渡辺さん家

スイーツ大好き渡辺さんの時々日記

セラリーナ演奏 in 長久手文化の家

2018-08-31 17:29:24 | 音楽

2018年2月25日

オカリナのカオリ先生主催のイベントにセラリーナで参加させていただける事になり

手術後ちょうど1ヶ月が経過した体でウキウキとやってきました

モリコロパーク

私をここまで車で連れてきてくれた彼が忘れ物に気づき「本番までには戻ってくるからね」と言って自宅に引き返した

おっちょこちょいだなぁ(*'ω'*)

控室は2階だと聞いていたので「この建物だろう」と近づくと2階らしきものが見えない

あれ?

モリコロパークは広いから違う建物なのかなぁ?

うーん。分からん

セラリーナ代表の吉川さんに電話をしてみる

「もしもし、控室どこですか?」

「2階ですよ。駐車場から見える正面入り口から入って、建物の2階」

「私、多分正面入り口から入ったと思うんですけど。駐車場あるし。案内所が近くにあるから聞いてみます。建物の名前って何ていうんですか?」

「はぁ。私も今1階の事務所の前に居るんだけど、姿が見えないね。建物は『長久手市文化の家』という名前ですよ」

お互い「おっかしいなー」と思いながら電話を切り、案内所の方に「長久手市文化の家という建物はモリコロパークのどのあたりにあるんですか?」

と聞いたら、スタッフさんが「え?」って固まった

「モリコロパークとは関係ない施設なので、ここから離れたところにあるんですよ」

と言われて、今度は私が固まった

なんですって?( ̄▽ ̄;)

彼は車で自宅に戻ってしまったので往復2時間は帰ってこない

タクシーを呼ぶと、タクシーが来るまで15分ぐらいかかり、さらに移動に20分ぐらいかかるらしい

目の前にリニアモーターカーの駅があり、それに乗っていっても30分ぐらいかかるかも

との事で、リニアモーターカーでの移動を選び、道順をスタッフさんが丁寧に教えてくれた

「吉川さん、会場間違えた(T_T)これから移動するのでよろしくです~」

お互い噛み合わない会話をしていたのはそういう事か

なんでモリコロパークが会場だと思い込んだんだろう

と考えながら、「愛・地球博記念公園駅」から懐かしい万博会場跡を見下ろした

万博には3回行った。体調がよくない時期だったけど、それなりに楽しめた。当時保育園児だった娘は18歳になった

静かにリニアモーターカーが入ってきた。通称リニモ

駅は綺麗だけど、利用客が少なくてちょっと寂しい

しかし、磁気浮上式リニアモーターカーといえば

私が子供の頃は夢の乗り物だったではないか

そんなリニモに乗れるなんてラッキーだなぁ(*'ω'*)

モリコロパーク また来るねー

次は犬のモモと来たいな

リニモ沿線は大きな建物が多くて

IKEAが見えてきました

次にトヨタ博物館

イオンモール

そして私が降りたのは 愛・地球博記念公園駅から5駅目の

はなみずき通駅

よ、よし。ここから歩くぞ

左手に噴水を見ながら坂を上がる

教えてもらった通りてくてくと

10分ほどゆるやかな坂を上り続けたら

あったー( ノД`)良かったー

結構立派な建物

看板も確認OK

2階に上がると雰囲気のいいフロア

過去のコンサートの写真が会場の入り口に並んでいました

モリコロパークでも演っていたんですね

私のこの日のイメージはこのステージで演奏するものだと思い込んでいました

なぜそう思ったのか

プログラムを見て納得

「愛・地球博メモリアル」の文字

多分コレだ(-_-;)教室の皆さんは迷う事なく時間通りに会場に到着しているというのに

私とした事がなんたる思い込み

おっちょこちょいは彼だけではなかった

会場の入り口は個室の音楽室かと思う扉だが

中が広ーい(;'∀')びっくりしたー

グランドピアノまで置いてある

後付け装置で録音も可

昔こういうの流行った気がする

リハーサルに間に合って良かったです

オカリナやセラリーナの音は繊細なのでPA完備

一人ですったもんだしたけど

しれっと本番です

    

指揮者の竹下先生のMC

あれ?先生、私の紹介をしてくれてるんだけど

すごい褒めてくれてるよ

渡辺くんはウチの専属ピアニストで

楽譜を渡すとたちどころに伴奏を作って弾いてしまう・・・云々

先生、恥ずかしいです

会場には海外留学も経験した本格的なピアニストさんがいらっしゃるので

あんまり持ち上げられるとアラが目立ちますの(;'∀')

  

演奏曲

さくらさくら

通りゃんせ

お江戸日本橋

セラリーナで指揮者をしていた竹下先生はオカリナもやっていて

そちらのチームでの演奏もされました

この巨大な潜水艦のようなオカリナがすごい( ゚Д゚)

低い音が出ます

 

素敵なお花を吉川さんが手配されました

演奏するチーム名と曲名はプロの司会者の方が紹介してくださいました

 

留学経験もあるピアニストの大島さん

男装?がとても似合います。少年のようでかっこいい( *´艸`)

カオリ先生の伴奏で参加されていました

手前がカオリ先生です

軽やかで素敵な音色。オカリナはとても難しいと聞きますが

そんな事を感じさせない演奏でした

一緒にギターを弾いているのは 山名俊晴さん

この時、すっかり忘れていたのですが

何年か前、山名さんのライブに一度行った事がありました

所属バンド「トント」のリーダーに声を掛けてもらってパラダイスカフェに伺ったのに

聞いた事のあるお名前だなあ。というところまでしか思い出せません

リーダーと山名さんの関係は40年以上前からの付き合いで

リーダーにとっては恩人とも言える方だそうです

この後、夜はトントのライブだからめちゃくちゃタイムリーな状況だったのに

控室で山名さんとお話した事といえば

「さっき間違えてモリコロパーク行っちゃったんですよー( ̄▽ ̄;)」

「そーりゃダメだわ。ちゃんと会場確認しないとー(笑)」

程度の話で、リーダーの話をする事もなく。どこまでもポンコツな自分にがっかり

最後は全員で合奏&合唱

七つの子

山名さんのピアノ伴奏で参加されていた水谷さんが「連弾しましょう」と

大島さんの隣に座りました

臨機応変にアドリブができる方ってすごいなぁ(*'ω'*)うらやましい

演奏会が終わり、ゆっくりしたいところですが

長久手から名古屋の栄に移動して

バンド「トント」主催の新年会ライブに向かいます

 

 

 

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子宮頸がん手術から7か月後まで

2018-08-29 18:19:09 | 健康・病気

手術後の自宅療養では少々事件があったものの

手術で切ったところの痛みは一切なかったし

何年も忙しく動き回ってきた私には

まるでぬるま湯に浸かっているかのような極楽生活だった

1日100歩も動かないと思うほどの引きこもりっぷりで

療養中に「あれやろう。これもやろう」と思っていた事が山ほどあって

動かないけどそれなりに忙しく、一日中パソコンの前に座っている事も多かった

夜になると仕事を終えた彼が 犬のモモを連れて毎日会いにきてくれた

「大した手術じゃないから」と

病院へのお見舞いなどは辞退していたけれど

お菓子や本を持って自宅にお見舞いに来てくれた方にもとても救われました

「あぁ~(´;ω;`)久しぶりに身内以外の人とおしゃべりできた。」

親戚にも手術の事は言わなかったけれど

「退院してから手術の事聞いて」ってたくさんのケーキを持って慌てて来てくれた叔父と叔母

「太っちゃう~」とか言いながらモリモリ食べました(≧∇≦)♡

動かないわりに夜はよく眠れて、お腹が空かないので1日2食の生活になっていました

ピアノの練習は、健康な状態で弾いても疲れるので

療養中は弾きませんでした

お風呂は湯ぶねには浸かってはいけないと言われて

真冬に1ヶ月間シャワーのみだったけど

浴室に暖房があるのでなんとか凍えずにすみました

手術後2週間が経過した頃、少し外を歩いてみました

2週間動かなかっただけで、10分も歩けず すぐに疲れてしまいました

翌日から少しずつ体力の回復と、日常生活に戻る訓練をしようと

会社に車で出かけて、社外報の原稿を届けに行きました

帰りに近くのお店で必要なものをちょっと買い物

あまり歩けないので「ちょっと買い物」のつもりが時間がかかり、あちこち筋力が弱っているのか

支払いの時にレジで小銭をばら撒きました( ̄▽ ̄;)ゴメンナサイ

その日はキズ口のかさぶたが取れたのか、鮮血が多めに出血しましたが

翌日には出血が止まりました

出血が止まったのでお散歩

まだ長距離は歩けないので リードは彼が持って

私は電動キックボードで移動

外の空気がおいしい(*'ω'*)

 手術後3週間目に名古屋のスタジオへバンド練習に出かけました

ボーカルのよりちゃんが復帰をお祝いしてケーキを買ってきてくれました

「好きなの食べていーよ」って言われて、みんなのケーキをひと口ずつもらうワガママっぷり

もう普通に動けるなぁと思って

「明日から出社します」と会社に連絡して、一人で犬の散歩に出かけたら

転んで怪我しました

筋力の低下は著しく、家に引きこもって冬眠生活をしていた私にとって外は寒すぎて体が思うように動きませんでした

仕事を再開して日常生活に戻り、手術後1ヶ月が経過

復帰後 初めてのライブはダブルヘッダーで1日2ステージの演奏

長久手で1ステージ。名古屋の栄に移動して2ステージ目

なかなかハードな復帰となりましたが、楽器を持参しなくてよかった事と

一緒に演奏する皆さんや、バンドメンバーが気遣ってくれた事

彼が朝から夜まで付き添ってくれた事で無事に演奏できました

3月になって娘の高校の卒業式に無事に出席できたし、夜 出歩く事もできるようになってきました

そして4月、娘の大学の入学式を終えて

ふと気づきました

「私、体形がめっちゃおばさん化してる( ̄▽ ̄;)」

背中の肉はブヨブヨと服の上からでも分かるほどたるみ、体重は絶賛右肩上がりに成長中

二重アゴはどの角度から写真を撮ってもごまかせなくなって、モサッとした立ち姿勢はどこから見てもおばさんでした

一番成長したのが二の腕で、姿勢の悪さからリンパの流れが悪くなり、脂肪が付き、もともと太かったものがさらに太くなって

3年付き合っている彼がふと私の二の腕を掴んで「え?(@_@;)」って言った

「え?って何?(-"-)え?って」

足の筋肉はすっかり衰えていて、上り坂とか、階段を上るという事ができなくなってしまった

ももの前部分に強い疲労を感じて頂上まで上がれないのだ

居ても立っても居られなくなって、運動が嫌いで嫌いでやめてしまったスポーツジムに3年振りに通うようになった

5月。マシンのウエイトが目に見えて重くなっていくので

筋肉が成長している実感があった

増え続けた体重が止まった

6月。パンパンにせり出していたお腹が少し落ち着いた

東京に旅行に行ってみたが、まだ体力不足で予定していた観光地を変更したり

休憩を多めに取る必要がありました

7月。週2回のスポーツジム通いを継続

食事制限とか、おやつを止めるとか、そこまでの意志の強さはもうないので

体重増加は止まったけど 減る事はない

そして8月現在。手術を受けたところは全く問題なく、痛みも出血もない

経過観察は3か月に1回。異常なし

体重、体形はさほど変わらないが、多少体が引き締まったかな

体力的には自分のキーボードを自分で運べるぐらいには筋力が付きました

運動は今後も続けていこうと思います

 

これで手術の記録は終わりますが

いい事も悪い事もできるだけたくさん書きました

ほんの1例ではありますが

少しでもこれから手術を受ける方の参考になればと思います

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子宮頸がん手術退院後~10日後まで

2018-08-27 17:29:03 | 健康・病気

手術の翌日、状態が安定しているとの事で退院となった

頭痛がある事を看護師さんに伝えたが「少し様子を見て、おさまらなかったら後で薬を飲みましょうね」

と言ってくれたけど、うっかりそのまま家に帰ってきてしまった

あれ?看護師さん?( ̄▽ ̄;)

下半身麻酔が切れる時になる頭痛のようで

退院翌日まで軽い痛みだったものが次の日の夕方にはひどくなった

後頭部の両側から側頭部にかけて痛みが広がり

脈を打つようにズキズキと

椅子に座っている事もできなくなって横になる

いつの残りか分からないロキソニンならあるけど、体がむくむからロキソニンは飲みたくない

手術前に先生は「痛み止めの薬を出すから頭痛は大丈夫」って言ったのに、頭痛がこんなにつらいとは(;´Д`)イタイ

我慢できなくてロキソニンを飲んだので、痛みはおさまりました

退院祝いに母がケーキを買ってきてくれました

そして絶食中飲みたかった味噌汁も作ってくれた

「出血するといけないから動かないように」

という言いつけを大喜びで守り、食っちゃ寝の療養生活が始まりました

退院3日目、「聞いてないよー」の大事件が起きました

トイレに行ったら、体の中から何かのかたまりがボトッと落ちてきたのです

色は赤黒く、茶色い部分もあって、ゼラチン質のような何とも言えない不思議な質感をしています

「なんだコレΣ(・ω・ノ)ノ!」びっくりするというより

なんだか分からないので怖くて怖くて

手術したところから出てきたので子宮の一部だったらどーしよー(´;ω;`)とか心配しながら

たまたま携帯電話を持ってトイレに入っていたので

トイレの中から震える声で病院に電話をしました

話を聞いてくれるのは婦人科の先生ではなく、婦人科の受付の人

私から聞き取った話を主治医ではない、その日診察に来ていた先生に伝えて判断を仰ぎます

それをまた伝言ゲームのようにして私に受付の人が伝えてくれるのですが不安がハンパない

「何かあったら病院に電話してくださいね」って言われたからすがる思いで電話したんだけどね。結局対応するのはお医者さんではないらしい。夜中は救急につながるので、婦人科とは関係ない先生が対応するんだと思う

「話を聞く限りでは止血用のガーゼが出たんだと思います」って言われた

そんなのが入ってるなんて聞いてないから大パニックですよ~(;´Д`)退院するときに全部出したと思ってたし

何日も膣の中に入っていたからガーゼの面影すらなくて、謎の物体に変わり果てていました

多分、言い忘れ。頭痛の痛み止めも出し忘れ

医者も患者もお互いが「聞かれなかったから」「言われなかったから」って思ってる

痛み止めの事も「退院する時に出してもらえなくて、頭痛がひどかった」ってその時の電話で伝えたけど

「家にある痛み止め飲んでおいてください。薬局に売ってるのでも 何でもいいんで」って言われました

何でも?(;´・ω・)手術前は「バファリンはダメ」って言われてたけど。本当に何でもいいの?手術後ならバファリンいいの?

医者とか看護師とか薬剤師じゃないから、いちいち不安で怖い(;´Д`)ロキソニン飲むと私は体が水分を溜め込んでむくんでツライからロキソニン以外の痛み止めを出してもらうように相談してたのにそのやり取りにまるで意味がなくなってしまった

意味がなかったと言えば、後日ロキソニンのかわりに「カロナール」という痛み止めを処方してもらったけど結局むくみが出た。痛み止めは何を飲んでもむくむのかも知れない

最近の病院は日帰り手術とか、一泊二日とか

とにかく短期で病院から患者を出してしまうから、体の負担が少なくたってそんなに早く家に帰してしまって大丈夫なの?ってすごく思う

入院中に頭痛になったり、ガーゼが体から出てこれば対処もできるし

すぐに説明してもらえるのになぁ

ガーゼが体から出ると、4日間出血が増えた

手術から10日目。病院の診察に行った

私が自宅のトイレから電話した事は主治医に報告がいっていた

「ガーゼが出たそうですが、手術跡は綺麗ですし出血もあまりないので大丈夫ですよ(^^」

「頭痛があったそうですが今はないという事なので、こちらも大丈夫ですよ(^^」

私本人が知らないのにガーゼが体の中に入っていた事の説明とか、薬を処方しなかった事の説明がない事に不満だったけど

「先生、どうしてなんですか?どういう事なんですか?」って詰め寄るのも好きじゃないし

そういう事を言うだけでとても疲れるので「はぁ、そうですか"(-""-)"」と流した

文句を言ったところで過去の事だから結果は変わらない。「訴える」とか騒ぐのも論外

怒れば怒るほど疲れるのだ。結婚していた頃、借金まみれのモラハラ夫と生活していた頃にイヤという程味わった疲労感だ

優しく接してくれる先生の事は嫌いではない。「もう子宮とっちゃえばいいじゃん」的なノリで手術を勧めてきた過去の男性医師に比べればめちゃくちゃいい先生だと思う。

今が大丈夫だからオールOKじゃないんだけどね(;´・ω・)言い忘れとか、薬の出し忘れはとても困った

薬に関しては出してもらうまで繰り返し言わなかった私も悪かった

 

原因不明の咳で肋骨を複数本骨折した時に、どの病院に行っても医者に軽くあしらわれてからというもの

病院嫌いと医者への不信感が消えないから、患者として私は問題児なんだと思う

肋骨が折れるとすごーく痛いんだけど、放っておくしかないから医者はレントゲンも撮ってくれない

咳が止まらないから追加で肋骨折れちゃって、でもレントゲン撮ってくれないから

どこの骨が何本折れたかも分からなくて、現在に至る

自分的には左右合わせて5、6本かな?って思ってるけど、確認のしようがないので大変不満です

気圧が低くなると時々肋骨がキュッと痛むのがツライ後遺症"(-""-)"

つづく

 

 

 

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子宮頸がん手術後から退院まで

2018-08-25 10:37:15 | 健康・病気

午後6時30分に手術が終わり、8時の面会時間終了とともに病室に一人になった

病室は2人部屋だったけど、私一人しか入っていない

下半身麻酔は相変わらず効き続けているので動くことができず、尿管は入ったままで、点滴も刺さっている

ついでにオムツもしている

看護師さんが定期的に様子を見に来てくれて、オムツを開けては出血していないか確認もする

この手術は術後の出血を一番気にしなければいけなくて

もし出血が多量がで止血できない場合は子宮摘出を行うこともあると

同意書に書いてあった

退院後も調子に乗って動き回って多量に出血すると再入院して圧迫止血をしながら安静にしていなければいけなくなると説明された

手術までの待ち時間が長すぎて 昼間寝まくったのに夜は夜で眠る事ができました

絶飲絶食から24時間以上が経過した夜中の12時頃

「術後5時間経過したのでお茶飲めますけど、今飲みますか?」

寝てるところを起こされたけど

「はい( ノД`)飲みます。飲みたいです~」

パック入りのお茶にストローをさしてもらって、すごい勢いで吸い上げました(T_T)沁みるぜー

それから明け方まで寝たりちょっと目を覚ましたりしていたけど、一向に麻酔が切れない

腰から下が動かないから寝がえりが打てないんですね

腰が痛い(;´Д`)寝たきりって本当に過酷なのね

やがて足がビリビリとし始めて少しだけ感覚が戻りはじめたので

ベッドの柵につかまって腕の力だけで強引に寝返りをしました

朝6時 起床時間 麻酔が完全に切れた

看護師さんが尿管を外してくれます

「ふーっと息を吐いてください。ハイ、ふー」

そのタイミングで引き抜くのですが

「イタッ」( ̄▽ ̄;)というぐらいの痛みでした

男性はもっと痛いらしいですね。退院後も痛みを引きずる人もいらっしゃるようです

「じゃあゆっくり起き上がってみまし・・・」

言い終わらないうちにサクッと起きてしまった。もう体が痛くて我慢できなくて(;´Д`)本当に寝たきりの人大変だよね

立ち上がってみた。おぉー立てる( ゚Д゚)

トイレに行くと、ようやくオムツからも卒業。出血なし

実は膣の中に長いガーゼが詰められている

子供を出産した時も止血の為に詰められた事がある

子宮口から膣の入り口までぎゅっと詰まっているので

大量出血をしていない限りトイレに行っても血をみる事はない

そして腹ペコ大王の私の待ちに待った朝ごはんがやってきました

やったー(´;ω;`)ごはんが食べれる

お献立はこちら

絶食中なぜか味噌汁が飲みたくて仕方なかった

味噌汁ある(T_T)嬉しい

お米って甘いのね

がんもの煮付けが優しい味付け コレ大好き

お茶も牛乳も全部綺麗に完食でございます

あー満足(*'ω'*)さ、帰るべ。と言いたいけど退院前の診察があるのです

相変わらず腕に刺さっている点滴。最初に言った通り神経痛で左腕が数十秒に1回脱力するようにピリピリ痛むのでイラっとするのですが

点滴を刺す時の痛みが軽減するとか、そんな都合のいい事はおこりませんでした

病棟にある診察室で膣の中のガーゼを取り出してもらい

術後の経過が良いのでそのまま退院する事になりました

ここでようやく点滴が抜かれ、着替えて荷物を片付けました

首が悪いので枕も持参。荷物が多いです

近年建て替えられた入院病棟はとても綺麗で快適

こちらは2人部屋なので広い

右がベッドで左が荷物を入れる棚

ベッド

棚。荷物がしっかり入ります

部屋にトイレが付いています

大人用オムツも捨てられる大きなゴミ箱付き

鏡の大きな洗面台もあります

鏡は三面鏡になるように可動します

窓の外を見てみよう

山のふもと、川沿いに建つ病院です

まあ、こんなもんでしょう(;^ω^)

歴史ある病院で、戦時中は空襲を受けたという話もありますが

建て替えが行われてからとても綺麗になり

8階には末期がん患者の為の緩和ケア病棟があって

屋上庭園、テラス、デイルーム完備。患者家族の為の部屋もあります

一度8階のデイルームに演奏に伺った事があるのですが

患者さんも、ご家族も緩和ケア病棟に入る事ができてホッとしているという印象でした

1週間後にはいらっしゃらないかも知れない患者さん

張りつめていた糸が切れて、音楽を聴いただけで号泣してしまうご家族の方

多くの患者さんを受け入れる事ができないので

なかなか入れないという話も聞きますが余命宣告された時には

緩和ケアって理想だなぁと思いました

 

さて、退院の準備をしていると頭痛がしてきました

後頭部左右

下半身麻酔によくある事として主治医にも「麻酔をすると頭痛になるって聞きます。姉もなりました。心配です"(-""-)"」という相談を手術前にグズグズとしていて「痛みが出れば痛み止めを出しますので大丈夫ですよ」という返事でした

さらに「痛み止めはロキソニンを飲むと体が水分を溜め込んで むくむのでロキソニンではない痛み止めを処方して欲しい」とお願いしていました

看護師さんに「頭が痛いです」と伝えると

「じゃあ少し様子を見て、おさまらなかったら薬を飲みましょうね」

と言ってくれたけど、なんと、そのまま薬を処方されず、飲むこともなく「あれ?処方箋とかないの?」と思いながら退院してしまったのです(;´・ω・)

 

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子宮頸がん手術円錐切除術

2018-08-22 16:00:13 | 健康・病気

午後6時に家族とパートナーに見送られて歩いて手術室に入った

手術台には自分で「どっこいしょ」と上がった

手術中の姿は全裸で上に布がかぶせられます

配慮してくれたのか、手術室のスタッフさんは全員女性でした

下半身だけの麻酔なので

音とか、気配とか一切を断ちたくて「ウォークマン持ち込んでもいいですか?」

と聞いたけど、余分な雑菌が手術室に入る危険があるからダメでした

そのかわり、手術室の中にあるパソコンから音楽を大きめに流してくれました

室内の音や会話は丸聞こえだったけど

「わぁ(@_@)今日 音大きめですねー」

ってスタッフさんがおっしゃってたので

ギリギリまで大きくしてくれたんだと思います

まずは下半身麻酔をします

台の上で横向きに寝てひざを抱えます

なるべく体を丸くするのがいいそうですよ

 

この時、発作の薬を飲むのを忘れている事に気づく(;´Д`)

「先生、薬飲むの忘れたー」

発作がおこらないように予防的な目的で飲む事にしていたので、今更遅かった。多分、大丈夫(; ・`д・´)うん、何も起こらないさ

 

腰に針を刺して麻酔薬を注入します

点滴の針より細いとの事なのでほとんど痛みを感じませんでした

するとあっという間に下半身に麻酔が効いてきて

足を動かそうとしてもびくともしません

おへそから下を触ってみると、感覚がなくて

手の感覚はそのまま残っているので脳が誤作動を起こしているのか

普段と違う手触りです

お腹にサランラップのような薄いビニールを乗せた上から触っているようなツルツルした感触でした

体制を変えるのも、台の上に足を乗せるのも

されるがままで、まさに「まな板の鯉」「まな板の上の鯉」どちらが正解か分からないが

足に触られる感覚はあっても冷たさや痛みは一切感じません

このタイミングで尿の管が入れられました

「とにかく尿の管が痛い。イヤだった」という話を複数人から聞いていたので

入れる時は麻酔が効いていて痛みがなくてラッキーでした

時々体を押されるような感じがしたけれど

流してくれているBGMに意識を集中して「この曲演奏したなぁ」とピアノの鍵盤をイメージしながら

一生懸命意識を手術から逸らしました

「綺麗に切り取れましたよ」

「あとは止血だけですからね」

先生が切った子宮の一部を見せてくれました

なんだかスーパーで見かける鶏の心臓みたいだな

と思いました

手術が終わると体が冷えないように足元から布団乾燥機みたいなもので温風を送ってくれました

なにせ雪が残る1月の夜。私は台の上で全裸の上に布1枚である( ̄▽ ̄;)温風がありがたい

動かないままの下半身。

 紙おむつを当ててもらい、病衣を着せてもらい、尿管と点滴はそのままで移動できるベッドに移してもらいました

人一倍痛がりの私ですが、痛みが一切なかった事に

驚きと感謝を感じました

しかし、下半身の感覚がない このイヤな感じ

不安と恐怖と緊張感。もう二度と手術は受けたくないです

ベッドで病室に戻ると父と彼が待っていてくれました

ただいまー

顔パンパンだけど自マユが濃いのでノーメイクでもマユ毛あるよ

「あれ?もう終わったの?\(◎o◎)/!」

そう。見送ってもらってから病室に帰ってくるまでわずか30分弱

「いよいよだ」と病室で待つ気満々の二人にはあっけなく拍子抜けするぐらいの時間でした

そして、うっかり娘を家に帰してしまったので母はまだ病院に戻ってきていない( ̄▽ ̄;)

「お腹すいたー(;´Д`)」開口一番主治医に訴えるが

術後5時間経過しないと飲み物すら口にできない

相変わらず腹ペコ のどカラカラ

面会時間が終わったので みんな帰っていった

 

長い1日がやっと終わったと思ったらすごい泣けてきた

「あれ?どーしたの?( ゚Д゚)」驚く看護師さん

「いや、みんな居てくれて良かったと思って(T_T)」

家族と彼が手術室に入るまで見送ってくれた。娘は手をつないでくれた

彼は健康ではない私にいつまでも一緒に居てくれると約束してくれた

こんなありがたい環境があるだろうか

麻酔が絶好調に効いていて下半身が動かないので

涙と鼻水だらけの私に看護師さんがティッシュを取ってくれた

明日経過が良ければ退院だ(*'ω'*)

 

 

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