さてさて、常磐線に乗る就職希望者が全て「三河島の決心」するのでもなければ、奥州盆地に
残った人達が何もしなかった訳ではない。
座長が東京塵芥の中に埋もれつつある頃には、福島・郡山で「ワンステップ・ロック集会」が
日本初で開催され、80年代には日本初の酒安売り「東駒・東菱酒造」が座長故郷の「南郷町」に
誕生し・・消滅させられたのだ。

八槻都々古別神社の霜月大祭が12月10日(土)~11日(日)開催←クリック
先代「東駒酒造」社長はこの神社の宮清水で新酒を造った。
現在、ネット検索で「東駒酒造」「東菱酒造」を検索すると、前者には福島出の民族運動家・瀬戸
弘幸氏の事件、後者は日本酒詐称事件、のコピー記事が大部分となるのだが、地元目線で
改めて古市滝之助社長の「清酒革命」を(故黒木氏を見習って)ブログ編集しようと座長は決めた。
(その頃、座長は東京在住だったので関連情報が少ない事を告白せねばならないし、40年前の
当事者に出会う機会も少ないのだ。情報提供を望みます)
(A)古市社長の人柄が解る唯一の記事←クリック)から、座長は「遠心分離器の思想」を
見い出す。敢えて東京中心とせずに遠隔地域での社会活動を!という古市社長の思想は、
日本初の「酒廉売・・10本買えば9本オマケ!」の商法を東京生活協同組合と起こすのだ。
その頃の酒販業界は、戦前の統制経済下の名残りが強く、消費者小売値はヤクニン黙認の
高価販売、酒造元へはリペート・値引き要求という小売店優位の殿様商売であった。
(ネット通販の今ならば容易なのだが・・早すぎた!)
(B)斯様に酒造元が困窮する中で、税金ヤクニン達は、S39年の第1次臨調の酒販自由化
答申を無視し続け、S58年酒販組合の「厳格すぎる酒税適応の改善要求」を無視してきた。
この過程で「東駒酒造」の古市滝之助4代目社長は、日本初の酒直販を実施した為に、
過酷な税金搾取とJマスコミの誹謗中傷に遭い、倒産したのである。
その経過を語る記述を、S58年10/13参議院での秦豊議員の質問書←クリックから
抜粋すると、
1:古市社長は6億余の滞納税を一部納付、残りを順次納税としたが
2:ヤクニンは39億円の超過課税・差し押えを強行し、
3:仕掛け中の原酒・社員用預金まで差し押さえ
4:酒販組合に8億円を融通?して、公売取得させて
5:原酒アルコール化分の酒税と滞納税分を確保した。
(C)11/11の中曽根首相の答弁は、1は古市4代目社長に誠意が無い、2の超過課税と
3の預金はナシ、3の原酒差し押さえは適法、4は知らない、との官僚答弁であった。
以前からのJマスコミ誹謗(H18年迄、業界黙認の糖分添加の日本酒販売の事)により
困窮していた古市滝之助3代目社長は、裁判所に訴えて1審勝訴であったのだが、その後は
敗訴となって、その後「東菱酒造」として再建を図るも倒産し、現在残るのは悪風評だけである。
(その倒産時に起きた瀬戸氏の恐喝関連事件も不起訴である)
座長故郷の「南郷町」で最大繁栄の棚倉町へ至る118国道沿いにあった豪壮な「東駒・東菱酒造」
屋敷は、若い頃には憧れて何回か写真を撮ったものだが、今は更地となって寒風に晒されている。
残った人達が何もしなかった訳ではない。
座長が東京塵芥の中に埋もれつつある頃には、福島・郡山で「ワンステップ・ロック集会」が
日本初で開催され、80年代には日本初の酒安売り「東駒・東菱酒造」が座長故郷の「南郷町」に
誕生し・・消滅させられたのだ。


八槻都々古別神社の霜月大祭が12月10日(土)~11日(日)開催←クリック
先代「東駒酒造」社長はこの神社の宮清水で新酒を造った。
現在、ネット検索で「東駒酒造」「東菱酒造」を検索すると、前者には福島出の民族運動家・瀬戸
弘幸氏の事件、後者は日本酒詐称事件、のコピー記事が大部分となるのだが、地元目線で
改めて古市滝之助社長の「清酒革命」を(故黒木氏を見習って)ブログ編集しようと座長は決めた。
(その頃、座長は東京在住だったので関連情報が少ない事を告白せねばならないし、40年前の
当事者に出会う機会も少ないのだ。情報提供を望みます)
(A)古市社長の人柄が解る唯一の記事←クリック)から、座長は「遠心分離器の思想」を
見い出す。敢えて東京中心とせずに遠隔地域での社会活動を!という古市社長の思想は、
日本初の「酒廉売・・10本買えば9本オマケ!」の商法を東京生活協同組合と起こすのだ。
その頃の酒販業界は、戦前の統制経済下の名残りが強く、消費者小売値はヤクニン黙認の
高価販売、酒造元へはリペート・値引き要求という小売店優位の殿様商売であった。
(ネット通販の今ならば容易なのだが・・早すぎた!)
(B)斯様に酒造元が困窮する中で、税金ヤクニン達は、S39年の第1次臨調の酒販自由化
答申を無視し続け、S58年酒販組合の「厳格すぎる酒税適応の改善要求」を無視してきた。
この過程で「東駒酒造」の古市滝之助4代目社長は、日本初の酒直販を実施した為に、
過酷な税金搾取とJマスコミの誹謗中傷に遭い、倒産したのである。
その経過を語る記述を、S58年10/13参議院での秦豊議員の質問書←クリックから
抜粋すると、
1:古市社長は6億余の滞納税を一部納付、残りを順次納税としたが
2:ヤクニンは39億円の超過課税・差し押えを強行し、
3:仕掛け中の原酒・社員用預金まで差し押さえ
4:酒販組合に8億円を融通?して、公売取得させて
5:原酒アルコール化分の酒税と滞納税分を確保した。
(C)11/11の中曽根首相の答弁は、1は古市4代目社長に誠意が無い、2の超過課税と
3の預金はナシ、3の原酒差し押さえは適法、4は知らない、との官僚答弁であった。
以前からのJマスコミ誹謗(H18年迄、業界黙認の糖分添加の日本酒販売の事)により
困窮していた古市滝之助3代目社長は、裁判所に訴えて1審勝訴であったのだが、その後は
敗訴となって、その後「東菱酒造」として再建を図るも倒産し、現在残るのは悪風評だけである。
(その倒産時に起きた瀬戸氏の恐喝関連事件も不起訴である)
座長故郷の「南郷町」で最大繁栄の棚倉町へ至る118国道沿いにあった豪壮な「東駒・東菱酒造」
屋敷は、若い頃には憧れて何回か写真を撮ったものだが、今は更地となって寒風に晒されている。
お元気の様ですね。
また一杯やりたいですね