志情(しなさき)の海へ

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魅力的な装丁の書籍『「英文学への道」~ワーズワースに魅せられて』(瀬名波 榮喜著)は、やんばるの自然の中で育まれた恩師の生涯のエキスが込められて~!

2022-05-10 18:05:27 | 書評
現名護市三原の豊かな自然の中で育まれた感性と天分が、90年以上の人生を全うする中で、常に高い志を、不撓不屈の精神で貫き、それを存分に教育に、英文学研究に活かし、社会の発展と安寧のために貢献されたことが、濃厚にまとめられた芳書から伝わってきました。

瀬名波榮喜先生、ご出版おめでとうございます。



ワーズワースに傾倒・敬愛されカンザス大学で博士号を取得された瀬名波先生は琉球大学英語英文科では、W.E.Yeats研究で博士号を取得された米須興文先生と並び、英文学の双璧。最も人気のある教授でした。情熱的な授業は、多くの学生たちにロマン派詩人への関心を押し広げたに違いありません。わたしもその一人でした。

イギリスロマン派文学の授業は実に豊かで、ワーズワース、コーリッジ、バイロン、キーツ、そしてシェリーと18世紀イギリスを代表する詩人たちの詩を読みながらかつ詩人の人生に思いを深める授業でした。中でもワーズワースの詩を深く研究されていた瀬名波先生の授業では、多くの詩とロマン派詩人の詩論に触れたと記憶しています。キーツの詩も印象に残っています。

デカルトの’I think therefore I am.’ではなく’I feel therefore I am.’がワーズワースの詩の原点だと繰り返しお話されていたと思います。理性ではなく感性を重視する詩論だと理解しました。

自然が豊かな名護市三原で幼少時代を過ごされた先生は、同じやんばる出身のわたしにも似たような何かを感じられたのかもしれません。先生のご自宅で資料カード整理のお手伝いを依頼されたことがありました。短い期間でしたが、それは学問研究の方法論を教授されたのだと思います。ただ、わたしは、当時先生の厳しい学問研究の濃密さを理解できていなかったと反省しています。

私自身が過ごした幼少時代はすぐ家の前に川がありました。海も身近にあり、なだらかな山並に囲まれた村に住んでいたゆえに、自然の中で目一杯遊んできた経験は、ワーズワースが『序曲』”The Prelude”で描いた少年時代の詩篇に多少類似した点があったと言えます。

遊び戯れた川や海、小高い山は美しく、多くの自然の果実にも恵まれていました。しかし自然への好奇心の中には恐れが伴っていたのもその通りです。川の中で泳ぐ。エビを取る。その川の奥には白い大蛇が住んでいると、子供たちの間では噂になったりしていました。夢の中にも出てきた白い蛇は、神秘的で怖い存在でもあり、川の渓流に住み着いている不思議な超自然の存在に思えました。幻想の中で実際にその白い蛇の姿を目撃したような気にもなっていました。

それらの経験はすんなり自然を多く描いたワーズワースの詩篇に共感を覚えました。大学卒業後そのまま大学に英文研究生として残り、ロマン派の詩と詩人について研究することになった時、私が研究論文で書いたのはThe deserted women in the Lyrical Balladsでした。『抒情民謡集』Lyrial Balladsは英文学史上時代を画する傑作とみなされている詩集です。その頃、高橋康也の『エクスタシーの系譜』や『ロマン主義から象徴主義へ』『ロマン主義と想像力』『ワーズワース研究』”Rebels and ConservativesーDorothy and William Wordsworth and Their Circle"やもちろん”The Prelude"など、ロマン派関連の書を東京の古本屋に行っても買い求めていました。その他、日本のロマン主義関連の批評書など、磯田光一の本もあの頃はよく読んでいたと思います。

意外と英米文学関係書の中にワーズワース関係の書籍はもっとありそうです。それが20代の一つのパッションの痕跡です。しかし時は政治の嵐の中にあり、論文を執筆しながらも学生自治会のアジテーションが聞こえてくる環境。さらに秀逸に書かれた英論文を読んでいる内に、自信がなくなっていたのも事実です。ネイティブの英語教官に何度もチェックしてもらって一応研究論文は仕上げたのですが、そのままロマン派文学を続けるのか否か、関心はベケットやジョイスなど、アイルランド文学に向けられていました。政治的な意識とアイデンティティへの問がせり出していました。

アイルランドに留学しょうと思い立ってそのつもりで入学願書を出したら、1年後に拒絶されました。留学は沖縄からの逸脱願望でもありました。それから方向転換、瀬名波先生が博士号を取得されたカンザス大学に留学することになったのですが、英文学ではなく演劇学の方に方向転換でした。

20代に出会ったワーズワースやキーツなどの詩篇は持ち歩いていたこともあります。特にワーズワースのコンパクト版の詩集をカバンの中にしのばせていました。いつでも取り出せるように~。「草原の輝き」splendor in the grassのフレーズが入った詩篇”Ode”は好きな詩の一つで、「草原の輝き」の映画も観ました。今でもその映画は印象に残っています。何十年も年月を経た今になってまたワーズワースの詩に触れると、甘酸っぱい青春の痛みがやってきます。

( "Ode: Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood")
Though nothing can bring back the hour
Of splendor in the grass, of glory in the flower;
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind...
****
 脱線しました。
瀬名波先生のこの人生のエキスが集大成された書籍を紐解くとワーズワース研究者の凄さが迫ってきます。ワーズワースの膨大な詩篇を読み通し、かつ詩人が生まれ育ち、生涯を過ごした英国の湖水地方へ、ワーズワースゆかりの地への巡礼の旅を繰り返されています。英文学研究者の模範的な姿そのものです。文学研究を目指す若者にとって、この書籍は、研究者の真摯な精神とその実践的実存のモデルになるに違いありません。

生い立ちから県立農林学校時代の経験、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を背骨にした青春時代、そして戦争の嵐に巻き込まれ級友を戦争で失った体験、農林学校時代の恩師のお一人、後に琉球大学学長になられた安里源秀先生との出会いを含め、人と人の出会いを大切にされてきたことが分かります。研究者としてのみならず、教育者としての優れた才覚が存分に発揮されてこられたこと、恩師の方々への敬愛、また米留学で培われた幅広い知性と経験の奥深さや幅の広さ、国際的に活躍されてきたことが如実に記されています。

名桜大学の学長として大学の危機を私大から公立大へ転換することによって現在の隆盛の礎を築かれた事も含め、ひたすら誠実に人間教育の可能性を追求されてきたその地球的規模の知性と感性、将来を見据えた姿勢に頭が下がります。

最後の項目は平和への深い祈りと思いです。首里城下の第32軍司令部壕保存公開を求める会の代表として頑張っておられます。

メッセージが心を打ちます。
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我々が沖縄戦に学んだことは、「戦争は、文明や文化のみならず万物の破壊者であり、一方、平和は、文明や文化の創造者であると共にその保存者・保護者である」ということである。
 戦争を知らない若者よ!心を開放し四海同胞の精神を培い、世界の恒久平和の創造者になってもらいたい。そこから人類の新しい文明や文化が生まれてくる。
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327ページに網羅された瀬名波榮喜先生のこの著書は今後も紐解くことになると思います。多くの啓示、示唆に富んでいます。ロマン派詩人ワーズワースの研究者として、かつ優れた教育者として存分過ぎるほどに社会に貢献されてきたその生涯にあらためて驚愕を覚えています。

非売品です。県立図書館や市立図書館、また沖縄の各大学図書館で多くの若者たちが手にとって読むことを切に念じています。

********追記(余談)********
ところで著書の裏表紙には'I Wander'd Lonely as a Cloud'の詩と黄色い水栓の花の写真です。アメリカではこの詩を教科書に学び暗記させられると桂冠詩人特集The Laurel poletry SeriesでWordsworthの詩をまとめたRichard Wilburは書いています。それほどよく知られた詩なのでしょう。

ワーズワースが19歳(1789年)の時起こったフランス革命は全ヨーロッパを震撼させたと言われています。詩人は直にフランスに渡り革命の現場に立ち、そこで知り合った女性との間に一人の子供を授かることになります。しかし自由、平等、友愛の理念を掲げた革命に絶望してイギリスに戻ってきて書かれた詩篇が有名な’Lyrical Ballad’だったのです。この詩もその後に書かれています。

何万もの黄色い水栓の咲き誇る光景を見て、その後、記憶の中の水栓と共にわが心は踊ると詩に結晶化されています。......the bliss of solitude; And then my heart with pleasure fills, And dances with the daffodils.記憶の中の多くの黄色い水栓の花たちと踊るのです。わたしの疑問はワーズワースは水栓の甘い香りには関心を持たなかったのだろうか、という事です。詩集の中に匂いなり香りへの言及があるだろうか、とふと気になりました。というのは水栓の黄色い花も素敵ですが、その香りが何とも言えずいいのです。






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