或る画家が見つめていたあの風景かも。。。
富士を見つめるその目は獲物を追う鷹の目のようであった。
その鋭い眼光はとても百歳の老人とは思えない。
奥村土牛、著名な日本画家が画面に大きく映し出されていた。
まだ陽が昇らない早朝に富士山が撮れるポイントに立つと、
27年前に放映されたあのドキュメンタリー番組の一画面が
鮮明に私の脳裏から蘇った。
画伯が没する2年ほど前の番組である。
画伯は平成2年に101歳でこの世を去るまで絵を描き続けた。
富士山も多く描かれていたが、晩年は不自由な身でありながら
家族が運転するワンボックスカーでベッドのまま現地に赴いて
ただ富士をじっと、じっと見つめているのである。
その時の「土牛と富士」が私の脳裏に深く焼き付いたのである。
絵画にも写真にも興味が無い頃の記憶である。
富士は見る方角によって趣きが変わる。似ているようで違うのだ。
今回、撮影した場所から望む富士は、頂上がほんの少し右肩
上がりに傾いて見える。
土牛の絵にその様な富士が何景も描かれている。
恐らくらくこの方向から描かれたのではないかと思うと、
わたしの腕前ではとても絵のような表現は出来ないが、
この場所この風景に心ときめいたのである。
(やっほ)
まだ夜も明けやらぬうち、東の空が茜に染まり始めた。
この頃の富士の方角にはもくもくとした雲が張り付いていた。
夜明けの富士は望めそうにもない、せめて、気温が上がって雲の
蒸発を待つのみ。。。
朝八時を回ってやっと上空の雲が逃げ、富士が頂きを現した。
朝の空気は澄んでいるというが、抜けが良くないきょうの富士
(「抜け」とは遠くのものを大きく写すとき空気が圧縮される為、
空中が汚れていたり、水蒸気が多かったりすると光の通りが悪くなる。
その現象を「抜けが良いとか悪い」とか言う)
向かって右の頂きが上がっている。
陽も昇りきった頃の富士
冬枯れの木々と富士。
近くの基地からヘリが周遊する光景。
時には戦闘機が編隊を組み飛ぶ姿も。。。