桐生スバル☆☆☆座   

映画好きの座長がWEB劇場・桐生スバル座を始めましたが
東日本震災で故郷FUKUSHIMAが悲惨な状況で帰れないネ~

原発汚染は明治の足尾鉱毒事件、原発引き揚げ者は昭和の満州開拓民。

2013年07月15日 | 御霊震災311
 さてさて、流れモノの「福島原発引き揚げ者」の精神状態が不安定なので「彼の親族が避難生活をしている二本松市まで同乗してくれないか?」と誘われた。
 座長が田舎へ帰ったのは去年の8月だったので、お墓参りも兼ねて帰る事も悪くない・・・問題は車内での話題で、同じ福島県人でも(浜通り、中通り、会津地方)とでは相性が異なるのだ。 豪雪の会津地方では強い精神力が求められ、山に囲まれた中通りでは日々の山畑手入れという「頑張り」が求められるが、浜通りでは海が凪ぎれば海仕事するという生活なので、若い頃に「ナント!風見鶏的な仕事ぶりダ!」と言って殴られた経験がある座長なので・・・不安である。
       
 加えて、当「桐生スバル座」を出発地として福島原発汚染地へと至るルートは何とも因縁深い・・・と言わざるを得ない歴史的事実もある。

(A)もし彼らを明治時代の北関東に置いたならば、渡瀬瀬川上流の足尾銅山煙突から立ち昇る白煙を見て「アッ!!福島原発の白煙爆発と同じダ!」と叫び歎くかもしれない。
 その白煙は明治日本の西欧化資金稼ぎの輸出銅生産の為だったのだが、その当時で既に死者1064人・隣接の廃村多数・樹木立ち枯れと山崩れ・土砂流失による下流での氾濫と汚染・・・へと極まり、地元代議士・田中正造が一身を投げ打って問題解決に奔走した経緯がある。
 そして、311東日本震災の時には廃坑堆積所が決壊して150年前の基準値超え鉛毒がバラ捲かれたという事実と、去年今年と(Jマスコミは報道しないが)原発から激しく3~4万μSV白煙が噴き出す事実←クリック)を知れば、もはや浜通りの故郷が放射能廃棄物の長期保管ベルト地帯とならざるを得ない事に納得するのだ。

(B)北関東自動車道路を水戸近くまで行くと昭和初期に満蒙開拓団を訓練した内原訓練所←クリック)を遠くに見るのだが「ア~~、俺達も同じ「引き揚げ者」となるのだ」と叫び歎くかもしれない。
 万里長城外側の満州は胡族清朝の聖地であり、日本が王政復古名目で正当に立国化した土地であり、人口急増・資源ナシの昭和日本にとっては白人国家の干渉を遮っても必要な土地であった。 残念ながら、その後の万里長城内側への拡大失政と想定外のソ連侵攻により大量の「満州引き揚げ者」が発生して・・・忘れられた。

(C)それまで静かだった「福島原発引き揚げ者」が「海が見たい!海沿いの常磐高速道路を走れ!」と叫きだしたので(古代に来るな!と謂われた)勿来まで北上する。
 この一帯はHITACHI製作所関連の工場が多く、戦後の高度成長期には福島原発の電力を必要とした所である。その右肩上がり生長を甘受した団塊世代がユトリ日本化を進めた結果が原発事故と若者の知育低下で、発電用原油支払いの3兆→7兆円支払いは行き詰まって日本工業力が壊滅する・・・とか迷想してる間に阿武隈山脈を越えて南郷に至る。

 彼らと別れる時に(運転手は君だ~)と座長脳裏に浮かんだ童謡替え歌を紹介する。

 H25/07/15 Utatteru #73 OZUの謡←クリック 
「チン!チン! 霊柩車」 元歌「電車ゴッコ」作曲:信時潔 作詞:井上赳
  
心不全は君だ 肝不全は僕だ 
 ・・・・・・・・
来年は会えるかな 死んちゃうかな
  チン!チン!


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