志情(しなさき)の海へ

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『越境するジェンダー研究』 東海ジェンダー研究所編集、明石書店

2012-05-04 17:11:59 | ジェンダー&フェミニズム
書評コーナに分類してもいいのだが、あえてフェミニズム&ジェンダーの中の一部とする。備忘録も兼ねる。とにかくここ1年で博論を書き終えたい。その足元は寒いが、助走の気持ちである。3年の組踊の系譜研究もまとめるとなるとまだまだの状態で、心もとないがーー。アウトララインが膨らんでいて、まとめ得ない情けなさ、でも生きている間に言葉で形に、と同じように肝に銘じているばかりだがーーー、でもでもの歌を歌ってばかりもおれないーなーとため息!

ところで3月にまとめて図書を買う機会があって、その箱のなかの書物を紐解いていた。『越境するジェンダー研究』を何気なく読んでみた。それが面白い!

女性たちの今ーー後戻りさせないーフェミニズムの歴史的復活 エステル・B・フリードマンがまず良かった。家父長的な慣習に根ざした不平等をなくそうとする地球規模の反対運動があり、フェミニズムがメディアでバックラッシュにあっても粘り強く現代政治学の中心にまでなったとする。なるほど!

スウェーデンにおける機会の平等ーースサンヌ・ガイエは個人的見解とあるが、具体的なところがいいと思った。2009年現在10人の女性と12人の男性が政府の大臣である。すごいね、日本はほと遠い!

フェミニズムの諸相では、
「構造的暴力に抗するフェミニズムへ」 大越愛子がいいね。
 ー近代は男と女という性差を決定するために身体をセックスという性別化のカテゴリーで囲い込み、それを自然化した。その自然主義の欺瞞はポストモダンフェミニズムの騎手ジュディス・バトラーによって暴かれたわけだ。ー
ー構造的暴力の背景には、ネオリベラリズム化した世界資本主義システムがある。ー
ー近代以降家父長制がその自己正当化のために捏造し自然視していた数々の理論の虚偽を明らかにするー

ー構造的暴力は個人の外部にあるのではなく、個々人の意識、行動、所作、眼差しなどを通して刻々と発動するパフォーマティブな力であり、それが複雑にからみ合って体制として自然化、必然化されていくと捉え、こうした構造的暴力との闘いを模索することは個人の倫理的責任とする立場が提起された。ー


ー加害と被害を二項対立的に分けられない事例が『実録連合赤軍」(2008年封切り)


「宗教とフェミニズム」ーーーー川橋範子も興趣があった。
 物言わぬ犠牲者の表象を超えてーー「蝶々夫人」オリエンタリズムの眼差し
                  見られる客体ー見返す主体?!

 サバルタンは関係性のなかに置かれるべきであるーー同感!
ーフェミニズムは宗教を家父長制支配から解放する恩寵である。同時に宗教もフェミニズムに新しい広がりを与える力を持つ(アン・カー)とのことだが、具体例が見たい。

 「リバタリアン・フェミニストのすすめ」ージェンダー理論の革新を生きるとは、普遍に自己を還元しないことー    藤森かよこ

 は以前この方の論稿を読んだことがあったので、新鮮味はなかったが、「バトラーが性的カテゴリーを混乱させ弱体化、無効化する方法として、性を演じることを提案した。過剰に女を演じること、過剰に男を演じることがジェンダーの撹乱に有効であることを指摘した」などの引用は興味深いね。

実在論と唯名論の定義も面白い。以前に彼女は他の論文でも似たようなことを書いていたのだが、「人間は単なる言葉でしかないことに、概念でしかないことに突き動かされて、良きにつけ悪しきにつけ、何事かをなしてしまう生き物であるという事実に対する感慨はさておいて、ーーージェンダーを単に社会的もしくは文化的特質によって表現される性としての理解だけではすまない」ということなのである。

この部分は以前も同感した。

「ボーヴォワールとフリーダンにおけるフェミニズムと反エイジスムーー福祉国家のパラダイムチェンジーー
                         安川悦子
は以前ボーヴォアールの『老い』の本を若いころ購入して一部読んだことがあって、関心を引いた。
女性の神話に対する老いの神話の切開である。なるほど!

女性が他者としてのみ生きる現状?男性にとってのセクシュアリティーとしてのみ生き、子供にとっては母親としてのみ生きるーー。は古い考えだね。主体をもって生きている女たち、自立する女たちが民主化のなかで増えている。

「老いの神話」と「女性の神話」ーーー女性や高齢者の労働権がその答えなのだろうか?
人間は死ぬまで意識的存在である。意識を開いていくことがまた重要なのだろう!

まとめの対談の「同一価値労働同一賃金」の制度の提唱、また子供の人権の確立もいいね。

ダイナミックに21世紀を見通す研究への提言もいい!さてどんな提言ができるのかな?
世代から世代をつなぐ継承の問題もある。ネオリベラリズムのグローバル化の弊害をもっとあぶり出す必要があるのだろう。開かれる知性、開かれる関係性、開かれる政治、開かれる多様な境界、個人のための政府など、家庭単位ではなく個人単位の自由・平等・正義・価値・脱父権制・人間の開放などーー?!

ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』はまだ読んでいないし、映画も未見だが、見たくなった。唯名論は面白い!ここそこの薔薇はあっても薔薇という普遍概念はない!そうねーー。

この本は具体的な統計がかなり紹介されている。全部を丁寧に読んだわけではないが、資料としても有用である。統計データーがたくさん例示されている。


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