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 桐生スバル☆☆☆座   

映画好きの座長がWEB劇場・桐生スバル座を始めましたが
東日本震災で故郷FUKUSHIMAが悲惨な状況で帰れないネ~

水戸天狗党・下仁田戦争の戦場跡で判る幕末・扶持サムライのお粗末さ

2015年02月17日 | 水戸天狗党
 さてさて、巣鴨の御贔屓様の御支援があるとは言え我が桐生スバル座の経営は厳しく、遂には寒風凄まじい河原に立っての立ち仕事(駐車場案内)アルバイトを為す事となった。
 江戸時代には「河原モノ」と蔑められた芝居業なれば「致し方ナシ!!」と思えども、頭に浮かんだ芝居アイデアまでも吹き飛ばされる状態にはガッカリしている。
 座長が若き青年の頃であれば、たとえ手足・身体を激しく動かしてたとしても「脳細胞に浮かぶアイデア筋書き」が持続保持できてたのだが・・・老境の脳細胞はガタガタに分断弛緩化してしまうアルツハイマ~状態で、河風がビュービューと隙間に入り込み貴重な草案記憶を吹き飛ばす有様なのだ。

 このアルバイトの発端は、座長WEB楽屋に配置した時代遅れのWINーXPパソコンがウイルス汚染対象となり、時々不審ウイルスが出入りして色々と物色している感じ・・・そこで中古パソコンながらWINDOWS7・PROなる新OSで防御しようとする為の資金稼ぎなのである。
 という訳で、購入後の新旧パソコンデータ移行作業のなかで見入ってしまったのが・・・下記「水戸天狗党・下仁田戦争の戦場跡」の写真NMなのだ。
     写真NM
 2年前に巣鴨の御贔屓様と群馬県下仁田町を旅した時(ブログ←クリック)に対岸河原から撮影した戦場跡風景なのだが、この写真1枚に「幕末の扶持サムライのお粗末さ」が現れているのだし、それらは現在の「平成ヤクニンの原発対応のお粗末さ」も連想されるのだ。

 この写真の時代背景を述べると・・・福島・茨城・栃木3県に跨る八溝山の東麓は座長の故郷・南郷だが、その八溝山南麓の大子町から京都へと西上行進を始めた水戸天狗党925名は、1864年11月25日に御当地下仁田の山峡に進撃してきて・・・その有様は(資料によれば)ノボリをたて太鼓を鳴らしての大行列だったそうで、写真の右側の山峡にコダマして地元民を驚かし楽しめさせたろう!!
(このイメージは子供の頃の巡回トラック販売の拡声音響が阿武隈山峡に木霊してた事から想い起されたのだ)

 この大行進に対陣した地元の譜代・高崎藩のサムライ達は、写真NMの中央に在る名主豪邸に本陣を構えて、わずか200名の居残り部隊だけで無謀なる「通うせんぼ正面作戦」を実行したのだ。
 ア~ア~これを平成の原発行政と関連させると、時代を超えて共通するヤクニン根性、慣例主義、が見出される。
 
 第一に、強大な敵(天狗党軍隊・自然脅威・津波)に抗して貧弱・単純・形式的な発想の防御策に追従し、更には役人行政の縦割りで効果的な支援対策を立てられなかった事である。
 すなわち・・・追尾する幕府軍に編入された高崎藩の主力軍は、彼らの老父親や息子らの居残り部隊が撃破されるサマを後方から傍観する有様だった!
 それらは原発事故に際して、指揮官役であった霞ヶ関官僚たちが「私は理系でないので全く??でした!」と責任逃れした様に・・・高崎藩老臣たちが戦場経験を忘れて扶持侍化(サラリー社畜化)しちゃった事に似ている。
 
 第二に、写真NM下部の河原崖をヨジ登って天狗党サムライが進撃してくると本陣が大混乱になる事態を想定しなかった事は、福島原発の東海岸に設置した自家発電装置に大津波が襲来して全機能が停止する事態を想定外とされた事と、類似するのダ!
 
 第三に、写真NM左上部に(その頃存在した)松の大木が(・・それは愚かにも天狗党サムライの「隣藩小幡の兵です!」というオレオレ詐欺的言葉を信じて案内した為ナノダ!)簡単に奪取されて、地上で守る高崎藩サムライ達が鉄砲狙撃手の餌食となる事態と、唯一残された外部からの送電線鉄柱が地震倒壊するお粗末設計の結果、原発冷却機能が破滅されて爆発事故が起こる事態と、等が類似するのダ!。

 あ~~!歴史は繰り返される!

昭和4年大不況時の「2X515事件=1015事件」を御存じですか?

2011年10月15日 | 水戸天狗党
 さてさて、バブル崩壊からの「失われた政治無策20年」にウンザリの平成日本人の足元を引き倒す
かのような震災根コギ津波が襲いかかり、更には原発汚染イレズミが身体に刻印されてしまって世界中
から疎んじられるか・・と座長の心境です。
      離村する若者達
 さて、今から82年前の昭和4年10月24日にも米国株価が急落して本格的な世界恐慌・バブル崩壊
となりました。欧米諸国は300年前から有色人種国を奴隷属国としてたので、閉鎖的「経済ブロック」を
組織化する事で耐えることが出来ましたが、最後尾から欧米帝国主義入りした有色イレズミ国家・日本に
残された道は厳しく・・・アジアにおける諸権益奪回WARと、国内における平等社会主義体制への
強制転換しかありませんでした。

 (A)前者のWAR政策は所謂「15年戦争ークラウゼヴィッツ「戦争とは政治の継続なり」作戦」と
  言われるもので、愚かにも当時の国家リーダー達が戦争終結点を不明確にしたまま猛進した結果、
  甚大なる被害を出してしまい、挙げ句には「原爆による人体イレズミ実験ー米軍Atomic Bomb
  Casualty Commission、ABCC」に被爆データを供される悲劇を招いたのです。
   その反動で、敗戦後に生まれた団塊シミン達の多くは、その戦争従軍・協力者である父親・母親に
  反戦ツバを吐きかけつつ、進歩的で科学的とされた平等社会主義体制への革新運動にノメリ込んで
  いったのです。   遂に平成21年・・
    Jマスコミの風評力もあって、シミン主党革新政権が誕生したのです(名門の鳩山内閣)。

 (B)そのシミン主党革新政権は「公務員の給料削減」というペテン師政策を掲げてますが、実際に平等
  社会主義的政策を発表したのが、昭和4年10月15日浜口雄幸内閣による「ヤクニンの給料10%
  削減令」
で、不景気で困窮する農民・民間人らの低賃金に対応させる平等政策なのです。
   そもそも、明治維新政府は「4民平等」を謡ってますし、知識層の開化先生達が陶酔した平等思想
  ですから、順調に実施されるかと思いきや・・ヤクニン・Jマスコミの猛反対運動によって、
  1週間で撤回されました。(これを座長は「旧・1015事件」と命名しました)。
   その反動か、スターリンや毛沢東の様に軍隊による総括的な粛正革命しかないと、貧農の若者達は
  考えたのだろうか、515事件・226事件を引き起こしたのです。   遂には昭和13年・・
   Jマスコミの風評力もあって、国民平等の総動員法が誕生したのです(高貴な近衛内閣)。

 (C)その頃の日本は、関東震災3年後で経済が弱体・不況化し、浜口内閣は「金解禁による円高」策で
  弱体中小企業の統合を策してました(円高は外部要因ダと無策の日銀・白川総裁と対照的)。
   ・・・平成の今は、東日本震災と円高で日本経済が痛めつけられ、世界各国は経済圏確立へと
  向かう流れがあり、原発汚染鎖国も想定できる状況も加わって、座長は「2X515事件=1015事件
  ←クリック」が起こるのではと憂いつつ芝居を書いてます。

2x515事件=1015事件を加えて、水戸天狗党150年祭・参加三作品とは如何?

2011年07月31日 | 水戸天狗党
 さてさて、座長芝居「0ZAWA天狗党」当初のストーリー構想は、東日本大震災をキッカケとして発案
されたもので、幕末水戸藩・天狗党の足跡を根底に、震災以後の平成日本を併行記録したい・・
とした点にありました。
        水戸:回天神社
 しかし、その後のシミン主党管政権の嘆かわしき愚策と盲動を「0ZAWA天狗党」だけでは描ききれず、
水戸脱藩サムライが起こした「桜田門外の変」を加える事で=維新で最大犠牲となった会津藩、
  すなわち、今回も、これからも、大犠牲を受け続ける座長故郷・福島県を描き
更更サラサラに、水戸モノがコミカルに暴挙した「515事件」を描く事で=「アト2年延命したい」管首相への
送別芝居として添えました。

 座長は、アレコレと興味多々なる人物にて、
   上記3部作=「0ZAWA天狗党」「真夏の桜田門」「2x515事件=1015事件」←クリック)
を最後まで完成出来るのかワカリマセンが、
これら 3部作の全体構想図を各芝居の中に載せましたので、御覧下さい。
強引に歴史上の諸事件を当てはめて・・「歴史は繰り返す・・」なぞと豪語してますが、御容赦ください。

  注:故田中角栄の人物投影を、水戸藩安政改革の烈公・斉昭から、**の改革で経済活性化を
      為した田沼意次へと変更した為、TANAKA斉昭→TANAKA意次となります。
  注:水戸天狗党150年祭予定参加三作品とは、座長の勝手なテロップで正式なものではありません。

管首相が、座長芝居を「OZAWAペテン狗党」に堕してしまった!!

2011年06月25日 | 水戸天狗党
    (座長芝居;OZAWA天狗党A08←クリックより)
 さてさて、座長は昨年末に北関東地域を輪行致しまして「水戸天狗党」の西上路←クリック:を
追い求めましたが、その路は忘却の路でした。
そこで、改めて「水戸天狗党」を知らしめねばならぬと・・芝居「OZAWA天狗党」を創作中であります。
        著者:畑 市次郎 氏

その概略を改めて述べれば、
 (A)戦災で荒廃した戦後日本を復興させたTANAKA斉昭、その後継者として
  「天狗党」を創設したOZAWA小四郎、そんな彼ら激派の「天保改革」に対抗するのが、
  官僚集団を支持母体とする門閥派SENNTANI三左右衛門と、進歩的市民を自負する大企業社員の
  「鎭派」グループなのだ。
    (幕末の水戸藩は、激派、門閥派、鎭派、に分裂して殺し合いを始めた)

 (B)そこに幕末「奥州の天明飢饉」に匹敵するような悲惨な「東日本大震災」が発生する。
 「鎭派」グループ代表のシミン主党のKAN直亮首相は「思いつき対策」を連発した
  失策から責任を追及されるが、彼は「鎭派」グループの諌言を無視して居座ってしまった。
   (座長は当初、幕閣・阿部正弘の如く若死にすると思い KAN正弘として配役したのだが・・幕末の彦根藩主井伊直亮が管直人そっくりなので配役変更した。 

 (C)そして、平成版「桜田門外の変」も起こらずにズルズルと時間だけが過ぎて、遂に、被災民達の
  不満が爆発して平成版「奥州の天明飢饉」が起こり、難民は首都東京への南下を始める・・・
      OZAWA小四郎は如何に行動するのか?
   (幕府の権威はガタ落ちで、ヤクザ・浮浪民が多発し、「天狗党」は京都へ行軍する)

 さてさて、こんなストーリーで「水戸天狗党」争乱が描ききれるか、乞う御期待!

 (D)それにしても、相変わらず事務的な震災対策を続ける官僚達にも呆れ果てるし、水戸藩に
  おける天狗党遺児・武田金治郎の大虐殺にも戦慄して、・・・座長は「お前達は人間じゃネ~」
  叫びたくなりますナ~。

「会津のケネデイ」WATABE源蔵は「サムライ」精神を忘れた代議士。

2011年06月14日 | 水戸天狗党
    (座長芝居;OZAWA天狗党A06←クリックより)
 さてさて、座長は福島県南郷出身なので、2日経っても「会津のケネデイ」WATABE源蔵代議士らへの
怒りが治まらない。

        
     安全談話連発の枝野官房長官が完全装備で・・被災者福島県人と手袋握手
        相馬市は0.5μシーベルトなのに五分間視察で退去
 

それは、偶然ながら昨日ブログUPの夜9時からのNHK第2ラジオで「会津藩主・保科正之の
明歴大火緊急策」by東大教授山内昌行氏の講演会放送があったので、ますます燃え上がったのだ。
そこには平成の日本人には想像できない緊急時の「サムライ」の御仕置きがある。

 (A)関ヶ原WARから半世紀後の大江戸が「明暦の大火」に襲われたのは1657年。
  当時将軍補佐役であった会津藩主・保科正之は、政治中枢機関の「幕府」を江戸城(天守閣が焼失)の
  外へ移動する事を禁じて指令系統の維持に勤めた。
   vs ドラム管首相は震災対策委員会を指令系統を複数設置したために指令系統が曖昧になり
     対策遅れが発生したままである。
 (B)幕府所蔵米を立入禁止のまま焼失させる幕閣命令を変更させた保科は、「どうせ焼けるナラ・・」
  と庶民に開放したので、そこを起点の庶民通行路が出来上がり被災後の生活安定に寄与する。
   vs 枝野談話では77京ベクトルの「SPEEDI」放射能拡散分布情報が公開されないため、
     福島の庶民は不要な緊急避難による生活・財産の損害を受け、一部の庶民は高濃度放射能
     による損傷をー政府の不手際によって人体実験された。
     (厚生労働省大塚耕平副大臣はジュネーブWHO会議にて「この被災データは放射能疫学に
       寄与する・・
」と発言した。)
 (C)保科は一六万両を即拠出して間口一間に三両一分を支給、お救い仮設小屋を上野・深川・
   浅草に設け、日に1000俵の炊き出しをおこなう。
    vs 被災90日経っても民主党政権はxxで・・座長はウツ症状になる寸前です。
 (D)保科は、豪商からの義援金徴収、諸大名返しで需要減させての物価対策、新江戸区割りと
   広小路の防災区画、等を行う。
    vs 被災90日経っても義援金支給率15%、原発総廃止と汚染食品規制で物価高騰? 
      ガレキ処理で手一杯・・座長はウツ症状になったのかもしれない。


国会議員722人が想定出来ない・・奥州エミシ人の平成版「天明飢饉」

2011年06月10日 | 水戸天狗党
    (座長芝居;OZAWA天狗党A04←クリックより)
 さてさて、OZAWA小四郎が心配するのは今秋に予想される平成版「天明飢饉」の再現である。
それは国会議員722名が霞ヶ関に集まっても全く震災対策に無能であった90日間や、
    その後に行われた「お役所仕事」的諸対策が非効率であって期待を裏切った事や、
などが要因となり 奥州エミシ人が怒りで燃え上がる争乱なのである。
        
 (A)そもそも奥州エミシ人達が東日本震災で従順で静かな行動を採り得た理由は、
    政府が迅速に対策実行するものと「想定」した事にあるのだが、
    その政治能力はIMD調査←クリックで最低クラスと評価されたのを彼らは知らない。
    そんなダメ政府の施策結果が明らかとなるのは今秋で、奥州エミシ人達は
    平成版「天明飢饉」の再現かと思われる悲惨な困窮事態へと陥いるのだ。

 (B)そもそも日本国平和憲法自体が「日本人だけを前科モノと想定する」侮属憲法である。
   即ち、周囲は全て善意の人達であるので、何もせずに静観すればいずれ良くなるという
      安逸な依存心情が戦後65年間で確立してしまったのだ。
      (それは震災津波のように夷人黒船が来襲しても・・今回の日本人・震災被災民と
      同様の行動となってしまうだろうと予想される)
   そこで、かってOZAWA小四郎が「普通の国」になろうと政策提言した事を思い出した奥州エミシ人達は、
   「普通の国民」として相談結集して霞ヶ関への天狗党集団行進を計画するのである。
       それは平成版「天明飢饉」の再現ではないか!

 (C)そもそも「想定外」という逃げ口上に潜む問題点は、
        それが役人的思考の延長線上にある事と、
        イザ「想定外」時の状況でも役人的行動で対応する事と、である。
   これらの問題はOZAWA小四郎を支持する団塊世代に顕著であり、右肩上がりの成長曲線に
   馴れ親しんだ彼らはバブル崩壊を導き、次元の異なる日本成長の「想定」を成し得ずに
   ロボットのように動き廻って老いたのだ。
         新しい「想定」を描ききれないOZAWA小四郎は悩んでいる・・
         OZAWA天狗党の党首となって行動すべきかを・・。

 (D)そんな時、彼の宿敵のSENTANI三佐が、次の内閣で実権を握りつつあるとのニュースが流れてきた。
   華夷秩序の思考に従順な彼らに、暗鈍なる平成時代を打ち破る新たな日本成長の「想定」を
   提言できるのだろうか?  OZAWA小四郎は、幕末水戸天狗党のように「攘夷思想」が
   満ち溢れてくるのを感じた。

      (以後:ブログOZAWA天狗党A05 に続く)

霞ヶ関の無策90日が招く奥州エミシ蝦夷人の悲惨=平成版「天保の大飢饉」

2011年06月07日 | 水戸天狗党
    (座長芝居;OZAWA天狗党A03←クリックより)
 さてさて、OZAWA小四郎が会った被災者の女性は5月16日までパンと牛乳の支給しか無かったとの事
   ・・その理由は「霞ヶ関官僚による現地査定」後でないと地方自治体へカネが降臨しないという
     中央集権システムの為である。
     更に、膨大に集められた復興募金は被災者に迅速分配されること少なく・・「迷銭」となり、
     ある人には「冥銭=ベトナム死者の金」となるかもしれないという「お役所仕事」なのだ。
      

 米国TWA計画を模して戦災復興を為したTANAKA斉昭は、金の有効な使い方を熟知してたので、
 (A)後継者難で遊休中の漁船を一括買い上げし被災漁民に賃貸する官民会社を
    設立して、水産業による現金収入を確保する。
 (B)後継者難で遊休中の田園を一括借り上げし被災農民に賃貸し、農産物を
    直販する官民会社を設立する。
 (C)津波でビル屋上に押し上げられてる船を観光化する官民会社を設立して、現金観光収入を得る。
 (D)放射能汚染で風評被害の福島農産物を一括買い上げして、余命20年以内の段階老人達に
    販売する官民会社を設立する。
等々、とにかくカネを動かす事に集中する事で地域活性を計るであろう。

 ところが、奥州エミシ蝦夷人は・・既定のガレキ法律の諸権益に拘束されて、無策90日を経ても
悲惨な状況は変わらず、3月の寒さから~雨期の病気感染~真夏の熱疲労~を経て、秋の絶望を経験する
運命にある。

 OZAWA小四郎は知っている!
江戸末期に奥州を襲った天災飢饉で地元の岩手人多数が飢え苦しんだ事を!
そして、東北の冷たく厳しい冬を迎える平成の秋のある日、あの大人しく乱れなかった蝦夷エミシ人が
立ち上がり、東京への震災行進を始める事を想像したのだ。
   そのルートは「奥の細道」を逆に南下して、南郷・八溝山へ至る道なのだ
  (水戸天狗党は幕末11月、徳川末期に八溝山麓の大子町から京都への悲惨な西行行軍を開始した。)




ドラえもん役のドラム管総理で平成コミック内閣no揃い踏み

2011年05月26日 | 水戸天狗党
          (座長芝居;OZAWA天狗党A02←クリックより)
 さてさて、OZAWA小四郎は震災ガレキ跡から故郷水沢に戻る。
この岩手県は、88年前の関東大震災後復興策として大胆な「大風呂敷・・復興計画」を立てた
後藤新平東京市長の出身地でもあると共に、「ヤッてミナキャ判らない!!」と御前会議で
怒号して戦争に陥らせ、66年前に東京下町を焼け野原にした東条英機首相の地でもあるのだ。
 そして平成23年三月、震災と津波と原発汚染によって「白河以北、一山百円」のガレキの山と化した 
東日本にOZAWA小四郎は立つのである。
     川島正次郎:後藤新平に仕え、田中内閣を準備した

メルトダウンした福島原発のTV映像を家族と共に見ながら・・OZAWAは、
 (A)「OZAWAにヤラせてミナキャ判らない!!」という平成団塊世代達の支持を感じていた。
  しかしながら、自分が後藤新平の様に「大胆な復興計画」を提案出来るか迷っていたし、
  戦後のTANAKA斉昭のように「官僚を人慣らし」して政策遂行が出来るかという戸惑いが
  ・・津波のように繰り返し脳裏を襲ったのである。
  そもそも平成団塊世代達は、戦前派世代が為した戦後施策の沿って・・・ロボットの様に
  「動いた」にすぎない。彼らは、TANAKA斉昭が立法化した法律を改廃も出来ずにいるし、
  アナログ日本をデジタル化する事に対応出来ずにいるのだ。
  これからの震災復興策は、官僚権益というヘドロが付着したガレキ法律の上に不効率に構築される。
  それらは数年続く余震と共に・・法律は崩れ去り、従順で大人しい奥州蝦夷エミシ人は蜂起するのだ。
       (田中角栄をめぐり、日本社会の深層部分で「縄文の神」と「弥生の神」の壮絶な戦いが
                   繰り広げられた
-早坂茂三著作より)

 (B)父親OZAWA東湖は、ナゼ、東京生まれの自分を本籍地岩手県の人としたのだろう?(東条英機も同じ)
  自分より先に首相となったHATOYAMA慶喜の場合は、祖父HATOYAMA一郎が地主支配した列島北僻地を
  選挙区としただけなので、都心豪邸からその場限りの政策方便を叫べば済んだのだ。
  しかしながらOZAWA小四郎は、父親と共に選挙巡回した地元を逃げられない・・とはいえ、
  原発放射能のチリを被ってまで政権奪取に豪腕発揮する事には悩んでしまった。

 (C)孫の「このオジチャン、ドラえもんのスネ夫に似てるね」という声にTV画面を見ると、
  あの保安院ヤクニンが事故報告書を読み上げていた。
    何でも使い走り役の海江田大臣はのび太、「大丈夫」と談話連発の枝野長官がジャイアン、
    タレント美人の蓮鳳大臣はしずかちゃん、そして、ドラえもん役のドラム管総理の登場で
  平成コミック内閣の揃い踏みとなるが、
    ドラム管総理のポケットからは何も出てこないという事が平成日本人の悲劇である。

 (F)そこで、OZAWA小四郎は、戦中派政治家であった川島正次郎
   「今後の政治家に この人だ!という人材がいない」とぼやいた事を思い出した。
  このコミック内閣を見れば的確な見識であったが・・自分もその評価に準じてしまうのでは
  と身震いした。彼の天狗党の中に、選挙民迎合のタレント議員が多数当選させたのは彼自身だからだ。

  (以後:ブログOZAWA天狗党A03 に続く)

震災ガレキ跡に呆然とする小沢、田中角栄を顧みるか?

2011年05月24日 | 水戸天狗党
(座長芝居;OZAWA天狗党A01←クリックより)
 さてさて、OZAWA小四郎は震災ガレキ跡に立ち尽くしている。
この様な大規模な破壊を見たのは、幼い頃のオボロゲな焼け跡記憶しかない。
そして足元を絶えず震わせる余震は、42年に及んだ彼の政治理念をガタガタと崩しつつあるかのようだ。
 しかし彼の胸中を察したかの様に 「先生を支持する多くの団塊世代達が、この津波のように太平洋の
彼方へ消えてしまったら困りますネ~」と彼の側近が冗談口を発したときは、ギョロ眼で叱りつけた。
  
        
  
(A)大学で弁護士業を志したOZAWAは、五歳違いの戦後団塊世代が議論に熱中する様子を快く
 受け入れていたが、しかしながら「吸取紙で作った人型」の感じも受けたのだ。
       即ち、最初のキッカケとなった印象・思想で全身が染まってしまうのだ。
  だからOZAWAは彼らに「好きな女優は?」と聞く事で、自分への政治的期待が持続していることを
 確信する術を獲得した。彼らの返事が「私は、子役から変わらぬYOSINAGA節子が好きなサユリストです!」
 と答えるならばマダマダ大丈夫なのだ。

(B)大学で弁護士業を志したOZAWAは、24歳違いの戦前派議員TANAKA斉昭やKANEMARU家老人に
 師事しての政治家稼業であったが、父親OZAWA東湖の命令とはいえ・・肌の合わぬ政治手法を
 学ぶ事となった
  (後年、彼は守旧派、改革派と党内を分断して政争ー所謂・天狗党騒乱ーを起す事となる)。
  しかしながら、この戦前世代の凄まじい行動力を再確認したのは、あのAWAJIマチ子の老醜演技を
 テレビで見た時であった。
  KUROSAWA北斎の戦後映画「野良犬」で宝塚スター・デビューした女優AWAJIマチ子が、
 美人装いをガバッと捨てて「老いの問題」を画面一杯に演技する様は、団塊世代・Jr世代には
 有り得ない行動であった。

(C)政治家デビューして34年後にOZAWAは 二度目の天狗党騒乱を起こす事に成功する。
 その時のマニュフェストは「経済の立て直しは容易だが、精神の立て直しは難しい・・」としたが、
 故郷奥州の震災ガレキから東京に戻ったOZAWAにはその言葉が空しく聞こえる。
  やはり世間は、「コンピューター付のブルトーザー」と揶揄された田中角栄を求めつつあるのだ。
 そんなOZAWAにNHK大河?ドラマ「江」の主役UENO総理の空々しいセリフが耳に入る
      ・・これが平成人の精神発露なのか?
 それは改めてOZAWA天狗党チャイルド連を連想させてしまう「カワイイ」の羅列なのだ。

 (以後:ブログOZAWA天狗党A02 に続く)


横割れ被災日本を「縦割り」行政する平成役人達! 怒りの田中角栄!

2011年05月05日 | 水戸天狗党
 さてさて、奥州・東日本は横割れの大激震、特に三陸沿岸では横殴りの大津波を受け、
更に福島原発被災による放射能汚染が加わった結果、多くの人命と財産が失われてしまいました。
その賽の河原の如きガレキ跡に立って、東日本の蝦夷エミシ人は途方に暮れております。
     「TANAKA斉昭、OZAWA小四郎」:OZAWA天狗党
 そんな蝦夷エミシ人を絶望させるのは、平成役人達の「縦割り」行政と、民主党公約如く20余もの
震災対策委員会をブチ上げた管ポッポ内閣の場当たり無能施策で、江戸末期の天災飢餓同様の
「野タレ死」の途であります。

 もし、TANAKA斉昭(田中角栄)がこの惨状を見たならば、
 (A)停滞するガレキ土地権利を一括強制買収し→生活・経済インフラを立ち上げて活気を戻し
   →経済復興後に改めて補償還元する、という緊急策を実施するであろう。
   なぜなら、今から66年前、戦災焼け跡に立って復興策を構想した裏日本出身のTANAKA斉昭
   (田中角栄)28歳は、国会議員になって七ヶ月後にすぎない昭和22年12月「家を与えずして
   何が民主主義か!」
と片山内閣を国会追求したのであります。
   
 (B)並の議員達が食糧問題に熱中する風潮の中で、「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、
   教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」との越後長岡藩の精神で前記施策を提案したのです。
    (しかしながら、ヤクニン住宅完備の官僚達の鈍感政策により、その後、
            住宅ローン・土地バブル・ホームレス、等の諸問題が引き起こされた)
    ( 座長創作中の「OZAWA天狗党←クリック」で語られるエピソードその1 )

 (C)そして、昭和24年09月には建設委員会総合開発小委員会議長(30歳!)となって、
   戦後日本の全体的復興計画(国総法)を立案するのです(エピソードその3)。

 次回ブログは「OZAWA天狗党」エピソードその2から、
   昭和22年07月の本会議での「議員同士の自由討議」演説主張が不完全な結末に至り、
   その後の野党攻撃のみの議会運営を真似た検察司法が「反対尋問」させずにTANAKA斉昭(58歳)を
   逮捕蟄居させるお話・・です。



あの小沢一郎が「天狗党」代表になる・・芝居

2011年04月28日 | 水戸天狗党
 さてさて、座長は昨年来「水戸天狗党」に凝っておりますが、昨今の天災・人災・政災・・等を
反映させた創作芝居の構想を得ました。
        TANAKA斉昭

 主役は OZAWA小四郎・・なる人物で、東日本震災の後に驚くべき転生を為して、
三陸金華山にて挙兵するという話!!
水戸藩の抗争、幕府内での政争、天狗党の騒動、等を参照しての長時間舞台劇の予定です。
 
 桐生スバル座←クリック にて創作ノート公開中です。 

   第1幕;OZAWA小四郎の沈黙  
    第2幕: TANAKA斉昭の施策
     第3幕; KAN正弘首相の迷走  
       第4幕; KUROSAWA北斎!
         第5幕; OZAWA小四郎とSENTANI三佐との対立
       第6幕: 「OZAWA天狗党」の悲劇