
新聞で知った謝花勇武さんのボーカルソングを是非拝聴したいと思っていました。進行性の難病と闘いながら心温まるロックを歌っています。「さくらはまだか」いいですね。ゆたぼんは不登校の天才と宣伝されているのですね。ユーチューバーでもあるのですね。好きな事を自由にできる社会がいいですね。意気揚々とした少年の歌は迫力があり、歌詞がとてもよかったのでびっくりでした。
たまたま知人から南城市の知念社会福祉センターでの、小さなお祭りコンサートを教えていただき、新唄大賞の一時審査で、無下に拒絶された幸子さんを誘って遠出です。
幸子さんはROKの新唄大賞にはすでに太鼓の応援で出場したこともあり、審査員が備瀬さんや小浜さんだということも、また歌謡民謡調が多いこともよく知ったうえでの、エントリーでした。
自分語りの「母の面影」を、何と撥ね付けた審査員でした。ビックリです。既に小さな場所で那覇の公設市場でも、愛楽園でも、その唄を歌ってきました。甲状腺癌の副作用で喉が、常に水を要求している中で、作詞作曲の新民謡の挑戦を続けているのですが、小浜さんたちは、門前払いしたのですね。新唄大賞の大会には「情唄」がなくなっているとの幸子さんの批評です。宮沢さん以降、歌謡曲と民謡が合体したような異風な新唄が誕生しているのですね。時代の流れとはいえ、幸子さんの自らを唄った「歌」を聞かせたいものです。今後小さなコンサートを身体の調子と折り合いをつけながらやっていきたいですね。昨今「辺野古」のいい歌詞が誕生しています。作曲に今取り組んでいます。
「母の面影」、この自らの人生を歌った新唄は、どこでも感涙です。
多嘉良和枝さんのアルバム「弾」の6曲は幸子さんの作詞作曲です。でも幸代の芸名ですね。←このアルバムの中の幸子さんの民謡を網羅したCD制作をしたいと考えています。
この間10回以上複数の癌ゆえにオペを繰り返しながら、小さい頃から病弱の極貧の環境で学校にもほとんど行かず、芝居小屋に入り浸り、山ももを担いで、那覇の市場で小銭を稼いで、実の祖母の生活を助けてきた幸子さんです。
戦後のジュリ売りを身をもって経験してきた彼女の唄は、戦争の修羅から生き延び、更に米軍支配の沖縄を生き延びてきた数多くのサービス業に従事した女性たちに重なります。
スマホで投稿で、詳細は後で続けますが、コンスタントグロウさんと、不登校少年のライブは、そのまま幸子さんの人生と重なり、ROKの新唄大賞へのエントリーを拒絶された彼女は、小さなコンサートから大きな勇気をもらって帰りました。
会場を間違って、「手水の縁」の記念碑まで引き寄せられていたのは偶然の必然だったのでしょうか?
知念山口の盛小屋の娘玉津の生誕地は旧知念村にあったのですね。創作組踊ですが、300年前の琉球が偲ばれます。
「さくらはまだか」は勇気を与えます。コンスタントグロウのコンサートはいつでも参加したい❗️ミリオンCD配布の実現を皆で応援しましょう🎵
幸子さんは、謝花さんから勇気をもらって、またご自分の作詞作曲唄三線を続けていきます。次は辺野古の歌詞に曲をつける予定です。
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