福島の母ちゃん、ナゼ泣くの」の4番の歌詞にあの「フーテンの寅さん」渥美清の母親を詠う事が出来て座長はとても喜んでいます。

 北関東から山越えで到着する福島県白河市、そこから「白河以北、一山百文」と詠われた蝦夷山地が展開する訳なのだが、どうもスターや名優が輩出しない土地柄と思われ、座長も昨年4/30ブログで替え歌「コレコレ! この娘を知らないか?←クリック」を紹介して、東北寒村から上京するスター志願の若者を謡いあげてしまいました。
 しかしながら、福島の母ちゃんが産んだ子が東京下町の浅草演芸場で下積み罪苦労して・・遂には日本中から慕われる「フーテンの寅さん」となって映画スクリーンで活躍した・・そんな渥美清が座長に喜びを与えてくれました。
 
 3番の歌詞に出る小原保は福島県石川町の寒村出身で、1963年「吉展ちゃん誘拐殺人事件」の犯人ではありますが、その「福島の母ちゃん」の心中は如何ばかりかと同情して謡いあげましたし、2番の歌詞に出る円谷幸吉は福島県須賀川市出身で、メキシコオリンピックを前に挫折自殺した真面目な青年でした。
彼ら二人の最後の言葉と共に座長は忘れられない人達なのです。
  小原保「ナスの漬物おいしゅうございました」享年38歳。
  円谷幸吉「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました」享年27歳。


 H24/07/18 Utatteru #60(続き)  OZUの謡←クリック 
  「福島の母ちゃん、ナゼ泣くの」  元歌:「カラスの赤ちゃん」 作詞作曲:海沼実
        YOUTUBE映像で聞けます←クリック

(2番目歌詞)
 幸吉母ちゃん ナゼ泣くの
   ・・・・・・・・
   一人ぽっちで逝っちゃった

       
(3番目歌詞)
 保の母ちゃん ナゼ泣くの
  ・・・・・・・・・・・
   東京へと送り出す


(4番目歌詞)
 渥美の母ちゃん 泣き笑い
   ・・・・・・・・・・・
   ベ~ランメ~と生きてゆく

    
 渥美清の悲劇はコリア国金日正が大ファンだった為に「倭人でなくコリア人ダ!」という華夷思想による「出身拉致」騒ぎがNET氾濫した事。上記著作によれば、本名田所康雄の母は旧会津藩士・田所三男也重成の子孫で、父親も同じ田所姓を名乗る家系なのだ。   

 H24/0901 追記:小原保の母の詫び状を御紹介←クリック
   「村越様。許してください。私が保を産んだ母親でごぜえます。死んでお詫びがしたい、それでもお詫びには、かなわねえでしょうが、そうでもしねえといられぬ気持ちです。できの悪い子だっただけに、わしは他の8人の子供よりも、よけいに保を心配したし、かわいがってもめえりました。心が通じず、保にこんな恐ろしいことをさせてしまって。本当に赦される罪ではごぜえません。罪の恐ろしさにただただ泣いているばかりです。保が犯人だということをニュースで聞いて、すぐにでも、よしのぶちゃんのお父さんやお母さんにお詫びにいこうと思ったけども、あまりの非道に足がすくんで駄目でした。ただただ針のむしろに座っている気持ちでごぜえます。 

 保よ。大それた罪を犯してくれたなあ。わしゃあ、よしのぶちゃんのお母さんがよしのぶちゃんをかわいがったように、わしもおまえをかわいがってきたんだぞ。おまえは、それを考えたことはなかったかい。保よ。地獄へ行け。わしも一緒に行ってやるから。それで、わしも村越様と、世間の人にお詫びをしよう。どうか皆様、許してくださいとは言いません。ただこのお詫びを聞き届けてくださいまし。」 

福島県人よ!涙と共に「福島の母ちゃん、ナゼ泣くの」を歌おう!

2012年07月18日 | 御霊震災311
 さてさて猛暑の季節となりましたが、昨年の今頃は震災後のお粗末な民主党団塊政権を批判すべく平成版「桜田門外の変←クリック」をブログ中でした。
 主役を福島県出身の「会津のケネデイ」WATABE源蔵としたものの、この1年の間は老年の為かOZAWA小四郎(これは水戸藩天狗党から採った名前)の腰巾着となって何らの行動力もない状態・・・そして民主党から分裂して新党結成に参加する様です。

 そんなブザマな政治家を見て元気を無くしつつある福島県人の為に、童謡「カラスの赤ちゃん・・海沼実作詞作曲」の替え歌「福島の母ちゃん、ナゼ泣くの」を贈ります。
 創作中の数年前には「FUKUSHIMA原発事故」も無かったので、今回5番目の歌詞に「相馬の母ちゃん、ナゼ泣くの」を追加しました。

 H24/07/18 Utatteru #60  OZUの謡←クリック 
 「福島の母ちゃん、ナゼ泣くの」  元歌:「カラスの赤ちゃん」 作詞作曲:海沼実
        YOUTUBE映像で聞けます←クリック

(5番目歌詞)
 相馬の母ちゃん ナゼ泣くの
   ・・・・・
    チ~リジ~りと泣き別れ

    拡大クリック  枝野は完全防備で相馬住民を無視

(1番目歌詞)
 英世の母ちゃん ナゼ泣くの   
   ・・・・・・
    手紙に書き殴る

  
        
ここで野口英世の母シカさんの手紙を見ないと本当に泣けない。
  (2~4番の歌詞は次回ブログします)


おまイの しせにわ(出世)には みなたまけました わたくしもよろこんでをりまする
 はるになるト みなほカイド(北海道)に いてしまいます
 わたしも こころぼそくありまする  ドカはやくきてくだされ
  はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ
      いしょ(一生)のたのみて ありまする

にしさむいてわ おかみ(拝み) ひかしさむいてわおかみ しております
 きたさむいてわおかみおります みなみたむいてわおかんておりまする
 はやくきてくたされ いつくるトおせて(教えて)くたされ
 これのへんち(返事)ちまちてをりまする ねてもねむられません
    (明治45年(1912年)母シカが英世に宛てた手紙より抜粋) ←クリック
    

1/16ブログ「福祉重役」より醜い吉本興行「次長課長の福祉」

2012年06月09日 | 御霊震災311
 さてさて、皆既日食と同時に「御霊震災」が起こるという座長想定が無視され続けた先月の事だが、「それなら最も安全な場所を占有してしまおう!」という先走り対策を立て、以前に勤務していた病院へ避難入院する事とした。
 ナントも醜い所業なのだが、シミン主党政権が311震災後に復興予算を9ヶ月も遅らせて被災民を苦しめた事や、IAEA原発5層対策←クリック)を1年間無策のまま放置して再稼動をズルズルと・・・と比べれば、お許し願えるだろう。
   
(A)八階建てのモダン病院に変身して混雑する待合室を抜け出して・・二階の内科談話室へ行く。
 2昔前に座長が雑務処理で院内を駆け回っていた頃は、まだ東北地方からの出稼ぎ家政婦さんがベッド横で寝起きしていたし、地方知事免許の准看護婦達が患者看護の主力だった。そして、病院収入の安定源のひとつが福祉対象者の入院受け入れ(社会的入院が広く行われていた)ではあったが、深夜に毎回救急搬送されてくる汚臭路上生活者には病院担当者(主に、出稼ぎ家政婦さんが担当)が難儀したものだ(1/16ブログの福祉重役A欄←クリック)。
 今思うと、昔の出稼ぎ家政婦さん達は24時間を病室床上で生活する「床上生活者」だったのだと哀れに思われるし・・・それでも、素朴で力強い生命力に溢れた東北人の姿が懐かしいのだ。

(B)そんな感傷に加えて座長演技満点の仮病入院を止めさせた思いの二つ目は、綺麗な制服姿で廊下を走る若いヘルパー達の姿であった。
 彼女らの大切な働きを仮病入院で消費してはならないし、更には、その若くて元気で将来性のある若者達の労力が、この病院系列の老人ホームで過酷に非効率的に日夜消費されている事を思うと、高級ホテル並みの柔らかい病院ベッドの中で「平和福祉人権のマッカサー夢ドリーム」を貪ムサボれないのだ。
 それにしても、平成時代になって若者が好まざるを得ない職業が「介護職、漫才タレント、漫画家、・・」などでしかないのは、ナント哀れな事だ。
     
(C)2階談話室で手にした「吉本漫才タレントの親が生活保護受給」の週刊誌記事が三つ目の理由となった。
 路上ホームレスによる救急病院占拠を「福祉重役」と表現(座長は人権論者からの非難を恐れていた)したのは今年1月・・・その5ヵ月後には、平成時代の福祉政策のイカガワシサが次長課長レベルまで低下していた事が全国的に暴露されたのだ。
 それは、国民の税金を使って開発された液晶技術をお土産にしてコリア企業と提携した元SONY会長出井伸之が、吉本興業代表へ転身しても、相変わらず、国民の福祉税金を活用して「アジアへ吉本漫才で進出!!」と奇麗事で若手芸人を安月給コキ使いする有様を示しているのだが、それらの結果は、日本の家電業界が巨額損失・大量解雇者を出したのだし、「貰えるものは貰ねば損ソン!」の若者風潮を流行らせただけなのだ。
    
 出井氏が代表を務める特別目的会社「クオンタム・エンターテイメント」が吉本興業を買収。在京民放キー局5社と電通、ソフトバンク、ヤフー、フェイスなど13社が出資

 病院の外に出て、こんな時代になったのだから英霊達が怒って「御霊震災」が起こるだろうと確信したのだが・・・5月21日 起こらなかった。

団塊世代「限界想定」に対抗する座長「臨界想定」・・それは御霊震災311

2012年06月02日 | 御霊震災311
 さてさて、先週月曜日5/21は太陽と月が1直線上に並んでの皆既日食でした。
日本列島地下の4大プレートを(故藤田まこと「てなもんや三度笠」のギャグ「奥歯をガタガタさせたる・・」如くに)ガタガタさせて大震災が起こる日ダ!と5/13ブログした座長でありますが・・やはり平成ユトリ時代の方々には想定限界がある為か・・スカイツリー開業と皆既日食騒ぎの状態だったし、Jマスコミも何ら科学的な想定番組を放送しませんでした。

     
(幸い災禍は起こらずの平成ユトリ日本が持続したのですが)これぞ団塊世代が指導層を占める平成時代の恐ろしき「限界想定」状態で・・なんら対策が施されない「失われた20年」症状が現れているのです。

(A)最近は日本中が「行き詰まり」状態だらけ!!田舎の村落が「限界集落」化し都会の家族も「限界家族」化し日本の企業も円高で「限界企業」化し日本政府自体も「限界予算」化しつつあるのに、平成の政治家官僚言論層が指導力を発揮して新展開を為す事には期待出来ません。
 団塊世代の方々は「一生懸命働き続けてきた!」と自己満足ですが、それは恵まれた経済資源環境の中で前世代リーダーの指示下で行動してきた「工夫改善レベル」の所業(311震災後1年間のダラシナイ薄ッペラな諸対策を振り返れば了解出来る)であって、平成時代になると日本人の目eyeがパッと見開く「アイPAD的な展望想定」が出来ない方々になってしまいました。

(B)ここで「限界、臨界」の違いを述べれば、限界とは現状行動の延長上にあるで「工夫改善」で打開出来るとする想定ですが、結局は第二次戦争同様に玉砕破滅に至ります。
 団塊世代も高度成長・土地価格上昇が当たり前とバブル破綻を引き起こしましたし、従来からの伝統的アナログ技術があるから安泰だとしたユトリ態度が結局「失われた20年」症状に陥らせてしまいました。
 「臨界」とは現状行動の延長上に全く別の革命的状況が現出するとする想定で、原発では重さ何グラムかの物質を臨界状態にさせると重量x光速度Cの2乗のエネルギー発生源に変化する反面、臨界爆発事故させると座長故郷FUKUSHIMAが放射能汚染されて無人の空虚領域が発生するが如くの有様で、昨今のデジタルNET技術を加えれば益々「臨界想定」に関心を深めねばと座長・・。

(C)そこで座長は、5/13ブログの「21日は仏滅日に加えて(天照す神もお隠れになる)皆既日食の日!!」に思考集中させて脳内を臨界メルトダウン状態とし、斯くして得た臨界想定が御霊信仰に基づく「御霊震災311説」であります・・・??!!。
 即ち、1年前の東日本震災は第二次戦争で亡くなった兵士達の怨霊(団塊世代は彼らにツバ吐きかけて非難した)が引き起こした・・福島原発吉田所長が「もう~ダメだ」と諦めたときに何故か原子炉破壊が免れたのは英霊達の力だった・・先週5/21の第2次関東震災を防いだ力も戦争犠牲者達の御霊だった・・と「臨界想定」することで、何故か震災後1年間の全くダラシナイ薄ッペラな日本をイヤにならずに生きられるのです。

(D)ナント無意味なブログだとお怒りの方・・20世紀全般にわたって世界中を暴れ回った「臨界想定」は、この現実社会が共産主義に変わるのは科学的に必然ダとする「マルクス共産主義」だった事を忘れてはならないヨ!!