志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

今頃チェンバレンの書物を紐解いている。バジルホール、そして彼は琉球と深い縁故で書を物した!

2014-12-31 23:28:34 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

チェンバレンは明治26年(1893)の春一月ほど沖縄を訪問している。その後に氏が書いた論稿は多い。氏はその間に歌劇「うやあんまあ物語」を観劇しその脚本をローマ字表記で残している。明治26年琉球王とよばれその後16年間君臨した奈良原繁が赴任した年で、尚典、尚順の招待も受けている。その明治26年に氏が収集し、実際に体験した沖縄が興味深い。深層の令嬢たち、上流階級の女性たちは姿を見せなかったのだ。いまだにー。しかし市場では女性たちが、遊郭の女性たちもまたー。

奈良原繁さんは、県知事時代にご自分の妾(詰ジュリ)の楼へ大和からやってくる笹森儀助さんたちなど、お偉い官僚や財界の方々、研究者などを御招待してそこで芸妓の組踊や舞踊を紹介しているのですね。とても参考になります。女性たちの三月遊びも目撃したのかもしれませんね。琉球式の計算法なども、観察眼が鋭いですね。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。