桐生スバル☆☆☆座   

映画好きの座長がWEB劇場・桐生スバル座を始めましたが
東日本震災で故郷FUKUSHIMAが悲惨な状況で帰れないネ~

プレスリー替歌ブログ1時間後に「スコラ・ロックの誕生」をNHK放映

2011年11月27日 | OZUの謡uta・・・今月
 さてさて、座長ら団塊世代を「自己批判」させようと昨晩ブログした1時間後に、NHK教育テレビで「schola(スコラ)坂本龍一 音楽の学校」が放映され、4回にわたって「ロック誕生、エルビス衝撃・・」が予定されてるとの事、それは座長の「介護苦ロック」替歌を協賛したものなのだろうか?(冗談)
         
 A)座長がロックを耳にしたのは、阿武隈山中の庭先でラジオから流れ出た雑音らしきエルビスメロデイが初めてであった。東京からはるか遠方なので、常にウェ~ブする雑音の中からエルビスの曲を聴いたのである。(あの頃はSD46というゲルマニューム鉱石を郵便で取り寄せてラジオを自作するのが流行っていた)
 その後は順調にロック歴史の進展が進み、高校時代にはビートルズの大流行で・・学園祭でギターと共に怒鳴りあげる友人達を羨ましく観てたものだ。

(B)そんなロックに乗って団塊世代は社会への反逆運動に入るのだが、見栄えは派手だが中身無の運動だったのだろう・・彼らの多くは会社社会へスンナリと順応していき、やがて、バブル景気の主戦力と成るまでに猛進し、崩壊後の「失われた20年」ではその無能力さを露呈したのだ。

(C)座長は、十数年後に飯田橋駅近くに在った「飯田橋佳作座」で「ウッドストック」記録映画の再放映を見たのだが、スクリーン外人達の本物性・創造性を再認識したし、なによりも場内前席の観客が映写中に風船を多数突き上げて遊んでいた事が、ニホン団塊世代の空虚さを象徴してたのかもしれない。

(D)その「ウッドストック」が開かれた5年後に、座長故郷の福島県、その郡山市開成山公園で開かれたのが、日本初のロックイベント「ワン・ステップ・フェスティバルー1974/8」である。保守的な地域なのにナゼ??と今でも疑問なのだが、結局「ワン・ステップ」ならずして311の原発被災を迎えてしまった。 「30年ステップ」でなければ福島は元に戻らない状況なのだ。

   参考WEB;音楽都市・郡山 ←クリック
    「ワン・ステップ・フェスティバル」の再現で震災復興 ←クリック     



OZUの謡:虚シキ・介~護苦ロック!と 打たれ杭

2011年11月26日 | OZUの謡uta・・・今月
 さてさて、「介護苦ロック」の後半歌詞を速やかにブログする予定であったが、その歌詞が座長ら団塊世代の無能ブリを断罪する内容だったので、今日まで躊躇してしまった。
(当スバル座のお客を手放す事でもあるので・・)
 しかしながら、その団塊世代の象徴的リーダー達の言動を眼にして、そして、彼ら世代圧力に押し潰される若者達の姿(謡uta打たれ杭←クリック)を無視できず、下記に公開する事にした。

        
    
 H23/11/21 Utatteru #42 OZUの謡←クリック
介護苦ロックー後半」・・・E・プレスリー「監獄ロック←クリック」

 団塊家族が怒鳴り込む
  ・・・・・・・・・
 ・介~護苦ロック カラッ~ポ介~護苦ロック
   空ッ~ポ介~護苦ロック


(A)座長は福島県南端の「南郷町」へ帰省する度に「誰か有名人となった人は??」と聞き回ったものだ。
 なぜなら、座長同年代の団塊世代は人口も多かったし、資源安の高度成長期、加えて、外国からの新文化・新技術の流入などで、若い才能発揮の好機であったのだから、田舎出身の者でも「立身出世」の大人物が現れると確信していたからだ。
 ・・ソレカラ40年(キミマロ風に)・・平成日本に現れた団塊世代の代表人物はナント!上記写真の人物らでしかなかった。

(B)その「南郷町」から東京への就職電車の中で、座長は「三河島の決断」なる人生指針を自らに科した事を想い出す。
 ダンダン東京に近づくにつれて、電車内の乗客が増えて・・常磐線三河島駅に至る頃には「こんなに人が多いなら、トテモ田舎者は勝負にならない!出世もせずにソレナリに生きていこう!」と若かった座長は決断したのだ。(この話を楽屋で若い人に話したら「我らユトリ世代も同じ気持ちですよ!スマップも「世界に一つだけの花」と歌って大ヒット曲になりました!」と言われて・・・逆にニホンの将来が心配になってしまった。)


 (C)この様な「ソレナリ人生」は座長如き田舎者だけが選んだのではなく、団塊世代の多くが似たような「マイホーム人生」を選び、職場と家庭生活に埋没したのだ。
 違うところはその動機で、彼らの多くは学園闘争で流行となった「自己批判せよ!」迫害運動の被害者となり、自らの意見・行動を控えてしまう人生を選ぶ事となった。
 その結果、諺「憎まれっ子、世にハバかる」とあるように、平成の世に浮かび上がった団塊代表は「自己批判」など鼻にもかけない上記写真の人物らでしかなかった。

(D)その他の団塊世代の老人達も、後世ニホンの若者の為に何らの政策を掲げずして、只只「己らだけが満足する人権・福祉・自由・平和、そして年金」を求めるのである。



E・プレスリー「監獄ロック」の替え歌・・・「介護苦ロック」 前編

2011年11月21日 | OZUの謡uta・・・今月
 さてさて、座長は医療業界、病院職務、と転職してきたので、臓器移植の「Donorはどな~た?←クリック」、看護婦さんと患者を謡った替え歌「看護婦さんの歌←クリック」、等の童謡替え歌を創ってきましたが、今回は米国ロックの替え歌で、昔の病院家政婦さん・・今の介護ヘルパー職につく若い人達を謡utaいました。
     
 座長ら団塊世代は、石油5ドルの高度成長期に生きて人生を謳歌したのに比べて、今の若い人達は石油100ドルの自由市場に放り出され、加えて、団塊世代からの「ユトリ教育と福祉人権」の洗脳を受けて、呆然自失の有様・・と、座長は楽屋にて想定しております。

H23/11/21 Utatteru #42 OZUの謡←クリック
「介護苦ロック」・・・E・プレスリー「監獄ロック←クリック」
        
 夜中の3時にベルが鳴る 
 背中がカユイとベルが鳴る
 ・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・・ムカツク介~護苦ロック
 
 

 外国の歌は長いので、後半の歌詞は明日ブログします。

TPP交渉で、「ゴネろ!ゴネろ!」連発の天下り官僚教授。

2011年11月13日 | OZUの謡uta・・・今月
 さてさて、先先週朝のフジ小倉テレビにゲスト出演した某大学教授が、机にヘバリつく怠惰姿で
TPP交渉はゴネれば良い!」を連発していたのでブログする。
           
 テロップを見ると、霞ヶ関大奥で陳情を受け慣れてきた茶坊主官僚であって、新設大学へ
天下りして教授となったらしいのだが、長年の陳情団対応で身に付いてしまったのだろうか、
番組机に片腕をのばして上半身を斜めに預ける「御代官様」スタイルなのだ。

 (A)彼の論点は「TPP交渉はゴネれば大丈夫だ!」との事だが、ゴネるとはヤクザの
  「因縁付け、強要」の如く論理の通らぬ交渉手法であるので、さすがに先輩官僚の***原
  元財務局長がVTR出演して「米との交渉は非常に難しい!」と発言していた。
   この様な霞ヶ関大奥で戯タワむれてきた茶坊主官僚を見ると座長は、旧軍参謀本部の辻参謀
  らを思い出すのだ。彼ら軍事教科書的参謀らは何ら戦略(交渉手順)も考えず、十分な武器
  (論理データ)も与えずに肉弾突撃させて、若い人達の未来を粉砕してしまった。
    参考:OZUの謡Utatteru#14←クリック):仲良し参謀大本営
         (謡1番) 仲良し参謀大本営、玉砕頭脳は辻参謀 
            ノモハンガダルと突撃し、若い兵士の身体飛ぶ・・・


 (B)この様な元茶坊主教授のゴネる手法に対して、米国の常套手段は低劣な個人情報まで
  取引材料にする謀略手法である。
   ***原元財務局長も強気の交渉を目指した事もあったのだが、米国情報網が得た怪しげ
  な不法容疑をチラつかせる交渉術により、妥協せざるを得ないこともあったようだ(噂)。
   そんな異国の交渉術を見ると、鳩ポッポ首相や管ペテン首相らの巨額不法献金に潜むコリ
  アン裏事情の恐ろしさも想定する事が出来るのだが、この官僚教授には想定出来ないようだ。

 さてさて、先週昼の日本ミヤネテレビのゲスト出演者は外務官僚天下りのKO大学教授で、
TPP交渉の圧力で国内改革を!」と宣ノタマっていたのでブログする。

 (C)彼は「TPP交渉を外圧利用して、国内改革を!」と嬉々として述べて、他国の力で
  日本行政を為し得ようとする茶坊主官僚である事を国民に示したのだ。
    (国会議員の中にも同様の主張をする者がいる}。
   座長が想定するに彼らは、東日本震災という外圧でも救民対策に遅れ、TPP外圧でも国益
  対策を為し得ず、自己権益に固執するのみであろう・・・それならば、「大阪都構想」で
  独裁的手法を主張する橋本政治家を支持するした方がベストであると思う。

   それにしても、今のテレビに出る大学教授は、元タレント、元アナウンサー、元官僚、達で、
  その場限りの情報披露なので、全ての情報引用元を執拗に追求する学問分野「書誌学」の
  権威・谷沢永一氏の意見を聞きたいものだ。

「ドル値札の付いた民主主義」で自爆するギリシャ国家の勇気

2011年11月03日 | 部品国家ニホン
 さてさて、民主主義の発祥の地はギリシャのアテネ国であると教科書で学んだ座長・・
そのギリシャ国家が経済破綻の土壇場で、アメリカ・欧州列強の市場資本主義と共に
自爆するかのような経済施策を発表した。 
 即ち、「国民投票」という民主主義に準じた手法で返済手順を決定するのだから、欧米の民主
主義国家は反対出来ないだろう。
     

 やはり、地球人口70億人に達した宿命なのか? 欧米列強が全世界的に推進続けた「民主主義」
の宿命なのか? 日本の福島原発の再溶融に劣らぬ重大事である。

 (A)その「民主主義」にはドル値札が付いている。
  強烈な宗教国家であるアメリカは、建国以来「美名のスローガン」をもって世界征服を為して
  きたのだが、それらには必ずドル値札が付いていて、自国へ国益還流する世界システムなのだ。
    「運命の女神」スローガンで現地インデイアンを大量虐殺、
    「モンロー主義」スローガンで南米諸国の植民地化、
    「リメンバー・メイン号!」スローガンで米西戦争しフィリッピン略奪、
  等の露骨な国家戦略は別格扱いにして、第1WAR後の米国スローガンは「ドル値札の
  付いた民主主義」の一本槍となった。
  世界の国民は、そのドル値札の値段も知らずにそのスローガン導入に血を流したのだが、
  同時代の「スターリン共産主義」導入よりは被害は少なかった事が救いである。
   それでも、昨今の中東国家における「民主化運動」は、反米的な独裁国家にだけ起こるのが
  特徴の一つであるし、その後の「民主主義」建設のコストが高額のドル払いであることを
  一般民衆は知らないのだ。

 (B)そんな「民主主義」スローガンは、中国植民地化の為の「ワシントン体制」で始まる。
  この体制は余りにも綺麗な仕様であったので、西欧属国化しつつあったチャイナ人の行動指針と
  なり、その標的は有色人種で唯一「民主主義」を導入出来た日本に向いたのである。
   モシも日本人が「ドル値札」に気付いて日米共同行動策を採れば、苦しい戦前を生き延びる
  事も出来たのだが、東条ト~ジョウ首相がその協調体制を壊してしまったのだ。
    ・・・日本人にはスローガンを立てる能力も無いし、
       チャイナ人も西欧マルクス主義を崇拝する現況だ。


 (C)その「ドル値札」は戦後にGATT・IMF体制などで補強され、更には、露骨に
  「アメリカ産業復興の為」とオバマ署名入りの「TPP交渉」値札にまで発展した。
    日本人生活を破壊してまで「21分野の米国方式」導入を計る野田ドジョウ首相は、
    良~く「ドル値札」を見て決断すべきだ。

黒木昭雄氏の一周忌:平成の鳥居耀蔵か!安藤隆春ケーサツ庁長官!!

2011年11月02日 | 故黒木昭雄氏の月命日
 さてさて、ニホン国の陰湿で疑惑だらけのケーサツ捜査体制を非難して不審死?した元警察官
   黒木昭雄氏の一周忌が参りました。
 芝居興行師の座長は、その疑惑追求の遺志を継ぐべく・・ブログ特集(黒木昭雄氏の月命日)を
1年間継続して参りましたが、東大法学部卒の安藤隆春ケーサツ庁長官という妖怪ヤクニンは、
  A:民間人をヤクザ地雷原を先導させるが如き「暴力団排除シカト条例」を施行し、更に、
  B:「自転車の歩道禁止」なる悪規則を強制して自転車弱者を混雑自動車道路へ追い出したのです。
これらの処置は故黒木昭雄氏であれば、
  C:前者はケーカン達の手抜き防犯捜査であり、後者はネズミ取り交通ケーカン達のヒマ潰し規制・・
と断罪するでしょう。 これは「平成の鳥居耀蔵」如き悪政であります。
        

 (A)徳川末期の天保年間、江戸市民を恐怖と困惑、貧困に陥らせたのが幕府御用儒家(東大
  法学部に相当)の林大学頭を父に持つ鳥居耀蔵で、南町奉行(都知事に相当)を務めた間は
  「マムシ、妖怪」と嫌われました。
   彼の犯罪捜査の常套手段は「おとり捜査」で、流入する離村農民(フリーターに相当)を
  「人返し令」で規制排除したり、江戸経済の要である「座」を禁止したので、活気が無くなり・
  疑心暗鬼の社会となりました。
   それ以上に酷いのが安藤マムシ長官の「排除条例」であって、「ケーカンのおとり捜査」でなく
  民間人を事前勧告もせずにヤクザ犯罪地雷畑に入らせる手法であります。
   この手法には、後から民間人を注意する・公表して信用落とす・・という罰則もありますが、
  本当の狙いは「人返し令」の如くに、民間人を犠牲にした犯罪立証で組員を監獄隔離するか、
  良くて遠方田舎へ帰らせるか?、悪くて地下社会へ追いやって見えなくする・・というニホン社会が
  表向き綺麗になる排除条例なのです。
   しかしながら、その犯罪地雷が「中国製」に変わったときに、青龍刀に立ち向かうニホン人は
  いるのだろうか? 心配な座長です。

 (B)徳川末期でも江戸の治安を守るヤクニンは(与力25人、同心120人)という小人数で
  あったのだが、平和憲法違反の「交通戦争」を大声で張り上げてきた平成ニホンでは、
  本来の犯罪捜査が出来ないネズミ取り交通ケーカンを大勢力の権益集団としてしまった。
   そんなリストラ出来ないケーカン達のヒマ潰しの為に、危険なネズミだと規制してきた車の
  前にアリ如き自転車弱者を押し出したのが、安藤マムシ長官である。
   名著「ピーターの法則」に従ってヤクニン達は貪欲に規制作りに励む結果、過去にも
  「自転車の二人乗り禁止、傘差し片手禁止」など庶民イジメをしてきたのだが、権力に
  媚びるJマスコミは毎回・・沈黙してしまうのである。

 (C)そんな「鳥居耀蔵如き悪政」に立ち向かったのが、南町奉行・矢部定謙という幕臣である。
   彼は、堺・大阪の奉行職を務めて「大塩平八郎」らの意見も聞ける世情に通じた人物であった
  ので、水野忠邦、鳥居耀蔵ら高級幕僚の机上施策には反対し続けた。
   そんな努力の甲斐もなく、9ヶ月間の奉行在職の後に桑名藩お預けの身となるも、サムラ
   イの反骨気概をもって、翌7月初から抗議の絶食を実行し・・・24日に亡くなったのである。
    
   どこか、千葉県の車中で「不審死」した黒木昭雄氏の生き方に似たものを感じるのだ(哀悼)