桐生スバル☆☆☆座   

映画好きの座長がWEB劇場・桐生スバル座を始めましたが
東日本震災で故郷FUKUSHIMAが悲惨な状況で帰れないネ~

安部政権の改憲論議に欠かせぬ植木枝盛の憲法9条草案

2013年11月22日 | 天狗の田舎
 さてさて、老境の座長が戊辰戦争で負けた福島県出身の民権運動家・苅宿仲衛を初めて知ったのは 今春深夜に再放送されたNHK教育テレビ「日本人は何を考えてきたか?←クリック)である。
 この歳まで老座長の脳細胞に残るのは、故郷町の隣郡である石川町で石陽社を設立し民権運動で活躍した河野広中が唯一の人物なのだが、戊辰戦争での敗戦郷土・相馬地方で「自由や!自由!」と叫んで消えたこの民権活動家達の姿は残ってなかった。(河野広中の末裔と思われる若者が「東北の農水林業は老化しダメになった!」と番組発言してたのが気になるネ~)
  
 しかしながら、このNHK番組の解説者達はこの民権運動を高く評価する余りに、敗戦後の日本支配者GHQが占領国民に下し置かれた平和憲法を「明治の民権運動に通ずる!!」と翼賛吠え~~するのである。

 せめて苅宿仲衛の様に庶民生活に立った自立的な立憲反論があるべきだし、政治的にもサムライ精神に満ちた民権運動家・植木枝盛の憲法草案と対比すべきであった。
 即ち、植木憲法草案では(江戸時代からの諸藩独立サムライ行政に基づく)地方自治権と武力抵抗権が根底にあり、それが植木憲法9条「日本連邦ハ日本各州ニ対シ、其州ノ自由独立ヲ保護スルヲ主とスベシ」となっているので、他国のオモテナシ平和に依存する現マッカーサー憲法9条は植木のサムライ精神に反するのだ。

 さて、芝居興行を生業ナリワイとする座長は、明治民権運動が平民レベルに展開されて(民権壮士節→書生節→演歌)と流れる故小沢昭一さん好みの放浪芸に関心がある。
 
 そこで平成の童謡怨歌で「マッカーサー憲法を讃える歌」を提供するが、歌詞の「フィリッピンに似せたぞ ジャポネシア」の根拠は広島大学の中川剛教授の比較憲法論文であります。

 H25/11/22 Utatteru #78 OZUの謡←クリック 
「マッカーサー憲法を讃える歌」 元歌「鳩ポッポ」文部省唱歌

サッ サ~ SIR~ マッカサ~!
 平和をあげるぞ 憲ポ~だぞ  
・・・・・・・・・・・・
先祖の顔に 糞をする


 戦後団塊世代の代表である鳩ポッポ元首相の歌←クリック、「人権ポッポ、憲法シュッポ」←クリック、も御覧下さい。

石川啄木も嘆くか?同郷の小沢一郎が招くデフレ不況

2012年08月29日 | 天狗の田舎
 さてさて、故郷南郷には「大正ロマン」は全く無い。 アノ時代に鉄道はおろか、ロマンの香りさえもこの山奥まで届かず、牛馬堆肥の田舎香水で満足していた。
           
 ところが、もしかしたら歌人石川啄木が訪問し村内文化振興の一助となる可能性があった。それは、塙町出身で北海道釧路町初代町長になった白石義郎氏が、22歳の啄木を釧路新聞社で雇っていたからで、「オイ!頼むよ!」と社長命令で無理を言えば田舎歌の一句も創ってくれたかも知れないのだ。
 石川啄木が代わりに創った歌が、
  「伴ツレなりし かの代議士の口あける 青き寝顔を悲しと思いき」で、ちょっと拍子抜けの感じ・・・座長は寝顔でなく「代議士の手」を見て下記のように謡って欲しかった。
  「働けど 働けど ハナワの村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川」 とかネ!

 さて、白石義郎・禎美親子の尽力で昭和9年12月に水郡線が全線開通して昭和の賑わいを創り出すのだが、平成に至って昭和団塊世代が故郷に戻らなかった為に、沿線街並みが昭和ロマン?崩れを起こする状態となってしまった。
 悪いことに、暑さで緑に燃えさかる周辺の山々には、福島原発から飛来した「放射能ホットスポット」がHOTに潜むのだから、子供時代のように山中散策や落ち葉遊びなど出来ない悲しみに直面する。
 斯くして、座長が帰りの車中でビール缶を片手に作りし啄木の替え歌
   「シーベルト 放射能の香りにひたりたる 脳の痛みを感じて逃げる」
  (元歌: しっとりと 酒のかおりにひたりたる 脳の重みを感じて帰る

 桐生スバル座に帰ってきて、改めて「大正ロマン」を感じる街の小道を散策する日課となったのだが、シャープ栃木工場を閉鎖にまで追い込んだこのデフレ不景気は、啄木と同郷の小沢一郎が年金受給者やヤクニン達の手取り給料を減さないようにと白川方明日銀総裁を任命し厳命した結果であって、彼らの選挙権を得ようとする選挙対策なのだ。
  

親の介護も大変・・・童謡替え歌「仏の顔も8時間・・」

2012年08月15日 | 天狗の田舎
 さてさて、数年前に亡くなった長兄は、「我が家は士族である」の言葉をヤクザな芝居興行の座長に投げつける事が常であった。
 蝦夷DNAが活性化しつつあった座長は、そもそもサムライなぞは戦国時代まで(桓武平氏ダ!清和源氏ダ!)と貴族由来を説かねば権威を保てなかったのだし、鎖国江戸時代ともなれば強引な廃藩リストラに遭って農郷士化して田圃タンボに埋もれる有様、生き残った7%の武士どもも(福沢諭吉風に言えば)親の仇カタキ同然の権威的な事務官僚が多い有様なのだから、長兄の言う「士族」の程度は知れたもの・・・さすれば、縄文以来の「田圃タンボ族ナリ!」と豪語した方が良いと思っていた。
        
(A)我が一族の親たちも次々と亡くなり、現在残る一族の長オサは95歳のオバサン(母の妹)だけとなってしまった。
 新聞コラムに「親が亡くなるとサ~と目の世界が開けて新境地の心地になる」とあったが、残念な事だが我が一族が新境地に突入する時期も間近と感じられ、塙ハナワ町と常世ツネトヨ村の境界地にある釜藤カマフジ(いかにも常世族鍛冶業地らしい地名)のオバサン宅を訪ねる事にした。

(B)オバサンに是非聞きたい事があった。それは悲惨な「満州開拓地からの引き揚げ話」なのだが、口にすると過酷な思い出(トラウマ、PTSD)が蘇えり、夜中に大騒ぎするのではと心配で聞けなかったのだ。
    (老人ホーム職歴時の、真夜中の老婆ルーム天井に反響する凄まじいウメキ声        ・・を思い出す座長。)
 幸い、その話は談笑の中で終わったのでホッとしたのだが、オバサンの旦那が「シベリア抑留された話」までは聞けなかった。 座長ら団塊世代は生まれた時から平和で豊かな時代に恵まれ、以前は度々話された斯様な戦時話も想定外の話として忘れ去る世代になってしまった。
 そこで紹介したいのは、この釜藤カマフジを流れて塙ハナワ町へ至る川沿いで毎年繰り広げられる「旧盆灯籠流し大会」で、5分に一度打ち上げられる一発、一発の孤独な花火は「魂の慰め」を感じさせて、都会の大量連続花火と異なる風情がある。
    本日、8月15日の夕方から開催されるのだ。

(C)最後に、7~8年前にオバサンが元気に生きるようにと願って謡った 童謡の替え歌を紹介する。

H24/08/15 Utatteru #67  OZUの謡←クリック 
 「仏の顔も8時間・・」 元歌:「うれしい雛祭り」 作曲:河村光陽 作詞:サトーハチロー
      YOUTUBE映像←クリック)で謡えます 
 明かりを消しましょう お婆~さん
  ・・・・・・・・・・・
  介護の果ての憎み合い、私の苦労も水の泡
    旦那の兄弟鬼の顔


常世田令子著「常世伝説の謎」に塙町と常世村が!!

2012年08月13日 | 天狗の田舎
 さてさて、東駒酒造跡地の帰りに実家に寄り、亡父の書棚から常世田令子著「常世伝説の謎」三一書房刊を勝手に頂戴した。
      ヤフーオークション出品予定
 この本によれば、久慈川奥地の故郷・南郷地区が古代南方渡来人達の行き着き場所であるとの事、即ち、子供時代にはカール・フッセの「山のアナタの空遠く・・」と山間ヤマアイの空ばかり眺めて空想していた座長の足下!! そこを流れる久慈川を辿って砂鉄技術と稲作技術(と医術)を携えた古代人が住み着いた場所が塙ハナワ町と常世ツネトヨ村なのだ。

(A)はるか南方から流れ来る黒潮は鹿島灘にて大きく迂回して陸地を離れる・・さすれば沖縄九州南紀と北上してきた古代の南中国渡来人達は、この地を長年夢見てきた最後の理想安住の地=常世の地として崇めて上陸したのである。
 振り返れば東海が開けて日々太陽が立ち昇る土地故に後には常陸ヒタチの国と称されるのだが、上陸当時の弥生渡来人達が為した縄文蝦夷地元民への残虐な征服戦争・狡猾な戦術・東夷支配の祭祀固定化などは「常世伝説、常陸風土記」として残る・・されど大化の改新の頃ともなれば、新渡来民族の秦氏などはこれらの土着思想を弾圧して仏教拡大に注力したのである。
   「太秦は神とも神と聞こえくる、常世の神を打ち懲ますとも」日本書紀
 註:砂鉄から造った刀身が御神体の鹿島神宮は東夷大王タケカシマ命を祭る

(B)かくして常世田氏は、「常世族は高度製鉄技術を持つ渡来集団」として「常世の地名」を頼りにその発展ルートを調査する過程で・・・・・北方タタール人から伝来した狩猟漁猟用の平和的な鉄具を使う先住民族達が、南中国常世族が大量生産する刀槍殺人鉄具や鋤鍬稲作鉄具に屈服して奴隷労働させられる有様を大胆に推理していく。
 蝦夷ビトを自認する座長は、その有様は太平洋戦争時の米軍物量殺戮作戦を見るみたいで・・・この著作本の半分まで要約した段階で読むのを止めて、この後は座長自身の思い出話に切り替えたいのだ。
      図中央が常世村
(C)座長実家の高台から真東方向を見ると、久慈川に沿って南北に広がる塙町の背後には羽黒山、その裏手に常世ツネトヨ村がある。江戸時代には「常世の鍬」として北関東に強力な販路を有していた鍛冶工業集落だったそうだが、その常世村の中心高台地に在った町立塙中学校へ二年間通った幼き座長ではあったが、鍛冶場の雰囲気を感じる事は無かった。
 その地は名前の如く穏やかな「常世の里」を感じさせてくれたので、三年前に地元同級生に無理強いして「座長の墓所探し」と称してお寺参りをしたものだった。

原発被災地の福島地元民から聞いた「情けないヤクニン仕事」に呆れる座長

2012年08月10日 | 天狗の田舎
さてさて、故郷の福島南郷に帰る時の携帯物に本が欠かせない・・といっても読むわけでなく、持っていないと不安なのだ。
         
 今回は大前研一著「知の衰退・・」だったが、座長よりも年上の著者1943生れ)にも関わらず「そうだ!僕はユニークな生き方をしよう!!」と表紙書きするので買ってしまった本である。それは原発被地元民の話を聞いてからは、帰りの電車内で読み尽くさねばならぬ本となってしまった。

 大前氏曰く「平成の日本人は(読み=英語能力、書き=IT表現、ソロバン=金融経済)の能力がユトリ化しているし、日本国の官僚政治家のリーダー能力は皆無である!」との内容だが、それは座長が故郷で実感してきた事なのだ。

(A)田舎に残った高校時代の同級生が言った。「野田総理が原発安全宣言を出したので、原発現場で働く労働内容が低安全レベルにまで落とされて、抜本的な対策が延期されて雑用ばかりの労働になっている!」
 ナルホド!政令に無い事案にカネを使わぬというヤクニン根性そのままなのだ。それと同じ事は戦争中の玉砕命令にも在り「生き残った兵士は玉砕命令ゆえに存在しない人間・・自決せよ」と残酷な処置が執られたのだが、相変わらずの日本ヤクニンと東電社員達。

(B)その同級生が言った。「耐震基準を満たした家屋でなければ、原発被災民用の住宅は提供出来ないから・・」と。(田舎住民の住居以上に)立派なヤクニン宿舎が数多くあるのに無人のままで活用されず・・仮設住宅の提供ならばヤクニン責任は無いそうだ。哀れなる阿武隈山地の反対側(浜通り)の人々ヨ!

(C)同級生曰く「哀れなる原発被災民にも驚いたワ~! 病院に来てカネを払わずに帰るんだヨ!」。 それが長年に及ぶ原発誘致自治体の福祉慣例なので、その福祉崩壊を実感出来ないらしい。

 そんな人達の為に、昔創った福祉年金替え歌を御紹介して、覚悟してもらおうか。

H24/08/10 Utatteru #66  OZUの謡←クリック 
  「福祉はどこから・・」  元歌:「朝はどこから」 作曲:橋本国彦 作詞:森まさる 
      YOUTUBE映像←クリック)で謡えます 
 
 介護はいつから来るかしら 
  ・・・・・・・・・・・
   今日は(今日は) 生きて行こう

東菱酒造倒産後でも栄えた地場産業(役場・農協・製材)の行く末は?

2012年08月08日 | 天狗の田舎
 さてさて、OZUの謡Utatteru#20「山奥のサル・シカは・・・←クリック」で謡ったように、座長の故郷南郷地区は「昔疎開地 今過疎地」状態なのだが、東駒酒造倒産後でも栄えた地場産業が(役場・農協・製材)である。
   
(A)円高デフレ不況でも安泰な巨大なヤクニン産業の末端組織である日本の町役場。
在郷の頃はその高給職場を獲る為に裏金が動いた噂を度々聞いた程で、とにかく何もしなければ定年まで高給生活、その後も高額年金が得られる職場なのだ。
 そんなイメージを覆したのは南郷南端の矢祭町←ウィキペデア)で、根本前町長は役場改革(職員の活性化、議員日当制)を断行して日本中の注目を浴びた。しかしながら霞ヶ関幕府の強要は強いので、その後の動きが「第2の東駒酒造」にならないように心配しいる・・・ガンバレ矢祭町!!
   農協ビル
(B)そして田舎と言えば、結局何もしないで農業を自壊させメルトダウン寸前となった農協組織なのだが、水郡線磐城近津駅前の巨大な農協ビル(写真)を見上げて、座長は呆れて謡うだけである。
 
H24/08/08 Utatteru #65  OZUの謡←クリック 
  「メ~メ~村の農協」  元歌:「森の児山羊」 作曲:本居長世 作詞:藤森秀夫 
      YOUTUBE映像←クリック)で謡えます
JA、JA、村の農協、村の農協、
 ・・・・・・
 増えりゃ農家は 悲鳴~アゲル


(C)そして今、倒産気配なのが水郡線駅沿いにある製材業である。
福島原発の放射能汚染で地元材製品が風評被害を受けると共に、その樹皮廃材の処理に困惑しているのだ←クリック。
 低汚染の2~300ベクレルながら焼却灰にすると30倍に凝縮されて埋め立て基準8000ベクレルを超えてしまうのに、決められない実行できない政府とヤクニン達は、知らん振りなノダ・野田・・ノダ・・・野田・・・。


東駒酒造倒産跡地に大武健一郎65元国税庁長官の「脱税高笑い」が響く

2012年08月06日 | 天狗の田舎
 さてさて、当座長ブログで多い検索キーワードが「東駒酒造」でありますので、猛暑の中を故郷・福島県へ帰省して現地調査を致しました。
 東駒酒造跡地は水郡線磐城近津駅から徒歩3分の近さ・・なれど、水郡線を通過する電車が10時から15時までは皆無の南郷地区なので、座長は朝飯も食べずに一番電車に乗り込み(水戸~大子~近津)と経由して無人の近津駅ホームに立ちました(写真1)。
 (1昨年はその事情を知らずして炎天下に放り出され、人生初めてのヒッチハイクを試みて親指立て続けましたが、田舎の人はその同乗サインが判らず、結局70分後に水戸の車が停まってくれました。)
    
 最初にお訪ねせねばと、都都古別神社←ウィキペデア)へ。陸奥国一宮の格式を有するのだが、蝦夷エミシ征伐の日本武尊、坂上田村麻呂、八幡太郎義家と弥生征服人を祭り上げる事に反発したのか・・・地元蝦夷ビトの東駒酒造四代目古市滝之助社長は「10本買ったら9本オマケ」をスローガンに、東京へ向けて(今では当たり前の)酒安売り進軍を始めたのです。
 その頃の事情を知る地元ビトは稀ですが、幸い尋ねた3人目のお年寄りが東駒酒造跡地の横で和菓子屋を営むオバマさん!もし米国オバマ・バラク大統領だったなら憲法違反だからと拒否権を発動して倒産を回避したと思われる内情を話してくれました。オバマさんがバラス内情は・・・
    奥がオバマ店
(A)久慈川源流地で酒造会社を経営する四代目滝之助社長と対抗した人物が、鳥取県の奥出雲で同じ酒造業を営む竹下登12代目社長(後に74代首相)である(・・コイツに殺られたとオバマさん)。
 竹下の師である田中角栄(大蔵大臣)は既に酒販許認自由化の方針を国会表明していたのだが、それに従わない竹下は全国の同業者と酒税30%確保の国税庁の支持を得て、脱税容疑・ニセ酒騒動をデッチ上げたのである(後に創政会を創って田中と離別する前兆か・・)。

(B)その動きを知った東京現地採用の営業ヤツラが売上金未収として詐取し始めた為に、急成長で施設拡張中だった東駒酒造は、裁判1審では勝ったものの13年後には倒産に追い込まれるのだ。
 地元民の中には田畑私財を提供して援助したN・Sさんもいるのだが、東京弥生人に負けてしまった滝之助氏85歳は東京在住とか・・とオバマさん。
(参考ブログへクリック→:
    奥州「東駒酒造」の古市4代と平泉「藤原4代」とを連想するスバル座長
12黒木昭雄氏の月命日に「東駒・東菱酒造」の古市滝之助社長をブログ。 

 倒産から30年後の今、元国税庁長官大武健一郎65自身が税務講演料を脱税するブザマな時代となり、団塊世代は脱税して積立増額した厚生年金(一口で三口!美味しい団塊世代の「脱税厚生年金」←クリック)を求め、政府は40年後の年金計画で若者をダマす時代なのです。

H24/08/06 Utatteru #64  OZUの謡←クリック 
  「マチボ~ケ年金」  元歌:「マチボ~ケ」 作曲:山田耕筰 作詞;北原白秋 
    YOUTUBE映像で謡えます←クリック
マチボケ年金 ボケ年金、
   
働けど~納めれど~ア~~  団塊ジジババの尻拭い

天罰? 水戸天狗党・吉田松陰の怨念だ・・・原発鎖国される日本

2011年03月16日 | 天狗の田舎
さてさて、吉田松陰と宮部鼎蔵が踏込んだ歩んだ奥州コンニャク路を
強放射能が後追い辿るまでに緊急事態となった日本。
水戸天狗党劇を制作中の座長は、この事態を幕末世相に過激に例えてしまう。(お詫び)
      

即ち、政治主導と言いながら役人に責任を押しつけた鳩山・仙谷内閣(尖閣・沖縄問題)、
   東京電力の原発報告に頼った談話を連発しただけの管・枝野内閣(合同対策会議は何時?)
・・・これらに似た行動として、

(A)ロシア・米国・英国の領海侵犯に対して、もはや主体性を失った徳川幕府は
   有力諸大名・幕臣・庶民に対策意見の要望を為した結果、広く責任が分散され、
   挙国団結を名目とする「大君制」という君主制(公武合体制)が画策された。
  ・・・阪神地震では村山富市連合内閣は「初めての天災なので・・」と責任逃れをし、
     今回の天災・原発人災では「初めての原発人災なので・・」と野党連合内閣を組閣して
    責任逃れの延命策を管内閣は計るのであろう。
    16日朝刊は、管首相は頻繁に東電本社をイラツきブラ歩きしてないで合同本部で主導権を・・との事。

(B)徳川幕府は、政権外に在る朝廷の意見を尊重素振りで拝受し、異国外交団に対しては
   所謂「ぶらかし外交」策で対応する事で権力維持を図った。
  ・・・東京電力からの外部報告に追尾するその場限りのコマギレ談話が連続する。
     リーダーシップ的対策を打ち出さないままに「御協力の依頼!」で締めくくる
     枝野官房長官の脳室は空焚きの状態であって、あの談話は圧力ガス抜きにすぎないのだ。
     そして、逐次逐次と繰り出される対応策を見ると ユトリ脳の策ではないか?


(C)こんな対応でイライラついて不信感が増すのは外国人だけでなく・・・
   邦人、そして天狗(党)、松蔭、らである。元寇WAR時の鎌倉武士の如く、
   攘夷!攘夷!と行動した水戸天狗党、吉田松蔭らは悲劇で終わってしまい、
   織田信長的現実志向に転向した薩長藩によって、それらの遺訓は押し潰されてしまう。
  ・・・逆に現事態においては、平成ユトリ日本人が犯した不手際連続の事実を知った異人達が、
     ジャパン・ナッシングを超えて原発鎖国(英訳AbomSAKOKU)状態へと転向してしまう可能性がある。
     すなわち、日本商品は放射能汚染と嫌われ、日本人と国家はユトリ放射脳と馬鹿にされ、
     官僚規制と放射能汚染で有効な資金活用も出来ず、外人観光客は放射能怖さに近寄らない。

(D)斯くして、平成ユトリ日本は孤立して鎖国状態と成るのであるが、これは「天罰ーby石原知事」ではない
   ・・・水戸天狗党・吉田松陰らの唱えた攘夷・鎖国の怨念が、外圧によって達せられた結果なのだ。

 註:田舎の南郷地区では食料品・燃料・マスクが無くなり、店舗休業が続出中とのこと(3/15)
   南北を結ぶ水郡線の開通が待ち遠しい・・座長の心境です。

吉田松蔭・宮部鼎蔵の山路を追う、東電原発の放射能。

2011年03月15日 | 天狗の田舎
 さてさて、下記の写真(3/4ブログ写真書籍より)は阿武隈山間地のコンニャク芋畑で、
座長が小学生の頃は当たり前の風景であるが、幕末の厳冬の折、長州藩士吉田松蔭と宮部鼎蔵
二人はコンニャク芋が抜かれた殺風景な雪畑を目にしたのである。
  

まずは気分直しに、童謡替え歌「山奥のサル・シカは・・・←クリック」を紹介する。

H23/03/15  Utatteru #20
   山奥のサル・シカは・・・  元歌:山寺の和尚さん(東京手毬唄)

  山奥のサルシカは、木の芽食べたし若葉なし、
  ・・・・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・疲れてやつれて やがて野ざらし ホ~イホイ
 

 今回の原発放射能モレ騒ぎでは、
  (A)「昔疎開地 今過疎地」と謡った山間地に多数の避難民が予想されると
    地元夕刊紙←クリックに記事となったが・・南郷地区を含む福島県南部は、霞ヶ関高級官僚による
    東京集中施策の結果、生活力の自立が難しく彼らをサポート出来ない可能性が高い。

  (B)その避難民の後を追う放射能がナニよりも怖く、南北に長い南郷盆地に滞留する?

  (C)この忍び寄る(異なるモノの)恐怖感は、嘉永5年の正月を水戸で迎えた吉田松蔭と
    宮部鼎蔵の二人に共通するものである。
    攘夷思想の本家である水戸学を学んだ二人は、原発小名浜の地から鮫川沿いに厳冬の
    山地に入り、竹貫に一泊後に棚倉・白河へ至りて奥州実状調査の途に入るのであるが、
    著書・東北遊日記では
     「植田ヨリ白河ニ至ル山聳エ、道窄シ。田圃極メテ少ナク
      ・略・其ノ山水或ハ吟人墨客ノ観ニ適スト雖モ其ノ農桑ノ業ニ於テ、
      困苦モ亦何如ゾヤ
    とこの地は記述される。(金沢春友元町長の尽力で竹貫の松蔭記念碑に刻まれた)

  (D)しかしながら、彼ら長州藩士が悲嘆視した困苦汚れのコンニャク芋は、
    大子町桜岡家においては水戸藩士の維新運動の原資となったのだ。


天狗党・八溝遺聞02・・水戸藩士はコンニャク資金で支えられた!

2011年03月04日 | 天狗の田舎
 さてさて、このブログは座長芝居←クリックと同時進行でありますが、コンニャクの話をそれらに
組み入れることが出来ますのも元塙町町長金沢春友翁の御陰であります。
すなわち、江戸時代後期に茨城県北部の大子町・南郷地区で生産されたコンニャク粉の販売利益に
よって、水戸志士が存分に活躍出来た事を、春友翁は大阪まで行って調査確認したのです。
       
 余談ですが、座長自身が子供の頃には、親戚農家で薄切りしたコンニャクを細竹に刺して
寒風に晒す手伝いをしたことを思い出しますが、その頃S39は南郷地区で福島県産の4割強を
生産しておりました。現在、コンニャクと言えば中国産、群馬産と競争が激しいのですが、
江戸時代においても同様に競争相手がありました。
 そこで、江戸時代における水戸藩独自のブランド戦略を述べないと・・事情が理解できません。
 
 (A)光圀候は本場中国の朱子学者朱舜水を招いての「水戸学」権威付けを行う。
       → この朱子学戦略が純化されて幕末には天狗党悲劇が、
          昭和期には吶喊トッカン悲劇が起こるのです。

  (B)コンニャクは、明国の「朱舜水」が献上した種芋と宣伝して全国ブランドとなり、
     江戸深川や芝金杉に直販会所を設ける程に盛況となります。

  (C)光圀の子・綱條は再検地と称して実質25→35万石へと藩格上げブランド策を行いますが、
     領内疲弊と徳川本家からの巨額借入れに陥いって 貧困尊皇攘夷派vs役職佐幕派の
     悲劇となります。「役人になればウナギが食えるが、役人ならざればウナギの串を削る」
     が藩内流行語となる程です。
  
  (D)「私の母は有栖川宮家である」とブランド吹聴した慶喜将軍(水戸家出)は、天狗党悲劇や
      旧幕臣2.5万人中2万人リストラの悲劇を与え、新ブランド薩長維新の下地を造ったのであります。

 さて、(B)の結果で水戸藩北部の山間地・大子町(旧保内郷36ヶ村)のコンニャク会所頭取・桜岡家には
膨大な資金が集まり、それは幕末志士へと手渡しされるのです

 次回ブログは 保内郷コンニャク会所頭取・桜岡家とは? (参考WEB ←クリック)

 追記:ブランド信仰を謡った「OZUの声←クリック」を紹介します。
H23/03/04  Utatteru #17
       「ギンギンギラギラ・ブランド」 
                 元歌:夕日  作曲;宮崎 琴月  作詞:葛原しげる
 
 ギンギンギラギラ ブランド゛が光る、
 ・・・・・・・・・・
 ・脳味噌真っ白 国際人




「水戸天狗党・八溝遺聞」01・・八溝はヤミ闇ゾと 田中源蔵

2011年03月02日 | 天狗の田舎
 さてさて、座長は水戸天狗党・田中源三芝居を約束したのだが、パンダと八百長ブログ騒ぎに
ウツツをぬかして・・二ヶ月経ってしまった。

             

 そこで、取り敢えず、昨日から舞台上に座長が登場してその芝居を始めました。
題名も「水戸天狗党・八溝遺聞 ←クリック」としましたが、全編完成でないので合間合間に
幕を入れてのコマギレの公開です。

 さて、天狗党過激派・田中源三を構想して9ヶ月・・座長は「八溝はヤミ闇ゾ?!」という
キーワードを得ることが出来ました。茨城県北部の八溝山の東山麓・南郷地区で育った座長にとって、
八溝山は文字通り8つの山並みで支えられた広大な隆起物で、
西山に入る」という田舎言葉には・・・・・・今でも奥深い感慨を覚えるのです。

 その「八溝はヤミ闇ゾ」と謡った人が田中源三で、塙代官所での辞世の句を乗せます。
         古里の 風のたよりを聞かぬ間は
          我みひとりの 暗ぞヤミゾ悲しき

   彼の古里・水戸では藩内対立で更なる虐殺が3年後まで続くのですから、
         その絶望的な状況が感じられます。

  次回ブログは 「水戸天狗党・八溝遺聞」01・・水戸浪士を支えた南郷コンニャク資金 です。

  追記:八溝山の南山麓には「栃木リンチ殺人事件←芝居クリック」の被害者実家があり、
     その著作本でケイカン達のヤミ闇を明らかにしたのが故黒木和雄氏
          ・・本日は彼の月命日であります。


水戸は梅が名物!・・?「竹」じゃないかと水戸天狗党。

2011年01月27日 | 天狗の田舎
 さてさて、年末に栃木・群馬の水戸天狗党西上路を輪行した座長の脳裏には、安木節メロデー(ブログ01/15)と
萩原朔太郎の詩「竹」が舞い踊っておりました。

                
 
 と言うのは、座長主宰の「桐生スバル座」からノンビリと上毛電気鉄道(←クリック)で前橋まで行くと、
詩集「月に吠える」で大正期に衝撃を与えた詩人萩原朔太郎の生誕の地に至ります。
 赤城山からのカラッ風が土煙を上げる厳しい土地、身体を縮めて部屋籠もりしたくなる土地で、詩人萩原は
  その土中でふるえる竹の繊毛を見、光る地上に鋭く立つ竹を呼んだのです。
    その土地前橋の西方10kmの平野を水戸天狗党が隊列を組んで横断したのは50年前。
    その有様は「まつしぐらに竹が生え、凍れる節節りんりんと、青空のもとに・・」であったろうと・・
                  ・・座長は詠みたい(盗作!)。

 それにしても、天狗党一行の一途な信念・行動にはタダタダ驚嘆するダケ!タケ!竹!
山本七平氏の談話では、戦国古武士の知的アクセサリーにすぎなかった朱子学の数行が、幕末には革命パンフレットの
行動指針・自己存在理由となった・・・とあります。
 具体化する組織論が欠けた中身空洞の「タケノコ行動論」とも思われて、本ブログ輪行編では思想転向を2度程ブログ
してしまったが、それは「サムライ」の心を喪失した平成団塊日本人のインチキ信念でもあるとも納得しております。 
                       (11/11ブログ「三島由起夫節」を参考に)
 そこで、座長実家の白川郡へ帰る時には、梅の名所である水戸偕楽園をノンビリと散策して・・
    水戸天狗党は 梅でなくーー維新時、多くの藩はユトリ化してホ~ホケキョ状態
              桜でもなくーー515事件は水戸男子、霞が浦兵隊が主導するコミカル革命
              「竹」の様な生き方ーーだったと再認識したい。

        作: 萩原 朔太郎 

 光る地面に竹が生え、青竹が生え、
 地下には竹の根が生え、根がしだいにほそらみ、
 根の先より繊毛が生え、かすかにけぶる繊毛が生え、
 かすかにふるえ。

 かたき地面に竹が生え、地上にするどく竹が生え、
 まつしぐらに竹が生え、凍れる節節りんりんと、
 青空のもとに竹が生え、竹、竹、竹が生え。

 みよすべての罪はしるされたり、されどすべては我にあらざりき、
 まことにわれに現はれしは、かげなき青き炎の幻影のみ、
 雪の上に消えさる哀傷の幽霊のみ、ああかかる日のせつなる懺悔をも何かせむ、
 すべては青きほのほの幻影のみ。

             

坂本龍馬は幕末のピエロ! その1 (長州ネコに四国サル・・)

2010年12月22日 | 天狗の田舎
 さてさて、下記写真は戦前のマキノ映画「田中源蔵」の広告であるが、
座長はナゼ坂本龍馬が無名であったのか?解らなかった。

   
                                     (故金沢春友氏の書籍から)
 この劇場のスクリーン白幕から流れてきたマンボ曲「セレソロ~サ」by(ペレスプラード楽団)を座長は忘れられない!!

 平成日本人は竜馬サマサマ!でこの1年熱狂したのであるが、その発端は1962年司馬遼太郎の小説「竜馬が行く」の
発刊による。その時期は(石油安で工材食材安、安保人任せ、自由貿易技術導入容易)の高度成長期の入口で、
身の程知らずに舞い上がり続ける鳩ポッポ世代の信条を支えたのがこの本なのだ。
 
 しかしながら、戦前においては「長州ネコに四国サル、薩摩イヌに肥後イタチ」と人物評価された土佐人などは、
ピエロ扱いで揶揄されたのである。
 この違いは(弾薬消費量 VS CO2排出量)の総量で国力が判断される時代背景の違いであろうと思われる。

 さて、(江戸250年、戦後70年)の平和日本を崩壊させるのは異国からの侵略事件で、
当事者である幕臣、閣僚の混乱ぶりには共通のようだ。すなわち、
 (A)他藩の意見を判断拠り所としてリーダーシップ無のー阿部正弘と管直人
 (B)国民の象徴道徳として万国平等に対応するとした天皇家を無視して次期チャイナ主席候補を強引に
      接見させたー井伊直弼と小沢一郎
 (C)コロコロと方針転換でもケロッとしてる宇宙人ー徳川慶喜と鳩ポッポ由起夫
 (D)「米国におかれましては・・浦賀にいらっしゃって・・お帰り頂いて・」などと敬語表現で軟弱対応する
      ー儒家林大学守と仙石由人 
 (E)時流の先読みを誇り顔で鳩山ブレーンとして媚び入るー勝海舟と寺島実郎

 そして、四国のピエロ坂本龍馬は、
        水戸学の系譜である武市半平太の藩内尊攘夷派筆頭として動いたり、
        寺島海舟の開国論ネゴシエーターに変身したり、
        英人グラバーの武器商人代理人になったり、遂には、
        欧米開化思想の伝道者へと・・・・・・・・変節するのである。
 もしも、彼がアジア植民地支配地を目撃していたならば、
     欧米人の「民権思想」が植民地からの略奪物で支えられていることが理解できたろうし、
     万国共通の原理である「衣食足りて礼節を知る」生活レベルに達していない明治大正期に
        「民権思想」を拡大する事の危険性を納得出来るのである。

 桐生スバル座(←クリック)公演予定「狂介、信介、そして 平成ノ~リ介」では
         山懸有朋(狂スケ)に下記の言葉を言わせている
   「国家帝国主義の時代にあって、「ア~メン」黙祷の間に土地を奪われたアフリカ、南アメリカ、
      「民権、民権」と騒ぐ間に国を失う事を危惧し続けた家長的政治家・・・山縣有朋。
        不肖山縣の圧政は日本を唯一の有色人大国として自立せしめたが、
          戦後ニホンの70年の平和と民主主義は何を生んだ? 
             「鳩ポッポ大臣」 だとさ!」            

水戸天狗党の田中源蔵・・終焉の地、奥州白川郡真名畑。

2010年12月12日 | 天狗の田舎
 さてさて、座長実家の南郷で村事業と地方史発掘に尽力なされた元町長、金沢春友氏の話である。
       南郷関連WEB(←クリック)。

                    

 (A)11/16のブログで、水戸天狗党過激派の田中源蔵が捕縛された地が八溝山に連なる真名畑で、
    源蔵所有の80両の授かり金で植林してが潤ったという話・・・。
 
 (B)この話に興味を持たれた若き日の春友翁、昭和4年46歳で「筑波義挙と田中源蔵」を公刊、
    中央文壇の大御所ー大仏次郎他・・・の耳目を集め、遂には映画化された話・・・。
    (戦前は坂本龍馬は無名であって、1962年司馬遼太郎が「これは仕事で言ってるのではなくて、
    自分の国の土佐には坂本竜馬という男がいる。竜馬を書いてくれ」と後輩から依頼されたことが
    きっかけになって戦後爆発的に有名になった。)  

 (C)春友翁は、この捕縛騒ぎに農兵として徴募された藤田長作氏(当時19歳)からの直接聞き話として、
    田中源蔵は美男の若者21歳だったが、ナゼか「みすぼらしい子供の服で・・・引き回し、処刑された」という話・・・。
   (座長は、桐生スバル座芝居「八溝天狗ー未公開」にて、八溝下山でボロボロ衣姿の源蔵に子供服を供した
    民への恩返しに80両与えた・・・との筋書きにした。)

 (D)また、昭和5年81歳で逝去された老川石人氏からの直接聞き話として、
    敗将ゆえの「武士が死ぬ時の作法」を陣屋取り調べで貫徹した話・・・。

 まだまだ、完全芝居化まで材料不足ではあるが、近日公開「八溝天狗」に乞う御期待!!

 註1;座長が購入を考えた真名畑の不動産物件(←クリック)で山奥の山荘です。


映画「桜田門の変」に便乗して、水戸天狗党芝居PR

2010年11月16日 | 天狗の田舎
 さてさて、座長主宰の「桐生スバル座」を今年5月に開設いたしましたが、演目の不備もあり、
来場者(アクセス)御贔屓様(スポンサー)共に低迷して・・・座長は戯れ歌ばかり謡ってます。
そこで、先月からの映画「桜田門の変」公開に便乗して、徳川御三家水戸藩に関係する大衆劇を
企画中であります。 その芝居戯れ言を述べます。
           奥州白川郡 真名畑 (過疎地です)

 水戸といえば、水戸黄門、水戸天狗党、515テロ事件(過激だな~)、水戸納豆、で有名でありますが、
座長実家の南方9kmの真名畑にて天狗党過激派田中源蔵が捕縛され、そして、
座長実家から遠望視できる代官所跡にて源蔵21歳刑死、という事実が御座いましたので、
これを「八溝天狗」という芝居に致しました(未公開)。

 実は、超過激派田中源蔵は当地では評判が良いのです。
なぜなら、刑死後に源蔵所有の80両が真名畑百姓代の重四郎に与えられ、
その金で杉苗2万6千本を植林可能となり・・・手入れをして・・・
明治大正期にはその売却利益金が約51名の村民に配されたからであります。
(金沢春友旧塙町長著作より)。
しかも若くて美男でしたので話題の少ない田舎では美化されたのです。
彼の墓は近くの安楽寺にありますが、そこには芝居戸塚騒動に出てくる筧代官の墓もあります。

 しかし、その金の出所は? となると非難ゴ~ゴ~でありましょう。
それは当「桐生スバル座」近傍はもとより安中、伊勢、渋川、富岡、等の北関東で13470両に及ぶ
資金調達、更に、20歳前後の若者達80名が全員平等を表したザンギリ頭で「源蔵火事」と
恐怖される栃木街放火狼藉行為(真壁・土浦でも同行為)を起して、等の「成果」でありますからネ。

 水戸学が根底にあるのか?「謎多き水戸藩の奇史」・・・舞台化に御期待下さい。