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志情(しなさき)の海へ

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がらまんホールで上演されたジョン・シロタ作「オジイチャンの物語」面白かった!

2022-02-26 23:38:54 | 沖縄演劇
1945年4月18日、伊江島で戦死したアーニー・パイルはどのように死を迎えたのか?謎解きのように物語が展開する。44年にピューリッツア賞を受賞した従軍ジャーナリスト、アーニー・パイルの記念碑が伊江島に建っている。思いがけない歴史の真実に目を向けさせたこの物語に惹き込まれていた。

舞台の冒頭にアーニー・パイル記念碑が建っている。そして舞台の右端に小さなデスクと椅子だ。なぜだろう。物語が進むにつれてその意味ははっきりしてくる。

まずもってジョン・城田さんの作品CHROCICLES OF OJII-Chanを取り寄せて読みたい。脚本・演出の新井章仁(劇団ピーチロック)さんは、シロタさんの小説にフィクションを織り込んでの脚本だという。

はじめて新井さん脚本・演出を観たが、演劇の筋立てはしっかり古典的な構造になっており、つまりオイディプス王の構造でクライマックス、逆転(発見)を見せた。他に興味深かったのは45年の伊江島での戦闘を扱っているが、捕虜収容所での日系(沖縄系)アメリカ人と主人公大城のやり取りだ。伊江島での戦闘で足を吹き飛ばされ生き延びた大城と日系米軍衛生兵、米軍通訳とのやり取りが、緊迫感があり、良かった。捕虜(PW)から米軍が情報聴取していた事が目の前で繰り広げられる舞台は、はじめて目撃したと思う。
そこは斬新さがあった。一般民衆の場合も米軍は、それぞれのデータを聴取していたはずで、そうした実態が垣間見れたのはいい。

イメージの中にアーニー・パイルの記念碑と彼の死、先祖が宜野座出身の通訳、猫と似た獅子の彫り物など、猫がイメージとして浮かぶ。いくつかのイメージが最後に集約されて結晶となっていく。城山の麓に咲き誇るユリの花々。伊江島のクサテの城山は何を見たのだろうか。

実は、アーニー・パイルは・オジイチャンが塹壕から夢中で撃った機関銃で倒れたことが示唆される。日本軍との戦闘の過程で殺されたことは確かだ。なぜ、どのように?新井さんはそこにフィクションを付け加えたのか。

激しい戦闘で同胞が殺される。
4月18日、「米軍を迎え撃った日」砲弾が爆破し、一瞬に命を失う仲間の兵たち、主人公の大城は仲間の敵とばかりに機関銃を撃ちまくる。

そして~。

台本はウチナーグチ、日本語、英語、英語と日本語の混合体など、ポリフォニーが流れる。
 映像を使ったスクリーン、ガマの中で生い茂るガジュマルの木。敵陣に銃を構える影。昨今の舞台は総合芸術としての価値が見直されている。美術や音響、音楽が存分に織り込まれている。

セリフがテンポよく生かされているか、は少々疑問を持った。セリフとセリフの間合い、リズム感は重要。大城は空恐ろしい事に巻き込まれていたのだ。当時米兵の何千人もがトラウマで戦闘の前線から脱落したというデータが残されている。人と人が殺しあう修羅の中で、精神のバランスを崩すことなく、戦場を生き延びることは容易ではなかったに違いない。

孫に送られた手紙の束を読み解く中でその物語が舞台化される。語りと再現される物語。テンポが同調子に聞こえたりした。三線が重要なメタファーなりイメジとして登場する。歌三線が戦場の哀れの情感を高める。観客のもっと聴きたい心をそそる。三線の音色が身体を揺さぶる。

米軍に助けられた大城、しかし戦況での状況をなかなか話せない大城だった。しかし通訳とのやり取りの中のハートワーミングな対話があった。ハワイに住む沖縄系米国人のふるさと沖縄への思い。英雄を殺したと詰め寄る仲間。二人のやり取りのテンションは高まる。日系のマーク・ナカマは実は親族の消息を探し求めていたのだ。

十分面白い舞台だった。「学芸会みたいだった」の感想もあったが、しかし物語の筋書きは惹きつけた。祖国米国と祖国日本の戦争の葛藤、そこを突く大城に対して自らの経験、家族の物語を語るマーク。ハワイに移住した沖縄人の姿が語られる。同胞を殺すこと、攻撃された時に打ち返す事。民間人を攻撃しなかった事。心理劇になっている。

艦砲射撃が打ち込まれた。前が見えない状態で機関銃を撃った。そして彼がアーニー・パイルを銃撃して殺した。秘められていた過去・

「オジイチャンがなくなる前に孫娘に言い残したこと」は手紙に残されていた。
罪の告白であり、戦場の残酷さが再現される。

フランキーとの思い出も大きい。
「たいしたことがないと思っていたことが、急に大事なことのように思えてきた」と語る大城。そこでPW無常の歌三線がライブで流れる。そして舞台の最後に「ていんさぐぬ花」が~。十分叙情的でしんみりと心にせまってくる。

「オジイチャンの物語」は沖縄戦の記憶だった。それと猫の彫り物が登場する。猫である。獅子ではなく猫に見える彫り物!
(以上メモ書き)

1時間40分、さっと過ぎた。演技のメリハリはもっとテンポよく進むことは可能かもしれない。日系米兵のセリフ遣い、実際の米国人の将校の英語のセリフなど、違和感がなく、うまく馴染んでいた。スピード感、身体で表出する味わいと間合いは何回も上演することによって磨かれていくことが可能だ。幸喜良秀演出の舞台が何度も上演することによって磨かれていったように~。

毎日アーニー・パイルの記念碑を掃除していた大城!自らの罪を告白。この場所で1945年4月18日、この中で塹壕から放たれた銃撃が殺した~。大城の撃った銃だった。

演劇の基本構造にそっている。ゆえにこの作品は継続的に上演できる。動きやセリフが洗練されていける作品だ。テンポが同じ調子のきらいがあった。
泣いて喚いた大城。

一人一人に愛する人がいる。命の責任、許される事はない。平和になっただろうか。レイちゃん、あの場所に行くことがあれば線香を焚いてほしい。レイコはオジイチャンの手紙を英語に翻訳することになる~。

劇の最後はレイコのフランク博士への手紙で終わっている。
オジイチャンの手紙は英語に翻訳され、演劇上演もなされたと~。
 そして「てぃんさぐぬ花」がソロで歌われる。

地元だから受けるし、沖縄芝居的なところがあるね、と知人は語ったが、一つの真実の追求と発見があり、結構面白かったというのが正直な感想だ。
関係者の皆さんご苦労さま!





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