空手には沖縄の歴史と文化が投影されているのは当然なんですね。1936年に唐手から空手になったのですね。1800年代に中国武術が唐手として登場。1920年に本土に渡る唐手→1936年ごろ空手で諸流派が分離していくのでしょうか?→KARATEへ?
空手に先手なし!先制攻撃なし!なんですね。本来競技のスポーツではない空手が競技になったということですね。国技の柔道が変質していったように、空手もまた競技として世界へなんでしょうか?剣道は決してオリンピックなどの競技にならないと剣道部の学生が話していたのですが、あえてオリンピックの競技として参入することで本来の空手道が崩れていく可能性があるということは、あるいはすでに崩れて競技空手になっているということですね。
スポーツと「剣道」のように道の追及との差異でしょうか?空手道が、相手を倒すことではないとすると、競技用空手は邪道でしょうか?空手の研究書を買ったままで読んでいなかった。読まなければです。
以下、なぜ剣道がオリンピック競技にならないかについての転載です!
剣道がオリンピック種目にならない理由は大きく分けて3つあります。
・日本と世界大会の差
剣道とは「礼に始まり礼に終わる」が基本であり「礼」が全てです。
また審判の判断は絶対であり抗議は一切認められません。
気・剣・体の全てが揃っていなければ一本と見なされず、当然そこには「残心」の要素も含まれます。
YouTubeなどで世界大会の試合を見て頂ければわかると思いますが、国際大会ではこの「礼」が非常に欠けているのが現状です。
姿勢はめちゃくちゃ、残心は伴わない、勝てばガッツポーズ、負ければ審判に抗議しあまつさえ竹刀を叩きつける、試合後の整列に応じない、など剣道の基本である「礼」が全くできていないのです。
・審判のレベルと応援
先ほども書きましたが剣道での審判の判断は絶対です。
故に審判に抗議する選手がいた場合は「注意」一択なのですが、国際大会では抗議選手を宥めたり、あまつさえ判定を覆してしまう審判もいます。
また、明らかに決まっていないのに「一本」と旗を挙げてしまう審判もちらほら...。
圧倒的に審判の質と数が足りていないのです。
また、剣道の応援は基本的に拍手のみで、声援はNGです。
武道とスポーツの差異も論じられていますね!