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乙姫劇団保存会・会長上間初枝さんです。お嬢さんの真喜志きさ子さんが事務局長ですか?

2013-09-10 11:48:15 | 女だけのうちなー芝居劇団「うない」

乙姫劇団は2002年≪5月12日母の日が最終公演≫にその看板を二代目団長間 好子さんの逝去に伴い下したのでした。その二年後「乙姫」を継承すべく、二代目団長の兼城道子さんが立ち上がって2004年に劇団「うない」が創設されました。「乙姫」の志とその演劇作品、芸風を引き継いだのです。

現在の団長の中曽根律子さんも乙姫の男役で地味ながらいい役柄を演じてきた方で、仲里松子さん、島 静子さんも脇役ながら舞台を支えてきた役者です。久米ひさ子さん、嘉陽田早苗さんも元乙姫のメンバーです。乙姫の副団長だった上間初枝さんが会長で保存会をどのようになさるのか、関心はあるのですが、現に乙姫の作品を継承する「うない」の存在があり、ありし日の作品のデーター化や保存継承ということでしょうか?元乙姫、現うない後援会の平安さんや他のみなさんがどう思われているか、も関心が起こります。乙姫の50周年記念誌を作成したのは平安さんや中曽根さんでした。

乙姫の看板スターだった上間初枝さんは、もっと高く評価されていい方だと思います。上間初枝さんのお話はたくさんお聞きしたいです。寡黙なお上品な方ですから、多くことばにされていないあふれる結晶がお嬢さんのきさ子さんのことばで記録され残されることはとてもいいことだと思います。真喜志きさ子さんに劇団「うない」を応援するお気持ちもあったらいいですね。芸能は身体表象ですから、演じられていくことに意義があると考えます。

乙姫劇団は個人で成り立っていませんでした。多くの方々がかかわっていました。ですから上間初枝さんが会長で、現在の「うない」さんも応援しながら保存・継承ということでしたら素敵ですね。多様な作品の戯作者もまたお一人ではありませんでした。乙姫の記念誌も関係者のご尽力で残されています。写真や作品もまた膨大だと思います。それらを保存するということでしょうか?よく見えてきません。でも12日、夕方からの映像は「山原街道」ですが、見たいと思います。≪以前、公文書館でも見ました≫

トークショーもある様子ですね。きさ子さんの心意気を感じたいところです。またこの間取り上げられなかった角度から劇団「乙姫」が浮き彫りになるのはいいですね。

 

≪52年の歴史に幕、「乙姫劇団」閉団 2001年12月7日≫転載

沖縄芝居の一時代を築いた女性だけの劇団「乙姫劇団」が、設立から52年の歴史に幕を下ろすことになった。兼城道子副団長らが6日発表した。今年10月12日に死去した間好子二代目団長の遺言に従ったもので、2002年5月12日の母の日公演(県立郷土劇場)が最終公演となる。

兼城副団長によると、体調を崩した間さんが、「乙姫の名は、わたしのひつぎの中に持っていく」と話したという。兼城副団長は間さんの死後、団員を集め「団長の言葉を遺言と受け止めて乙姫を閉団する」と宣言した。
船越義彰劇団顧問らは、「間団長の言葉は、劇団運営の苦労を、後輩たちに味わわせたくないという情愛だったと思う。団員がばらばらになるわけではないので解散とは言わず、閉団とした。最終公演した後は乙姫の名は使わない」と説明した。
乙姫劇団は1949年、故上間郁子初代団長が中心となって発足。戦後の沖縄芝居全盛期に指折りの人気劇団となった。55年、琉球新報社主催の第一回劇団演劇コンクールで入賞、58年の第三回コンクールでも入賞した。99年に創立50周年記念公演を成功させている。

 


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