志情(しなさき)の海へ

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「岸田賞は大きい賞なので、僕も今回権力側に行ったと思う」神里雄大弁は、なるほどですね!

2018-03-30 12:09:24 | 沖縄演劇

芥川賞なり、岸田戯曲賞なり、大きいところではノーベル文学賞などは、受賞時点で文芸賞なり文化ポリティックスの権力になるのですね。文学賞なり、あらゆる「賞」の本質は、社会における表彰であり、それが権威付けになり、否が応でも其々の分野のヒエラルキーの中に包摂された位置づけがなされていきます。

神里さんのこの発言を捉えた伊佐さんの視点はいいですね。XX賞受賞はまたある面で押し風にもなります。XX業界のトップに君臨し、その価値付けがなされた時、それは固定されるわけで、その後はまたその後の活躍、作品の飛躍・深化が問われるのですが、「XX賞受賞者」は死ぬまで、そして死後も永遠の刺青(最近はネット・タトゥーもあり)になります。

作品の良し悪しはこれからも批評や多くの眼差しに晒されていきます。神里雄大さんの作品は是非、銘苅ベースあたりで上演してほしいです。舞台を見ないと具体的はイメージが浮かびません。戯曲は読んだのですが~。

まねすることで越えていく」はどの創作分野でもそうでしょう。極めてオーソドックスな素直な視点を持っている方で、素直にお話されています。神里さんのお話をおうかがいして、ナイーブさ、繊細なところを感じたのですが、創作する者たちの魂の震えがどこにもあり、それは何かを表現なり表出せんとする者にはそれぞれの「震え」があり、それがどんな形を生み出すかですね。「光が当る魂の震えと作品」がある一方で、影で日の目を見ない作品もあるのでしょう。

数多の中、氷山の一角。頂点は狭いです。この間生み出されなかった表現の一角を埋めていくことになることは必然でしょうか。

神里さんの作品は、移動や移民がテーマなんですが、先日、ハワイに移民した人々の文化活動についての博論を読んでいて、はっとしたのは、南洋に移住していた人々が沖縄に引き上げてまたハワイや南米に移住して行ったということです。

海外に夢を馳せる人々の思いは狭い沖縄で生きていく未来より、海外に希望を見出したということで、凄さと一方で悲壮な思いもあったのかと、父祖の思いがどうだったのか、気になってきました。以前ペルーの移民と遺骨について、証言を拝聴しながら物語を紡ぐつもりで書いていて中途半端になっていることが思い出されました。←時は待ってはくれないのだと、よくわかるのですが、思い立ったことはすぐ取り組み、一応の形をつくるエネルギーと意欲が重要ですね。「XXの会」とか「XX研究会」とか、年間のプログラムをこれからしっかり作らなければです。

 

 

 

 

 

 

 


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