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ドキュメンタリー映画「オバアは喜劇の女王~仲田幸子沖縄芝居に生きる」をご覧になったのですね!

2011-09-22 07:25:09 | 沖縄演劇
現在桜坂劇場で上映中の「喜劇の女王仲田幸子」の芝居人生には、私の声が少し登場している。監督が国立劇場おきなわで撮ったカットが一つはいているというだけの参加だが、声にコンプレックスを持っているワタシが声だけはいいなーと思えるカットである。姿には幻滅したがーー。自分を見るということの厳しさがある。見たくない。そらしたいという対象があるのもその通りである。

仲田幸子=喜劇の女王、というより彼女の舞台はどちらかというと笑劇なんだと言えるのだろう。喜劇作品、例えば「今帰仁祝女殿内」などは喜劇作品として骨格がしっかりしている。組踊から沖縄芝居へと変遷があり、まぁあらたな舞台作品が登場していくわけだが、組踊の間の者たちが芝居の中で狂言回しをしているイメージである。仲田幸子さんもその間の者の継承者で女マルムンである。一般庶民の知恵・生きる図太さのような感性がこれでもかとことばに投げ出される。何気ない吐露が笑いになる。

喜劇は「なんくるなるさ」の世界でもある。風刺や皮肉や暗示も溢れているが、現状を肯定して終りになる。笑劇はもっとその要素が強くなる。意味性がフッ飛んでその場でけらけら終わって感情が浄化される。お笑い番組と似た現象なのかもしれない。舞台のバカさ加減や間抜けぶりは自らのより本能に近い欲を笑うという構図にもなっている。

ウチナーグチ芝居である。戦前同化の波の中で、嵐かもしれない。その同化の中で新しい時代の空気を入れながらウチナーグチ芝居を創った芝居役者の才覚は単純に凄い!と感じている。辻遊郭界隈に芝居小屋は、歓楽街を囲むように設立されていった。おそらく信仰やことばや音楽の初源の磁場にまたあったエロス・セクシュアリティーはこれらの芝居小屋の空間・辻の歓楽街にも敷衍できるものだと考えている。

差別され忌み嫌われながら大衆を惹きつけてやまないものがそこに溢れていた。なぜ?そこが非日常であり、決壊であり、淵であり、過剰であり、常軌を逸する場であり、攪乱・カオスでもあったからだろう。劇的空間の根底に過剰なものを感じる所以である。だからこそまた、時の権力は常にそこを取り締まってきた。権力と拮抗するパワーがある。

つまり仲田幸子の沖縄芝居の華やかさは、権力と庶民の力の拮抗にバランスが取れているということを意味するのかもしれない。彼女も70代後半である。いつまでもお元気でと言いたい。後継者のお嬢さんやお孫さんのまさえさんがいる。お孫さんの民謡も舞台もなかなかいいが、どことなっくあっけらかんの幸子オバーに対して彼女の暗さが気になったりする。エネルギーの力学は強力な存在(実存)に常にダークマターを必要とするのかどうか、まさえさんの歌・表情の陰りはまたそれで対をなしているのだろうか?

もう仲田幸子さんのような沖縄芝居役者が登場することはありえない。そのありえなさが映画を貴重な記録にしている。仲田幸子、この戦後沖縄が生み出した希有な芝居役者の存在は戦前、1879-1945、66年間の沖縄近代をまた表象すると共に、戦後沖縄の一般庶民の粋も笑いも痛みもまた包含したものだと言えよう。

仲田幸子、この沖縄の芝居女優に戦後66年間がまた張り付いているのである!芝居万歳!ウチナーグチ万歳!差別され痛めつけられたウチナーグチを「歴史の修正」で捉え返すとどうなるのだろうか?国立劇場おきなわのように管理する劇場も登場してきたしね。管理や監視から無縁の一般庶民の「民衆の劇場」こそがラディカルな文化の中心になるのだと考えているのだが?どうもシステムの中で維持されていく形があって、それとの拮抗はどうなるのだろうか?と昨今疑問をもっている。

(写真は喜劇「やまーよー」で9月13日、志多伯で見た。これも喜劇というより笑劇ですね。幸子さんの舞台写真もあるはずだけど探すのに時間がかかるので、これで沖縄芝居の笑劇の雰囲気を感じてください!)

[歴史の修復]に言及されていた原先生がこの映画をご覧になったとのことでした!≪PV1047/IP233>>

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