幸喜先生には前々からお話をしたいと思いつつ、やっと直にお話できたことは幸いだった。沖縄文化功労賞を辞退されたという事をはじめて知った。先生らしいとも思った。身体言語、ウチナーグチ、沖縄芝居の大切さを改めてうかがった。氏の薫陶を受けた玉城盛義さんや、嘉数道彦さん、金城真次さん、中村逸男さん、東江裕吉さん、神谷武史さん、大湾三留さん、そして~。
氏の演出ノートや資料などは国立劇場おきなわの資料室、芸大図書館、東江裕吉さん、沖縄芝居実験劇場事務局が保管しているとお話ししていた。資料の閲覧については、☎で了承していただいていた。
幸喜良秀という傑出した沖縄の演出家の功績は高く評価されるべきである。文化運動、文化推進の母体としてのリーダーシップに感銘を受けてきた。
氏の演出は絶えず進化していた。今回も、この間のご自分の演出にこれで満足という事はなかったとお話しされていた。
思うに大城立裕さんの沖縄芝居、そして新作組踊の舞台は、演出家幸喜あっての具現化だった。沖縄芝居実験劇場の10年間の歩みの検証も取り組まれるべきである。話は尽きることなく、時間は限られていた。年があけてまたうかがいたい。
12月16日真喜志康忠13回忌/生誕100年記念イベントの日、
開場前のコーヒータイム
末吉甘奈さん、宮城弘岩会長、兼次さん
宮城弘岩氏の哲学や理念は直にお話しをうかがって、尚のこと、そのストイックな厳しさの中で培われてきたものが迫ってきた。
海外経験が多い氏は常に一般庶民の立場に立っておられることがわかる。文化力の大事さ、廃藩置県以来、明治政府から現自民党政権に至るまで、沖縄の住民が劣等感を持つように洗脳されてきた150年の歴史だったことを指摘されて、ハッとさせられた。なるほどそうだった。戦前、沖縄には高等教育機関さえ設置されなかった。日本への同化、皇民化が中央からの指令だったのだ。自ら育んできた伝統や文化を卑下し、劣等感をもって中央日本へひたすら同化し、くしゃみまで大和人のように、が道しるべになっていた近代だったことは確かだ。
自らのアイデンティティへの誇りを失わせる政策の中でいびつさを植え付けられてもきたのだった。なるほど~。
早稲田卒業後、台湾大学で修士号を取得した宮城会長のスケールの大きさに驚く。またストイックな生活信条と実践、こんなにもご自分を厳しく律してこられたことに、感銘を受けた。氏の料理のレシピ―についてもっと知りたい。
- トータル閲覧数 9698892 PV
- トータル訪問数 2141788 UU