桐生スバル☆☆☆座   

映画好きの座長がWEB劇場・桐生スバル座を始めましたが
東日本震災で故郷FUKUSHIMAが悲惨な状況で帰れないネ~

明治時代のミンケン運動の聖地・福島ケンが原発汚染のゴミンケンへと変貌

2013年08月31日 | 御霊震災311
 さてさて、夏草が大量繁茂する阿武隈山地の麓・南郷の地で、座長はナゼ??灼熱砂漠アフリカの「暑い大地の飢餓地獄ー元歌:浜千鳥」替え歌を謡うのか・・・と訝イブカる御方に、ココ福島県の「緑のゴミ砂漠」変容をブログしたい。

(A)満開の桜の下には狂気がある・・・と記したのは米軍空襲の焼け跡に立った戦中派の坂口安吾だが、座長は山盛り夏草群の下には死の灰セシュームがあるのだと米国製原発廃地の福島ケンに立つ。
 坂口は人間が下手に形式張らずに自由に堕落メルトダウンするならば何か活路があるだろう・・と「堕落論」にて主張したのだが、戦後復興の勢いに乗った東京ヤクニン共は形式一点張りの原発管理を続けて、遂に原発メルトダウン事故を引き起こし・・それは大規模な農作地放棄、即ち、「緑のゴミ砂漠」を造りだした。

(B)更なる饑餓地獄を想定出来る失政として「小規模農家を保護する福祉農政」と「後継者なき高齢化農業」があり、結果として農産地は荒れ放題、農業放棄で農機具資産が安価に海外流失する現状に加え、旧友の農家友達が難儀するのは平成11年「野焼き禁止条例」が拡大解釈されて山間地には「緑の砂漠」状態が進行している事だそうだ。
 東京ビトは信じられないだろうが、農家と言えども野焼きを相互に自粛して草木を野積みにした状態が多く、昔の焼き畑農業如く焼き灰肥料として再活用出来ないと言う。
  
 非農家は更に深刻で(庭木を30cmにして45L30円燃え袋詰め必須)と(薄紙、生ゴミ、汚れプラ、厚手のプラ成型品、衣類を45L30円燃え袋詰め必須)と、資源ゴミとして(洗って綺麗な薄プラ、発泡スチ、Pボトルを45L30円資源袋詰め必須)と(厚紙容器紙袋包装紙コップを45L30円資源袋詰め必須)と(各袋に個人名記入必須・・・新婚さん悩むナ~)の手間を強いられ・・・斯くして美しき個人庭園も家屋内も荒れ放題となる運命か。

(C)こんな資源ゴミ回収名目の煩雑分別に座長は怒って焼却場現場に乗り込んだ。 そこで確認した事は(東京都と同じく)パッカー運搬車で圧縮収集された3種のゴミ袋の行き先は(東京都と同じく焼却技術が向上して)紙とプラが同時に投入される焼却口2箇所!!それゆえ煩雑ゴミ分別の手間は軽減出来る事、そして、南郷4町村のゴミ一括引き受けの大施設を税金で建ててもらい、更にはその運営費用も毎年得て大儲けする大企業クボタ(クボタ環境開発)の住民軽視の姿である。(これから建設予定のバイオマス焼却施設は、県外廃材導入予定の超大型施設なので問題化している)

(D)そんな東京ヤクニン共の形式一点張りに反対して地方自治を求め、農家資産の都会流失を防ぐ運動として明治時代の自由民権運動があり、福島県は四国高知県と並ぶ運動の聖地であった。
 それら運動勇者には浪江町の苅宿仲衛、会津の山口千代作、三春の広野広中、喜多方の三浦文次、らがいる。実は帰り車中で原発引揚げ者が(北島三郎の帰ろ~かな)を熱唱した時、座長は「福島県浜通りは原発汚染物のゴミ集積所となり、30年間帰れずの流転生活・・仮宿生活を強いられる」と言いたくなったし「仮宿、カリ宿、苅宿・・」とミンケン運動家の苅宿仲衛を思い出していた。

薩長出身の三愚(世良修三・三島通庸・管直人)が壊す会津と福島!

2013年08月17日 | 御霊震災311
 さてさて、座長は今年4月13日ブログに「・・・JR水郡線塙駅から台宿方面へブラブラと久慈川沿いの堤防道を歩いていたら、小学生と出会う度に「コンニチワ!コンニチワ!」と挨拶されるのだー「知らない人と話しチャ駄目ヨ!」という都会と違った地方教育だろうが・・・」と書いていた事をフッと思い出し、そんな福島の純粋な子供達を「エダノ子、カンノ子、被爆の子」と汚し謡ってしまった事を後悔し始め、それからはウツウツウツした日々が続き、
               
やがてはブツブツブツと「この福島を駄目にした奴は誰だ?!」という心理へ異常発酵するにまでに至った。

(A)座長ら南郷ビトにとって「会津は福島の京都」であり「福島市は東京都」である。
 その伝統ある会津藩の殲滅を主張したのが長州の漁民上がりの世良修三という奥州鎮撫ヤクニンで、それは敗戦後の東京裁判如き反論無視の朝敵占領政策であり、その後の下北斗南移住策に至ってはソビエトのシベリア抑留如きであった。

(B)明治期になっても福島県民への破壊政策が継続される。
 福島市に福島県令となって赴任した薩摩藩出身の三島通庸は、高知県と並んで盛んであった福島民権運動の殲滅策←クリック)を率先実行すると共に、東京霞ヶ関ヤクニンが計画した過酷な土木工事を県民に強要した。後に茨城県加波山事件という暗殺テロ事件を招く程の民権弾圧政策は栃木県令へと転任しても継続し、桐生市上流の足尾銅山鉛害騒動も弾圧された。

(C)長州宇治市出身の管直人首相が福島県民の全てを破壊しつつある。
 原発事故直後の不手際以上に問題なのは、原発撤退を大々的に発表して300人以上の原発研究者を海外転職させて(廃炉処理が遅れる)失策と、東京電力という民間会社に後処理を全て任せるという責任逃れ策と、等により、2年経過した福島原発が再び暴走する事態が近いのである。

(D)座長一族の長オサである伯母の家を訪ねると、ココ南郷では「山間材木利用のバイオマス発電所建設」が大騒動となっていた。東京という都会では「再生エネルギーの活用」という美名で飾られる事業が福島・南郷という田舎で展開されると、「放射能汚染材木の後処理場になる!」などの地域エゴへと変質するノダ・・・と、座長は上から目線で聞いていたのだが、桐生スバル座楽屋に戻って検索してみると←クリック)みると、福島被災地では原発安全神話が霞ヶ関官僚達によって「安全伝説」へと変身させられつつある事に気付いた。
 
 住民の安全が神話や伝説のレベルでしか語られない平成日本で座長が気になる現実は、荒れ果てた農地と山々が暗示する食糧危機の問題である。

 H25/08/17 Utatteru #76 OZUの謡←クリック 
「暑い大地の飢餓地獄」 元歌「浜千鳥」作曲:弘田龍太郎 作詞:鹿島鳴秋

暑い大地の窪みには
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 残る身体で今日生きる