志情(しなさき)の海へ

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「わが街の小劇場」シェイクスピア現代版「オセロ」「リア王」写真をUPします!

2015-05-06 10:12:22 | 沖縄演劇

                     (語りやダイアローグの芝居⇔身体表現・イメージ主体の芝居、写真は「オセロ」の最後の場面)

小さな劇場は劇が終わった後も路上では若者たちの対話が続いている。その雰囲気はいいね。今日が千秋楽です。現代演劇の役者の中で飛びぬけている福永武史である。40代になった彼はまだまだ目がキラキラしている。ぱくさんは永遠の少年の雰囲気のままだ。派遣で愛知県の自動車関連工場で働く若者によると、個室があっても、集団で話すな、食堂でも話すなでロボットのように対話が封じられているという。つまり人が二人以上集まって話す行為は凄い事だということを示している。話す中で人と人は繋がっていく。LINEやチャットやメールとも異なる生の対話の空間、談笑の空間は、革命的な空間で、この場を変えていける可能性としてあるということを示している。アゴラ、広場は常に街を変えていったのだ。語り合う空間を増やそう。

その点、演劇は、劇的空間は常にラディカルで原点回帰できる場だと考えている。沖縄の現代劇の活性化はまた時代を直裁に反映していると言える。集団は権力にとって怖い芽でありつづける。大きなメディア、巨大な力、見えない見える力に抗していく小さな広場、想像力が溢れる劇場は、未来への一筋の希望となる。

                                  I愛国青年新垣 潤 とゼミの教授

  新嘉喜潤と 宮城あい                        「オセロ」の始まり。舞台が逆になっている。外の窓をうまく使った。

    BAR道化にもなる。                     そこへ三女のコーデリア

                                    長女のゴネリー、幸地さん、きりっとした表情がたまらない。

      

      福永演じる現在のリア、紙おむつの王様たちだ。    お笑いの相棒川満さん。 そして道化はBARにいる。

  お笑い芸人のリア王である。              3姉妹の2姉妹から嫌悪されている。老親をいたぶる子供たちは多くなっているのだろうか?

王の権威に酔いたいリア                         不倫をしている娘

  おれを笑わせてくれ、とリア王。泣いてこの世に誕生する人間、周りの者たちは笑う。回りの者たちが泣いて笑って死にたいリア王。

「さよならのビデオを見る家族」?               終幕はオリジナルソングのような面白いリズムのダンスが続く。        

 ハチャメチャのリア王、中身はけっこうセクシーな場面もいくつかあるが、割愛。不倫、コールガールのリアリティーが迫ってくるのも事実。

つまり生、性、エロス、死、タナトス、身体が前面にでてくる。家族、崩壊、結束、関係の絶対性、笑いと哭き、空虚と幸せ、虚と実、身体が生み出す関係性の綾が濃厚になる。命の系譜が絶えるのも人の世。いつごろから娘は父親を寄せ付けなくなるのだ?妻を愛していなくても娘を愛し、ある日、愛人に告げる。もうやめよう、と。つまり性的関係性を断つのである。妊娠しているの、と不倫の愛人は告げる。妊娠はエロス=性行為の果実。性行為(の欲望)=愛である場合と、単に欲望の充足がある。愛とは何か?老人も鼻血がでるし、抱擁し、身体を愛撫しあいたい。生きている間性的存在である。その老人の性愛まで踏み込んだらもっと面白くなるね。←それには別の物語が必要。生きている間人はエロスとタナトスの間で揺れている。そして死が嫌でもやってくる。沖縄芝居の「思案橋」などには老体のお二人が若いジュリと遊んで命薬を得たと足元がふらつきながら戻っていく場面がある。エロスが常に生きる糧であることを素直に描いている。シェイクスピアの場合、キリスト教の倫理観・世界観が底を流れているので、ニーチェのような思考の真逆にある。リアの娘たちのリアリティーは、よって否定される。捨てられる王、捨てられる親思いの娘(殺される2人)だが、欲動が個人を国を時代を動かしている流を倫理観はそれを元の秩序に戻すとする。〈私見だが、妻に、愛人に優しい男たちは生きている間、愛を得て死ねるのだろう。ゆえに愛のない形だけの夫婦関係は不毛である。それは逆も真でありえる。愛のない関係性に拘泥する女たちも砂漠を生きることになる。ただ砂漠にオアシスがあるのも事実で、どこに、何にオアシスを求めるか、によってまたそれぞれの人生は違った彩を持つのだろうか?)

リア王は踊って踊って疲れる。                      最期の場面、元本ではリアとコーデリアは殺される。

外では対話が談笑がはずむ。いつもの観劇後の光景。とてもいいと思う。

真弓を平良さんに紹介した。

 


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