作・演出の畠山貴憲さんの作品は前にも二度ほど感劇しました。この作品は新たな2020年バージョンです。つまり1945年春、沖縄近海で米軍艦隊に突撃して爆死したはずの海軍大尉、大宮、石井、細野は三人乗りの陸上爆撃機『銀河』に乗り込み、怪我をした原口千里を残して沖縄の海に散ったのでした。2015年には、「新生日本」の四語が強烈に記憶されました。今年は?コロナ禍の2020年だったのです。彼らが戦友で生き残った原口の家族の元に戻ってきたのは~。
この作品は永遠にくりかえされる作品になっています。英霊たちは常に現況の日本に戻ってくる構造になっています。
大音量の音楽効果と音響効果が2時間、観客席の身体に浸透しました。そして紗幕によってあの世と此の世の、過去と現在の境界が描かれそして融合する舞台美術です。どちらかというと一昔前の前衛劇の雰囲気です。
沖縄を代表する俳優吉田妙子さんの舞台ゆえに観劇しました。
彼女の役者としての存在感は空気を凝縮させます。今回セリフも場面の出演も少なかったのですが、しかし象徴的なあの場面、若かりし頃のくに子と大宮との再会の場面、吉田さんと池城さん(?)がすれ違う場面の何とも言えないあの恍惚の場面は何度見ても感極まります。
若い役者の力量が良かったです。小嶺宙、岩田雄人、胡屋栄大、津谷雄文、
東北弁でまくしたてていた胡屋さんに驚きました。ウチナーグチではなく東北弁です。ことばの色合いが何とも驚きました。
脚本を読んでもう少し丁寧に作品を吟味したいと考えています。英霊が戻ってくる世界はまさに現時点の日本です。スマホを持ち歩いて歩きまわる人々の姿が演じられます。天国への階段を上るステップだと考えている英霊たちと現世界に生きる人間とのギャップが描かれるのですが、原口とその妻、子孫たちの素顔が不透明に物語は進んでいきます。形見の日本刀、そして原口が永眠する時に突撃する瞬間の戦友たちの姿が現れます。彼らの死は無駄死にだったのか?愛する者たちのために、国のために?時代の宿命を生きて死んだ若者たちの魂は天国に招かれたのだろうか。
しかしスローな動きによる時間のずれの演技など、見える世界と見えない世界、あの世と此の世の透明な幕が開かれる場面、さもリアルに物語が展開する演劇の面白さは、不思議な魅惑に満ちています。
死霊が多く登場する「能」を意識させます。
以前読んだ演劇論『The Haunted Stage』The Theatre as Memory Machineをひも解いてみました。記憶のテーマで論文を書くために取り寄せた洋書です。文化的記憶装置としての演劇は繰り返し返し上演されることが可能で、それはまた幽霊(死者)を甦らせる装置でもあるのです。