
車で5分ほどで行ける公園が遠く感じられ、近場の上間や識名の高台まで散歩した。毎日でも、30分内で3000歩から5000歩は可能かもしれない。徒歩もスマホで測定できるがまだ試していない。
超近場の安次嶺御嶽に、立派な案内板の石碑がたてられていて驚いた。

石碑
旅立ちの時の祈願所。
『琉球国由来記・琉球国旧記記載の拝所』唐・大和出征など航海安全を祈願した、と書かれている。また旱魃の時の雨乞祈願有也、とも〜。つまり、以前琉球犬の雑種、ウルトラマン太郎と、よく散歩で立ち寄った場所で、神女たちが祈っていたのだ。
雨乞いのために円陣を組んで踊ったのかもしれないと、想像すると感慨深い。
散歩の度に今から手を合わせようと思った。
さて上間公園は、静かで、ひとり歩いていると非常に丈の低いたんぽぽが咲いていた。
そしてベンチの椅子に、一人の女性が煙草を吸っていた。その横を通り過ぎたら微かにニコチンの匂いが漂ってきた。
散歩は識名の最も高い地点まですすんだ。2匹の犬を連れた女性に会った。懐かしかった。以前よく首里城の屋根が見える高台に来たのだ。
識名の東側、識名園一帯は、大きな墓地になっている。何故、いつからその地域が墓地街になったのか、那覇の歴史を紐解く必要があるが、墓の作りを見ると、大規模になったのは、戦後のようだ。
戦前からの亀甲墓は少ない。ないことはないが、上間に時に見られる巨大な亀甲墓は少ない。
おそらく戦後那覇の人口が増えるにつれて増えていったのだろう。
那覇の北側にあり、それほど開発されていなかった原野を切り開いて行ったと推測できる。墓石の会社も繁多川近くの識名に、識名宮の下の方に陣取っている。
そこへ住宅街もまた侵入している。犬をつれて散歩しながら散策したのだが、上間や識名の高台の丘腹には巨大な亀甲墓があったりする。明治12年前後かその後に建てられた当時の士族層や那覇の富裕一族の墓と言えそうだが、あれから150年近くあり続けるのかもしれない。
それにしても大邸宅のすぐ横や後ろに墓がひしめき合っている光景は、異様にも見える。
墓地を壊してその跡に巨大なマンションが立ったりもしている。
都市開発は、時代の変化に追いつくのが大変そうだ。
しばらく来ることがなかった識名高台までの道のりは静かな住宅街で、新しい建売住宅、木造が目についた。
周辺の散歩は悪くない。犬と一緒がまだいいかもしれない。公道は排気ガスが、キツい。トンネルは、風で排気ガスが吹き飛ぶだろうか。特にディーゼル排気ガスが嫌だね。マスクは必要。
安全は公園だが、朝のラッシュアワー時は、排気ガスの嫌な匂いが押し寄せることはママある。
綺麗な空気を求めて、少し遠出は海岸へ、と行かざるを得ない。庭の樹木や草花はその点、感謝!

安次嶺御嶽 案内の石碑が立っている。

墓地の背後の南風原町の様子

識名の高台にタンクがあり、その横の小さな御嶽

墓地街である。そのはるか遠くに首里城の屋根が見える!

二匹の老犬を連れた女性。その左横の丘腹には多くの墓が並ぶ。

お墓の横の赤瓦の豪邸?このような建売の小さな墓がひしめいている!

識名の高台から見える那覇の中心地

那覇も高層住宅が増えつつある!

黄色い草花はタンポポではない。後で名前を調べたい。

上間の公園から見える風景
写真は追加していきます!