さてさて、座長が宗教「神道」の学びを始めてから2ヶ月、戦前生まれの井上寛著「神道の虚像と実像」を読んで頭に浮かんだキーワードが「組織神道」なる言葉!!
個人の救済を離れて巨大な宗教組織の維持に埋没してしまいがちの宗教なのだが、国民全体を救済せんとする国家イデオロギーも同様に組織維持に・・埋没しまいがちなのだ。
(A)敗戦後の日本の物心を7年間占領した米国GHQは、戦前の国家イデオロギーを「国家神道」と命名してガレキ排斥し、戦後日本を(米国内では実験段階であった)社会主義似の民主イデオロギーで洗脳したのだが、これらは戦後生まれの団塊世代に対して顕著なる成功を収めた。
(米国は実験段階であった原爆も広島・長崎で成功させたし、ジュネーブ協定に違反して「国家神道はダメ!」と日本人に強制した米国自身が、その後「国家キリスト神道」の旗印の下でアジア、南米、中東と戦争を繰り返す矛盾を犯している)。
彼ら団塊世代を(教育、オルグ、洗脳)する先輩立場にあった著者井上氏は、「明治国家神道」の非難に熱意を示し、更には古代の「律令国家神道」をも批判の対象とし、加えて戦後に僅かに温存された「柳田国雄的民族神道」まで疑問(巻末の論説は理解不?)する有様なのだ。
自己批判の洗脳リンチ(これが団塊世代をダメにした!)を免れて「存在するには訳がある!」の言葉に安堵していた座長は、前記二つの宗教形成時期には国家的な危機感が満ち溢れていた事を考える。
(B)その危機感とは(平成日本人が想像も出来ない事だが)、古代律令国家形成時には唐帝国、近代明治国家形成時には欧米列強、らからの侵略危機であった。
光輝く護国神仏を拝めば安泰としてた飛鳥国家には隣国百済国白村江敗戦が一大ショックとなった。(幸いにも唐軍侵略が無かったので)大胆な唐文化導入に傾注したのが奈良律令国家である。彼ら律令リーダー達は、従来の伝言行政を改めて文書で統制する中央集権官僚システムへ転換すると共に、(唐国の皇帝システムに対抗して)天皇神話を中心とした組織神道の形成に力を注ぐのだったが、地方庶民の土着神様信仰の勢いは衰えずに・・室町後期に至るのである。
(C)島国3000万人が「和=談合」で安泰としてた大江戸日本には隣国チャイナ国アヘン敗戦が一大ショックとなった。
(幸いにも欧米軍の侵略が無かったので)大胆な欧米文化導入に傾注したのが明治国家であるが、その維新リーダー達は、大胆な欧米文明導入と「国民国家ー宗教・心情を共通とする全員集団」の形成だけが植民地化されぬ道だと実感する。
その頃には室町以後に全国的普及した京都「吉田神道」という儀式重視の組織神道や徳川サムライ達の国学習得などで神道思想の地盤が確立していた為に、(欧米キリスト神に対抗して)現人神・天皇を中心とした国民国家の形成に力を注ぐ事が出来たのだ。
(D)斯様な国家イデオロギーが必要でない社会を望む座長であるが、311震災で東北人は国家を信じて従順でありすぎた。霞ヶ関国家はそんな被災民を裏切って・・安全情報も・・救援施策も・・ゴマカして今日に至るのだ。
東北震災を忘れないで!
追ブログ:NHK放映の雄勝法印神楽のように再興される場合もあるが、多くの「民俗祭り」が受難して伝統祭りが消滅しつつある。子供の頃に町角で「神楽演芸」を楽しんだ座長は、いつか「桐生スバル座」の舞台で再演したいと思っている。
個人の救済を離れて巨大な宗教組織の維持に埋没してしまいがちの宗教なのだが、国民全体を救済せんとする国家イデオロギーも同様に組織維持に・・埋没しまいがちなのだ。
(A)敗戦後の日本の物心を7年間占領した米国GHQは、戦前の国家イデオロギーを「国家神道」と命名してガレキ排斥し、戦後日本を(米国内では実験段階であった)社会主義似の民主イデオロギーで洗脳したのだが、これらは戦後生まれの団塊世代に対して顕著なる成功を収めた。
(米国は実験段階であった原爆も広島・長崎で成功させたし、ジュネーブ協定に違反して「国家神道はダメ!」と日本人に強制した米国自身が、その後「国家キリスト神道」の旗印の下でアジア、南米、中東と戦争を繰り返す矛盾を犯している)。
彼ら団塊世代を(教育、オルグ、洗脳)する先輩立場にあった著者井上氏は、「明治国家神道」の非難に熱意を示し、更には古代の「律令国家神道」をも批判の対象とし、加えて戦後に僅かに温存された「柳田国雄的民族神道」まで疑問(巻末の論説は理解不?)する有様なのだ。
自己批判の洗脳リンチ(これが団塊世代をダメにした!)を免れて「存在するには訳がある!」の言葉に安堵していた座長は、前記二つの宗教形成時期には国家的な危機感が満ち溢れていた事を考える。
(B)その危機感とは(平成日本人が想像も出来ない事だが)、古代律令国家形成時には唐帝国、近代明治国家形成時には欧米列強、らからの侵略危機であった。
光輝く護国神仏を拝めば安泰としてた飛鳥国家には隣国百済国白村江敗戦が一大ショックとなった。(幸いにも唐軍侵略が無かったので)大胆な唐文化導入に傾注したのが奈良律令国家である。彼ら律令リーダー達は、従来の伝言行政を改めて文書で統制する中央集権官僚システムへ転換すると共に、(唐国の皇帝システムに対抗して)天皇神話を中心とした組織神道の形成に力を注ぐのだったが、地方庶民の土着神様信仰の勢いは衰えずに・・室町後期に至るのである。
(C)島国3000万人が「和=談合」で安泰としてた大江戸日本には隣国チャイナ国アヘン敗戦が一大ショックとなった。
(幸いにも欧米軍の侵略が無かったので)大胆な欧米文化導入に傾注したのが明治国家であるが、その維新リーダー達は、大胆な欧米文明導入と「国民国家ー宗教・心情を共通とする全員集団」の形成だけが植民地化されぬ道だと実感する。
その頃には室町以後に全国的普及した京都「吉田神道」という儀式重視の組織神道や徳川サムライ達の国学習得などで神道思想の地盤が確立していた為に、(欧米キリスト神に対抗して)現人神・天皇を中心とした国民国家の形成に力を注ぐ事が出来たのだ。
(D)斯様な国家イデオロギーが必要でない社会を望む座長であるが、311震災で東北人は国家を信じて従順でありすぎた。霞ヶ関国家はそんな被災民を裏切って・・安全情報も・・救援施策も・・ゴマカして今日に至るのだ。
東北震災を忘れないで!
追ブログ:NHK放映の雄勝法印神楽のように再興される場合もあるが、多くの「民俗祭り」が受難して伝統祭りが消滅しつつある。子供の頃に町角で「神楽演芸」を楽しんだ座長は、いつか「桐生スバル座」の舞台で再演したいと思っている。